か ならず読んでください

Guatemala:


 報告3:飯島みどり

 報告4:太田好信

 コメント:八杉佳穂

『日本ラテンアメリカ学会会報』(No.75, 2001)をご覧ください。

●研究ノート

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民博共同研究会2000/10/28  グアテマラ:政治暴力のゆくえ
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    1.人類学的理解

        国家暴力をどのように理解するか?

        先行研究(紛争一般)

    2.グアテマラの政治状況概観

        内戦の略史

        和平締結後の状況

    3.暴力の社会的記憶と政治交渉

        人類学者の関与

        暴力との対話:社会的記憶と政治的恩赦

    4.つぎに来るもの

        北米への労働移民

        先住民運動

    5.諸事例の検討

        民族誌的特殊状況

            構成的描写:(1),(3),(5)

            精神的外傷:(2),(5),(7)

            客体化:(4),(9)

            道具化:(8)

    6.結語—ひとつのエピソード—
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■構成的当事者としてみる

「紛 争を理解するとき基本となるのは、紛争の主体とされる民族や宗教の信者を所与の超歴史的な集団ととらえるのではなく、紛争の過程で実体化され、主体として 語られ、操作されるカテゴリーとしてみなす社会科学的立場である」(栗本 1999:「紛争の政治化と軍事化」研究会趣旨説明)

■La Violenciaの時代

・グアテマラの内戦は1962年に始まるとされているが、内戦がもっとも激化する時期であるラ・ビオレンシアを、1978年のルカス・ガルシア政権からリオス・モント政権がおわる1983年の5年間とする意見もある。

■内戦の犠牲者

・1961-96年(36年間)の内戦における犠牲者数:死者15万人、行方不明4万人。(難民数は推定で数10万から100万人

:96年和平合意後の最終的な帰還プログラムでは4万人)

■1994年の包括人権協定の8項目(狐崎)

1.人権保障の制度の強化

2.人権犯罪の免責(impunity)の廃止

3.非合法治安機関の解体と市民の武器保有の取り締まり

4.自警団への強制参加の有無の確認

5.強制的差別的徴兵の廃止

6.人権団体の保護と活動の保障

7.人権侵害の犠牲者への賠償と援助

8.国連による検証

■terror/terrorismの二分法(Sluka 2000:1)

terror→国家暴力

terrorism→反体制・非国家暴力

■グアテマラにおける「死の部隊 Death squad」

La Mano Blanca

Jaguar Justiciero

■コミシオナードス(comicionados)

 退役軍人で、有事の際に任務が期待されている無報酬の役割。実際には、村落に駐在し、情報収集のほかに徴兵に従事していた。1965年には1万人のコミシオナードスがいたという(近藤 1969:98)。

■PAC(Patorulla Civil Autodifensa)

 1976 年にアルタ・ベラパス、1981年ルカス・ガルシーア期に全国レベルで採用されるようになった民間自警団組織。旧式のライフルをもち、連番制で村落の入り 口や村落の中心部で検問や警邏に従事する。1980年代前半にもっとも多く普及した。1996年暮れまでに武装解除がなされた。

■アクション・カトリカ

(狐崎知巳さんのコメント:私信)「1954年の反革命、ないしは「解放」直後から、欧米諸国より反共的なスピリチュアリストのミッションを派遣する流れ。反国際共産主義をグアテマラに定着させるためのグアテマラ大司教、バチカン、米国政府の戦略が背景」

■メンチュウvs.ストール論争

1983年エリザベス・ブルゴス『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』(西・仏語版)出版

1992年ノーベル平和賞

1998年ディビッド・ストール『リゴベルタ・メンチュウとすべてのグアテマラ貧民の物語』

  ブルゴスの本は、当時パリを訪問していたメンチュに、12日間ブルゴスの居宅で録音し、それを編集し、ブルゴスの著作として出版された。エリザベス・ブル ゴスは、アルチュセールの弟子でありラテンアメリカにおける左翼運動家・哲学者(→最近では『メディオロジー宣言』で有名)の前妻。メンチュウを紹介した のは、グアテマラEGP(貧民ゲリラ軍)のヨーロッパ支局長のアルトゥーロ・タラセナで、当時グアテマラの歴史で博士論文を執筆中。ブルゴスは、ドブレと キューバで軍事訓練を受けるが、そのときにリカルド・ラミレス(EGPの創設者のひとり)と知り合う。1980年代末、メンチュウをノーベル賞受賞に推薦 する運動があった(1992年は国際先住民年で、かつ新大陸「発見=出会い=侵略」の500年目にあたるため、彼女を平和賞候補におす運動が展開してい た)。この際に、メンチュウは、ブルゴスに著作権を返還するよう交渉する。しかし、両者のあいだには亀裂が入り、それまでメンチュウに支払われていた印税 も、ブルゴスは支払わなくなる。

