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CSCDスペシャル活動レポート

子どもを通して社会を考える

2012.7.13 八木絵香CSCD准教授セミナー@アサヒグループホールディングス㈱研究開発センター

子どもを通して社会を考える

去る2012年7月13日、アサヒグループホールディングス株式会社とCSCDの共同研究の一貫として、アサヒグループホールディングス㈱本社(東京都墨田区)にて、アサヒグループホールディングス㈱の社員の方々約30名が参加され、八木絵香准教授による「子どもを通して社会を考える」と題するセミナーが行われました。その様子を2回に分けてレポートします。

八木 絵香(やぎ えこう)

CSCD准教授。専門は、科学技術社会論・ヒューマンファクター研究。
1997年 早稲田大学大学院人間科学研究科修了後、民間シンクタンクにおいて、災害心理学研究に従事。多数の事故・災害現場調査を行うと同時に、ヒューマンファクターの観点からの事故分析・対策立案に携わる。現在は、社会的にコンフリクトのある科学技術の問題について、意見や利害の異なる人同士が対話・恊働する場の企画、運営、評価を主な研究テーマとしている。

スタッフ紹介


科学技術コミュニケーションとは

東日本大震災をきっかけに原子力という分野に注目が集まることになりましたが、私はそれ以前から原子力を中心としたエネルギーをめぐる対話、例えば原子力発電所の立地地域に住まう人々と専門家や、原子力に関する主張を異にする専門家同士の対話の場づくりに取り組んできました。東日本大震災以降、エネルギーをめぐる議論のなかで注目を集めるようになってきましたが、さまざまな意見、価値観のズレや対立があるなかで、それでも交わせる対話や議論というのは何なのか。そのような場を作ったりその社会的意味を問い直したりする、ということが私の専門です。社会の側から科学技術の現場を見る意識と、科学技術の現場の側から社会を見る意識、それらのズレをどのように調整すれば良いのかを考え、コミュニケーションをどのように設計するかということに取り組んでいます。

私自身としては、例えば、研究者を対象としたワークショップを企画する、ということもやっています。研究者というのは、実験の手法や論文の中身などの議論は非常に活発に行いますが、それよりもう少し大きな枠組み、自分たちの研究が社会にどういう期待や懸念をもたれているのか、ということに関する議論は苦手という部分があるようです。自分たちも<社会>中の一人であるのに、自分の研究分野のことになると<社会>の中の一人である自分として考えることは困難ということでしょうか。しかしこれから、「専門家」と呼ばれる人々は専門家以外の視点で自らの分野を見直すことを求められる時代になっていくでしょう。


科学技術コミュニケーションの歴史

歴史を振り返ると、科学技術に関するさまざまな情報は、専門家と呼ばれる人々(研究者や行政の担当者など)だけが持っていて、一般の人々には開示されていなかった時代がありました。それらの時代は言い換えると、さまざまな病気や自然災害(地震や風水害)のリスクが今よりも相対的に高かった時代と言うことができます。ふつうの人の意見もきいて丁寧に科学技術の使い方を考えていくというよりは、まずは発展する科学技術の産物を利用して、世の中を快適に、安全に、豊かにするというスピードが重視された時代でもあります。
科学技術とリスクというものを考える時、60年代から70年代が一つの契機だと言われています。いわゆる高度経済成長時代においては、科学技術は私たちの生活を豊かにしたり安全にしたりするものでした。日本人が科学技術を比較的肯定的に受け入れていた時代です。しかし70年代ぐらいから、科学技術は私たちの社会に対して豊かさや安全をもたらすだけではない、様々な負の側面もある、ということが知られるようになってきました。きっかけとしては、公害問題とサリドマイドに代表される薬害が60年代から70年代に顕在化してきたということがあります。

戦後から70年代まで「安全になる」ということは誰にとっても良いことだったと思いますが、一定の安全というものが担保されたとき、人々が思考する方向性というものがだんだんと多様化してきたということもあると思います。世論調査のデータを見てみても、60年代後半から70年代にかけて、科学技術というものに対してポジティブな評価だけではなくリスクの側面を考えるという傾向が出てきました。これは、いわゆる消費者運動が活発化した時期ともかさなっています。この頃から、さまざまな科学技術に関する情報、とくに負の側面に関する情報を積極的に公開しなければならないという流れがはじまりました。

こうして70年代以降、いわゆる「専門家」と呼ばれる人々は、さまざまな形で一般の人々に対して説明をしなくてはならないようになってきました。そのような流れの中で、専門家が「これはリスクが非常に小さい」と判断することに対して、一般の人々が「非常に怖い」と感じる場合がある、つまり専門家が考えるリスクの評価と、人々が感じるリスクの評価にはズレがあるということがわかってきました。そして、そのような問題を解決するために、一般の人々の「間違ったリスクの考え方」に対して正しい知識を与え、リスクを正しく理解できるようにしよう、そうすれば一般の人々が不要に怖がることなくなるはずだという取り組みが推進されてきました。欧米では70年代〜80年代にかけて、日本においては90年代以降においても、「『正しい』知識を与えれば、人々が過度にリスクに反応することはなくなる」という考え方が、専門家の間では一般的でした。もちろん科学技術のリスクを評価するためには、一定の科学的知識は必要です。私はその全てを否定しているわけではありません。その一方で、専門家が考える「正しい」知識を与えるだけで、人々が納得し、社会として適正なリスク管理のあり方を考えていくようになるのは困難だということもがだんだんわかってきました。一般の人々は知識がないから間違った判断をしているのではなく、専門家がリスクを見積もる「見積もり方」とは全く異なる見積もり方をしているということが明らかになってきたのです。

専門家は、リスクというものを「発生確率×ハザード(結果として起こる重大性)」という「積」で考えます。しかし、一般の人々はそのような考え方はしていないのです。一般の人々は、発生確率がどんなに小さくても万が一の時の被害が大きいものに対してリスクを大きく見積もる、という傾向があるということが分かってきました。例えば(東日本大震災以前に遡ったとして)原子力発電所においては、専門家は事故の発生確率が低いと判断してリスクが低いと判断してきました。しかし一般の人々は発生確率についてはあまり重要視しておらず、万が一の事故が起きたときの被害の大きさを非常に重要視する傾向があると言われてきました。また、我々は「偏在」という言い方をしていますが、世の中の人に均等にばらまかれるリスクよりも、子どもや社会的弱者と呼ばれる人に濃く降り積もってしまうリスクを一般の人々は高く見積もる、という傾向もあると言われています。また、「遅延効果」と呼ばれていますが、何らかの事故などにおいて、その場ですぐに死亡してしまうものよりもじわじわと死に至るものの方を一般の人々はリスクを高く見積もる場合もあります。人間の考え方にはそのような傾向性があり、それを知識量で変えることはできないということが世界的に言われるようになってきました。その辺りから、知識教育をするのではなく、専門家と一般の人々が様々な対話をする中でお互いの中にどういう解を見つけるか、それを協働でやっていかなければうまくいかない、ということが言われ始めるようになり、研究や実践が様々な分野で始まっています。

(やぎ えこう/大阪大学CSCD准教授)


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