階級・社会階級
class, social class
【自明なことを非常識化する】
濱島朗によると、階級とは「全体社会の内部において社会的資源または勢力(富力、権力、威信など)の不平等な配分に基づいて成立する上下・優劣、貧富、支配・被支配、搾取・被搾取などといった非対称的な関係にたち、ほぼ同等の勢力量を享有する人々の集群」のことを言うという(出典は『ニッポニカ大事典』小学館)。
階級は英語でクラス(class)で、教室(classroom)のようにある種のまとまった同質的――つまりその要素に共通性をもった――グループのことである。グループの要素(つまりクラスのメンバー)は、教室のように、学校制度によってある空間の中に強制的にまとめることができるが、実際はバラバラな存在である。つまり、クラスを識別し、それを選別し、[理論的にも経験的現実としても]まとめることのできるものである。ここで言っているのは、集合論的概念であるということを押さえればよい。
内戦によって国境を越境して隣国内を放浪する人たちは、難民と呼ばれる。しかし、難民と認定するためには、その人たちが止むに止まれぬ状況によって放浪を余儀なくされたことを証明しなければならない[→難民]。しかし、内戦による暴力であろうが、経済的理由であろうが、国境を越境して隣国を放浪する人たちは、同じ隣国の人たちのように見える(当たり前だ)。
そこで、難民キャンプに受け入れる人たちは、どのようにして隣国内を放浪するようになったのかについて、当事者に尋ねる必要がある。彼らが難民たる「資格」をもつか否かを調べるのである。しかし、経済難民と政治難民の区別は現実には相互に排除するものではなく、共存することも多い。当人達の自己申請による基準を採用すれば、国内の偽装難民――しかし、もし飢餓や経済的な理由で放浪を余儀なくされているのなら、それは政治的には正真正銘の難民である――との区別で人騒ぎあるかもしれない。これらの場合は、クラスを認定する基準に人為的なものが介入しているにも関わらず、キャンプに入ったクラスのメンバーは一律に難民とみなすことができる。つまり、難民とはある基準によって認定された人たちのはずが、キャンプに収容されているという事実によって難民であることが自明視されてしまうのである。
下層階級――いったいの何の下側なのか?――、プロレタリアート、ブルジョア、ユダヤ人、などなど階級というグルーピングは、誰が誰に対して、その集合的なカテゴリーを与えるかということを明確にしないと、階級が我々の認定の結果出てきたものであり、我々は、それらの集合論上の理念をめぐる一種の概念操作をしているという、当たり前のことを忘れてしまうのだ。
中産階層、階層分化、などなど。数学的操作によってグルーピングはいくらでも可能であり、それを厳密に数量化して客観的に議論することは可能である。しかし、そのクラスのメンバーの個々の生き様は、個別現象から、それ以外の集合的――クラス分析的――なものに還元してしまった瞬間、我々はその理念上の操作について議論していることを忘れてはならない。
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