 1998年のストールの暴露本(彼は1993年にメンチュウの誤りを指摘している)で、メンチュウ[が語ったこと]が批判の対象になったのは、次のいくつかの点である。
 1.メンチュウの父親(CUCの創設者のひとりで1980年のスペイン大使館占拠事件で殺害される)が抱えていた土地問題はラディノとの問題(メンチュ ウ本、第15章)ではなく母親の叔父との関係が悪化したものである。2.メンチュウが無学で都市で女中として働いていたことがない事実(第14章:女中の 記述は詳細かつ具体的なので、事実とすれば致命的)。3.弟ペトロシニオの処刑の場(第24章)
には居合わせていないという証言の収集。

  ストールの批判の骨子は、グアテマラの先住民の多数派はゲリラあるいはゲリラのシンパサイザーではないという主張にある(Stoll 1993,1998)。ストールが、揚げ足取りとも思える批判をするのは、ひとえにメンチュウの家族が虐殺に巻き込まれたイシル・トライアングル地方の民 族誌研究に従事したからだ。

 EGPのメンバーだったゲリラの理論家マリオ・パジェラスも『市民の炸裂』(1987)で、チャフルの7名の公開処刑はメンチュウが言う1979年9月24日ではなく12月6日(近藤 1996:121)

■マルクス主義武装闘争理論の先住民観

 インディオはプロレタリアートになって、はじめてラディノのプロレタリアートと連帯、政治闘争に参画することができる。その前段階には、分断されているインディオを革命勢力として統合されなければならない。

 先住民の慣習や衣装などの文化表象は、征服者による抑圧構造のなかで形成されてきたものであると考え、先住民文化の独自性を容認しない。インディオはマルクス主義者たちにとってのユダヤ人である

・事例1:

 オルランド・フェルナンデス(=Ricardo Ramirez)

「グアテマラのインディオは数世紀にわたる抑圧が、一度インディオが自覚にめざめることを考えたら抑圧者が恐れを感じるほど攻撃性を彼らの魂の中に蓄積したという相違はあるが、マヤ人を偉大な存在となしたさまざまな特徴を潜在的に受け継いでいる。

 …… 歴史的に結合したこれら全ての条件は、グアテマラのインディオを巨大な革命的可能性の受託者としているのだ。この可能性は正しく指導され(プロレタリアの イデオロギーによって)十分ダイナミックで統一的な運動(革命戦争)の方法によるならば、祖国解放と革命の勝利の決定要素となるばかりではなく、将来のグ アテマラ民族(→たぶん国民nacio'n:引用者)を形成する上でもまた決定要素となるだろう。

 …… 「ラディノ」という身分は、インディオという身分に比べれば支配階級と帝国主義の抑圧と搾取にもかかわらず、一定の経済的、社会的、心理的はけ口を得させ ているのだ。この身分は市場経済に自動的に参入することを許し、ある程度(各人の経済状況が限定する範囲で)文化の残りかす、技術、支配階級の社会的関 係、外見は自由な都市の雰囲気といったものを共にすることを可能にする」(山崎ほか編 1971:85-6)。

・事例2:

 EGP機関誌「コンパニェーロ」1981(英訳→Contemporary Marxism:1980-86, San Francisco:Synthesis Publications)

  グアテマラの先住民は、もともと先祖を共有するキチェ、マム、カクチケル、ケクチという「4グループ」に属していた。「時間の経過とともに、程度の差はあ れ、言語や習慣を異にするようになり、おたがいの間で土地や権勢を競いあう民族集団を構成する」ようになった(『世界から』82年秋号:45)。スペイン の支配はその細分化をさらに強化するようになった。その例が「スペイン人は、インディオを、「インディオの町」といわれる小さな部落に集め、それぞれの部 落の住人に、他の部落の住人と区別できるそろいの服を着せた。こうして民族としての集団が破壊され、小さな集団に変えられた」(『世界から』82年秋号: 46)。

