セックス
sex
解説:池田光穂
生物学が定義する性別をセックス(sex)と言う。他方、当該社会が定義する社会的性別すなわち、その社会が定義する女らしさ/男らしさにもとづく社会的区分をジェンダー(gender)と区分して使われることが多い。
日本語のセックスは、性行為や交接すなわち口語法では「エッチする」(サ変動詞)という意味もあるので、このような発音は憚られるという向きもあるが、セックスとジェンダーを明確に区分すべきだと主張する研究者や社会運動家などは、むしろ、挑発的なニュアンスをこめてセックスと声高に言うことがある――つまりそれなりに社会的効用はある。
さて、常識的に考えればわかることだが、生物学という科学で使われている性別(すなわちセックス)も、その科学者たちが属する社会のジェンダー意識から影響を受けている。
セックスの科学である生殖を研究する者もまた社会的なジェンダー区分の影響を受ける。例えば、植物の雄しべ(stamen, 多数の花粉pollenを有する)と雌しべ(pistill, 雌ずい genoecium)の区分は、植物の生殖が動物のそれとかなり異なっているにもかかわらず、男女の区分が投影されている。あるいは、動物の性的二型とよばれる形態の差違は、雄が大きく、メスが小さいという固定観念を我々がもつために、蛙の交尾における大きな蛙を「じつはメスなんですよ〜」と言わなければならないはめになる。
トイレの表示におけるスカートとズボンの区別や、赤と青の区分は、典型的なジェンダー意識が投影されたもので、生物学的性別の根拠とは全く関係性を持たない――女性には月経があるから赤であるという主張は民俗学的には興味深いが科学的には何の根拠もない。
生物学的性別(セックス)も、ジェンダー区分からの影響を完全に払拭できないので、セックスの区分なども厳密にはできないという過激な主張があるが、これはジェンダー区分など糞食らえと過信するがゆえの誤謬(=予言の自己成就)である。
例えば次のような議論である。我々の意識は社会的に構築されている。セックス現象を解明する、近代生物学や性科学(性現象に関する生物医学)もまた、既存のジェンダー観によって規定されている。だから、セックスという概念もまた、ジェンダー観が先にあり、それに規定されているのだ、というような主張である。
オス/メスやジェンダー的メタファーを使わなくても生物の生殖現象は科学的に説明できるからである。ただしその科学のジェンダー化へのノーマライゼーションは極めて煩瑣でそれに着手する馬鹿は現在までいない。
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