「このような抑圧と搾取の体制を基礎にして、それを正当化する必要から、インディオを、コンキスタドールたちとおなじ権利を享受することのできない、欠点だらけの、自己統制能力のない、劣った存在ときめつけるイデオロギーが発達した」(『世界から』82年秋号:46)。

  このようなグアテマラの社会的矛盾からうまれた、インディオを蔑視するイデオロギーは、ふたたび、分断された「インディオ」を、類的なカテゴリーとしての 「インディオ」に構成するという、弁証法独自の修辞でつぎのように説明される。「かつは種族の自己同一性はキチェ、マム、カクチケル、チュツイル(ママ) といった種族グループによって定義されていたが、その後、植民地時代にはチチカステナンゴ、ナウアラなど、それぞれの「インディオ町」に集められたグルー プごとに分かれた。さらにその後、資本主義のもとでは、地域社会ごとの境界線はこわれ、それぞれのグループごとの特徴的な自己同一性は失われずに、「イン ディオ」一般としての連帯感、帰属性と意識がうまれた」(『世界から』82年秋号:47)。

「…… 資本主義的な変遷の中で、インディオの農民たちは季節的な賃金労働者、あるいは半プロレタリアとなった。農民の半プロレタリアートは、毎年増加の一途をた どり、少なくとも六五万家族の農民を含むようになったと推定される。これはグアテマラ経済の大黒柱である輸出用農業活動のための基本的な労働力を構成する ものである」(『世界から』82年秋号:47)。

「イ ンディオたちが賃金労働者になっていく過程は暴力的なもので、不安や苦しみにみちたものであった。……実際、多くの人びとがこの過程を生きる中で初めて個 人的、集団的な差別に気付くようになった。搾取は、インディオのいくつもの種族グループをインディオとして一つに結びつける一方で、彼らを労働者としてラ ディノ労働者に接近させた。……革命的人民戦争とこの戦争の過程でのインディオの民族(=国民か?:引用者)としての自己主張は、今日、唯一の別の選択で あり、わが国の民族的・文化的複合性に対する将来の解決方法である」(『世界から』82年秋号:49)。

「グ アテマラ社会では、革命戦争にインディオを組み込まない革命はありえないし、新しい社会の中に彼らの全面的な権利が確保されない革命はありえない。その新 しい社会の建設はインディオが助けるものではなければならい。……グアテマラでは、インディオとラディーノの労働者が、現体制にたいする戦争をともに闘っ ている。四世紀以上にわたって抑圧され、搾取され、弾圧され、差別されたマヤ・キチェの子孫たちは、明確な展望を欠き、無残に弾圧された数百回の蜂起や地 域的な反乱を繰り返した後に、今日、明確に規定された革命目標に向かって闘争に立ち上がっている」(『世界から』82年秋号:49)。

「現 体制は、過去の搾取者たちが、実践し、支配のイデオロギーとしてすべての国民に課してきたインディオに対する差別を再生産し、利用している。ラディーノと インディオの労働者を分断し、インディオたちに従属的なあきらめの態度を浸透させるために、インディオは劣っているのだという考えを維持しようとしている のである。このような理由から文化的抑圧の撤廃は革命の中心的目標であり、それはまた革命の枠組の中でのみ可能なのである。グアテマラ革命が、インディオ の諸民族グループが苦しめられている搾取と文化的抑圧という二重の問題を解決することができないならば、それは本当の革命ではないのである」(『世界か ら』82年秋号:50)

出典:
    ラテン・アメリカの革命戦争 / 山崎カヲル,高倉亮編訳. -- 三一書房, 1971
    アジア太平洋資料センター編「力強く立ち上がるインディオ:グアテマラ革命の主体として」『世界から』1982年秋号、pp.42-50、1982年

--------国家テロの人類学的研究---------

■E.V. Walter, 1969. Terrror and Resistance.
1.国家テロは文化によって多様である一方、通文化的共通点もある。

2.テロというものは、それほど珍しい現象ではないし、すべての国家においてそれを準備できる可能性をもつ。

3.テロという手段はしばしば最後の手段(ultima ratio)と思われているが、実際は、優先されて使われる手段(prima ratio protestatis)である。

■心理人類学的研究(Suarez-Orozco)

Marcelo Suarez-Orozco:1970年代後半アルゼンチンの「汚い戦争」における失踪者("desaparecido")についての研究。彼の研究のア プローチは、犠牲者と加害者(処刑に携わった人間)の双方から国家テロのしくみを明らかにする。「心理学的に情報を得た民族誌作業を通して、我々が声なき 者に声をどのように与えるのかについて例証する」(to illustrate how, through psychologically informed ethnographic work, we can give a voice to the voiceless, Suarez-Orozco 1990:354)。
→ただし、彼のテキストは隠喩——とくに病理的隠喩("psychotic,""hysterical denial," "fantasies,""halluciination,""collective delusion,""paranoid ethos" )やテキスト論的隠喩("text," "grammer")——的用語法にちりばめられており、このやり方には反発をもつむきもあるだろう。もっとも、論争的なのは「テロ文化、恐怖の文化 culture of terror」をめぐる議論であろう。

■恐怖の文化(culture of terror)

  恐怖を統治手段として採用することにともなう、一種の幻想の共有。武装左翼勢力の政治的成功(失望感と危機)→管理当局による左翼の潜在的危険視(敵の動 向についての知識と幻想の増大)→予防的拘束(行動の正当化)→強制的自白(実証の確認)→拷問の日常化(エキスパートの出現)→失踪者の増大(社会的意 味の確立)

  タウシグによれば、政治的拷問や殺人が局所的に流行れば(endemic)、恐怖の文化が繁茂するという。恐怖の文化を正当化するのは、体制と社会の「秩 序」維持という発想である。また、恐怖の文化が「存在」したのは、ラテンアメリカではアルゼンチンとグアテマラであるという。

  恐怖の文化論者:Corradi et al.(1992), Herman(1982), Chomsky(1988), Taussig (1984,1987,1992), Suarez-Orozco(1987), Green(1995: Culture of fear)
 ※このような主張は多少なりとも文化の理解を本質主義的な方向へと揺り戻す可能性がある。より重要な問題は、そのような用語法を通して、何が明らかになり、どのようなことが教訓になったのかということだ。

→例えば、タウシグなどは、次のような修辞で恐怖の文化を説明する。人類学者は、/拷問をおこなう者と受ける者が出会う独房の中での新しい現実を書き出す 言説の調停者によって強いられた沈黙の中の・沈黙に抗した言葉と闘う、破壊と啓示の詩学とともにある<恐怖>/に抗して書き送る(write back)、というふうに(ref. Sluka 2000:12)。

■民族誌的誘惑(ethnographic seduction)

 Antonius Robben(1996)の用語。暴力の加害者に対する調査を続けてゆくあいだに、相手に感情移入してしまうこと。これ以外にも、加害者と被害者の相互の調査を続けてゆくうちにストレスを感じてしまうこともある。

  この原因は、研究対象を客体化することや、人権擁護を前提におこなうといった、調査をおこなうことと、その道徳的距離のとり方の関係が先に想定されている からである。また、通常の状態ではなかなか遭遇しないような恐怖の事例を、民族誌的に構成することが、通常の手続きからいって、いかに異例のことであるか がわかる。また、そのような研究対象について人類学の民族誌記述の方法論がいまだ十分に検討されていないことが明らかにされる。

    "Ethnographic seduction [is] a complex dynamic of conscious moves and unconscious defences that may arise in interview with victims with victims and perpetrators of violence"( Robben 1996:72), which undermines critical detachment.→Robben, Antonius C.G.M. 1996. Ethnographic seduction, transference, and resistance in dialogue about terror and violence in Argentina. Ethos 24(1):71-106.

    "One difficulty with studying up state terrorists is that anthropology is based on a relationship of trust and empathetic understanding and tends straongly to humanize the ethnograpgic "other"."(Sluka 2000:27)

■証拠隠滅
    "Guatemalan death squads are so sick that they often kill their own operatives after periods of time of using their services so that there are no witness. If Guatemalan death squads kill their own lower level operatives, as it were, why would they hesitate to bop off a foreign anthropologist who had previously performed participatory action research with popular movement organizations calling, internationally, for an end to their activities, and on whom they have a file and who they tried to intimidade and more subtly play with more than once?"(correspondence of Frank M. Afflitto, April 1997. cited Sluka 2000:27-8).


■Robert Carmack, 1988. Harvest of Violence: The Maya Indians and the Guatemalan Crisis.
    "From the beginning Harvest of Violence was for us a humanistic undertaking. We have not tried to disguise our love and concern for the Mayas and their country, or the dangers we faced in telling their story."(Carmack 1988:vii)
    "People well known to the anthropologists, people who they knew had little reason to become involved, were killed ot "disappeared" --- or so it was reported --- because they were allegedly "guerrillas," "Communists," or "Marxist-Leninists." When they sought further information, the events were afraid to discuss the matter."(Adams 1988:275)

ラテンアメリカ人類学者、Gabriel Aguilera Peralta, Jorge Romero Imery+, Ricardo Gallindo Gallardo+, Guillermo Monzon Paz+、はニュースレポートなどで活躍した人類学者であるが、このうち3名(+)はテロリズムの犠牲者となった(Adams 1988:275-6)。
Victor Montejo:Popti' Maya.で1982年難民となる。
Myrna Mack:1990年にグアテマラで殺害。


■Ricardo Falla
Ricardo Falla:Ph.D(in anthropology, University of texas, Austin.)イエズス会神父、1992年軍部による脅迫("un libro subversivo"の出版による:Mans 1994:xv英語訳解説)によって国外に出て亡命。1966-79グアテマラ・イシュカン(Ixcan)でのフィールドワーク、83,84年メキシコ領 の難民キャンプでの聞き取り。1992年『ジャングルでの虐殺(Masacres de la Selva)』出版。
    ([W]hy mix anthropology with human right ?)
    "It's is mixing anthropology with  a certain sense of justice. Justice means human rights. We have to judge, especially in a context of such terrible oppression like we have in Guatemala, with the bloodbath  that has taken place. We can't just remain passive and study the massacres as a product of a military culture. We can't fall into that. We're striving to give strength to the voice of a people. We have to choose sides. You either choose to understand the army, and its judgement of events, or you choose the judgement of the people. Or you can opt for your own opinion, because you're also looking for the truth in all of this, and perhaps you're not in complete agreement with the popular view. The "people" can be wrong".(Falla, interview with Manz, Manz 1995:266)


■Comunidad de Resistencia, las Comunidades de Pueblo en Resistencia(CPR)
 軍隊のテロリズムより逃れて深い熱帯林の中で暮らす複数の共同体出身者からなる居住集団。


--------アダムスの歴史文献(はじめ)--------

■共産主義の温床:リチャード・N・アダムス(1960)
「第二次大戦後の10年間に、米国の新聞報道は、中央アメリカの小国グアテマラで、共産主義に同情的な大統領に支持された強力な共産主義者の指導勢力が台 頭したことをますますひんぱんに伝えるようになっていった。しかし、多くの読者は、この一連の出来事をあまり深刻に考えなかったと思う。グアテマラのこと についてはすべてが間違っていた。小国なんて大したことないとか、共産主義がわが家の裏庭に押し入ることなんかできっこないとか、そもそもグアテマラって どこなんだ、といった調子であった。だが、その後の事態で、小国も非常に重要でありうること、共産主義は適当な支持を得ればどこでも足場を固めることがで きること、そしてグアテマラのおかれた立地条件から、こうした事態が米州全体の連帯と安全保障に対する脅威となり、西半球および世界における米国の威信に 打撃を与えたことが明瞭になってきた」(アダムス1972[1960]:217)。

「政府の目からみると、これらの小さなカリブ海諸国は、その国庫を周期的な革命で使い果たして、外国に対する債務の支払いを滞こおらせ、そのことがヨー ロッパ列強に派兵をもっておどす口実を与える、といった度し難い習性をもっていた」(アダムス1972[1960]:217-8)。

■グアテマラにおける共産主義イデオロギー受容についてのアダムスの解釈
「……なぜグアテマラ人の若干の部分が自由世界の様式より共産主義の様式を取り入れる気持ちが強いのかを十二分に説明する要素が2つある。……1つはここ で起こっている変化の本質である。……変化は息つく間もなくつぎからつぎに新しい決定を要求する。もうひとつの要因は、グアテマラ社会内部おけるそれらの 変化のおこる場所と波及の順序である。大部分の社会発展の理論では、変化はまず技術革新の領域で生じ、つぎに経済、社会および政治面での二次的な効果がそ れに続くとみている。ところが今日のグアテマラでのは、変化はまず政治行動の分野で起こり、つぎにその結果が社会、経済および技術の分野に波及する。そし て共産主義者たちが最も経験をもちもっとも熱心なのは、その政治組織と政治行動の分野なのである。……共産主義に代わるものを提供しようと思えば、この敵 方の哲学の魅力との競争にうち勝つうえで必要なダイナミックな性格の政策を打ち出さなければならない」(アダムス1972[1960]:222-3)。


【命題】グアテマラにおける人種=民族概念は他者表象の観点から構成されてきたのであり、当事者がどのような意識をもつという視点がもたれることはほとんどなかった。

■アダムスはグアテマラ人を社会構築をしている自覚はなく、あくまでも客観的に民族カテゴリーを彫琢しようとする
「……グアテマラでもその住民はいくつかの構成要素から成り立っており、それらの差異は、彼らの行動を予測する際しばしば決定的な重要性をもつ。そこでわ れわれは「グアテマラ」とは一体、どんな人たちから成るのかということをはっきりさせなければならない。それぞれが独自の行動様式をもつこの種の構成要素 を検討しはじめて、われわれは今日グアテマラ社会で起こっている変化について、多少なりとも気の利いたことがきるのである」(アダムス1972 [1960]:223)。

■インディオの素描
「伝統的なインディオの大半は、村落や分散した農村共同体に住んでいる。彼らの定住地は極端な地方割拠性(localism)が特徴で、往々その土地だけ の別個の方言があったり、独特の女(ある地方では男)の複製がみられたりしている。……典型的なことだが、インディオの1人あたりの所得は非常に低く、日 々の生活の大部分をその土地の天然資源に頼っている。しかし、そのインディオは若干の現金収入を稼ぎ、特定の必需品を手に入れるため、より広い市場——全 国的な、ときには国際的な——にもある程度依存している」(アダムス1972[1960]:223-4)。

■ラディーノの素描
「ラディーノという言葉は、植民地時代には、土着の語風を捨ててスペインの習俗を採り入れたインディオを指して用いられた。現在のグアテマラでは、それは 大体非インディオ人口全体に対して用いられている。……ラディーノはさまざまな程度にインディオの<血>を受けている子孫※であるが、文化のうえではイン ディオとまったく異なっている。インディオはその服装でどこの町、どこの地方から来たかがわかることが多いが、ラディーノの場合はそうした外見では彼がグ アテマラ人かどうかということさえわからない※※」(アダムス1972[1960]:224)[強調<>は引用者]。

※→ここではアダムスはインディオを人種的カテゴリーで認識している。
※※→ここではアダムスは、アイデンティティという観点からではなく、部外者からどのように弁別できるかを論じている。しかし次項の指摘によると、ラディ ノに対して従属的カテゴリーであり、卑称でもあるインディオからのがれるために、ラディーノにカモフラージュすることができる可能性を示唆し、2つの民族 (=人種)カテゴリーが横断的であることを示唆している。

■卑称としてのインディオと、その用語法にまつわるカテゴリー的混乱の理由
 圧倒的なラディノ地域では、おなじラディノどうしでも卑称としてインディオというカテゴリーが使われる。つまり民族のカテゴリー分類に混同がおきている可能性をアダムスは示唆して次のように言う。
「「インディオ」という用語が混同して使用されがちなのは、グアテマラではどのインディオもラディーノになることができるという重要な事実が原因である。 <元来>ラディーノという言葉は、前にのべたおとおり、スペイン人の生活様式を採り入れたインディオのことを指していたが、今日ではインディオが<転入> することのできるグループのことを指していう。インディオの両親が都会に移るとすれば、彼らの子供はラディーノとして成長するかもしれない。これには<人 種的な変化>は含まれていない。現在この言葉は、<生物学的遺伝>よりもむしろ風俗、習慣、生活様式などを指して用いられているのである」(アダムス 1972[1960]:225)[強調<>は引用者]。

※両方の社会的カテゴリーの境界は恣意的にならざるを得ない。この境界を整合的に記述しようとすると上記のような混乱がおこる。ここでもっとも重要な意味は、インディオ→ラディノという移行は可能であるにもかかわらず、その反対はあり得ないということだ。
※しかし、アダムスは、グアテマラにおけるもうひとつの重要な「人種的」カテゴリーである「クリオージョ」について指摘していない。その理由は、彼はラ ディーノの「構成要素」(次項参照)としてのコスモポリタンに分類しているからである。クリオージョは、グアテマラのマルクス主義的歴史観においてはもっ とも重要となる「人種的」カテゴリーであり、アダムスは彼の反共主義的な立場からこのような見解を嫌ったとも考えられる。

■インディオは「文化的剥奪」を受けてはいないとみる:アイデンティティの柔軟性
「かなり一般的に受け入れられている考えに、「インディオの伝統を失った」インディオは「文化を剥奪」されて、どんなプロパガンダにも乗せられる虚脱した 人間になるという説がある。……しかし、これは自分の共同体のメンバーとしてとどまりながらラディーノの地位に移行した、多数のインディオにはあてはまら ない。第一、この型の文化変化は徐々に進行する。そのうえ、その変化が1つの共同体全体で行われる場合には、自分のグループと一緒に変化する個々人の (が?——引用者)自分の部落から疎外されたとも、「偉大な」インディオの伝統を奪われたとも感じることはない」(アダムス1972[1960]: 238)。

■先住民文化の崩壊のシナリオ
「インディオ文化はこの種々な、しかも大きな変化を永久に融合し続けることはできない。早晩それは必ず崩れる。社会組織に対する政治上および宗教上の要 求、農業と手工業における技術上および経済上の要求、個人に対する公衆衛生と再定住の要求——その1つ1つ、あるいはその全部が一緒になって、古い構造を 極度に掘り崩しているので、インディオの生活様式はグアテマラ社会に別個の部門として無限に存続することはできないのである。人口の半分を占めるインディ オは、必然的に、結局は画一的なラディーノの社会にそして、国家に同化されてゆくことになろう」(アダムス1972[1960]:245)。
※先住民当事者からみれば、この言説は「抹殺容認」とも採られかねない内容ではある。

■アダムスはグアテマラにおける民族の分類について本質主義的見方を退ける
 インディオとラディノという分類にアダムスは絶対基準を持ち込むようなことはしない。むしろ、双方のカテゴリーが、文化的要素によって強化・維持されたり、場合によっては変容をとげてゆくという構成主義的な民族観を彼はしめす。

「グアテマラ人口を区分するその他の境界線は定住形態の差異から出てくる。……これらの定住地の内部には、異なる社会関係と異なる階級および人種要素が見 いだされる。一般にそうした差異はインディオ人口のあいだではラディーノの場合ほど大きくないが、しかし、そのインディオ生活様式や地位でさえ、その属す る定住地の型によって影響を受ける……」(アダムス1972[1960]:226)。

「……人種的構成と定住形態との差異が、人口をそれぞれ独自の行動様式をもった多くの構成部分に分ける作用をする。それらの構成部分を、便宜的にグアテマ ラ人口の「構成要素」と呼ぶことができよう。ここで留意しなければならない基本的なことは、これらの構成要素は、現在切実な必要や外界の刺激に対して、そ れぞれ異なった反応をしているばかりでなく、それぞれ異なった種類の変化を遂げつつある」ことだ(アダムス1972[1960]:226)。

「ラディーノ」の構成要素:コスモポリタン、地方上流階級、新興中間階級、独立農民、移動農業労働者、定着農業労働者、都市労働者の7要素

(1)コスモポリタン
 経済的支配層、不在地主、強いヨーロッパ指向、経済的影響力は長期的に低下しているが、グアテマラの新興勢力からは敵にされやすい。
(2)地方上流階級
 土地を背景にした経済的に優勢なグループ。1944年以降衰退。
(3)新興中間階級
 「最も重要な人口構成要素」(アダムス1972[1960]:230)、(上流・下流の)他の構成要素から参画してきた。地方実業家、公務員、教師、軍 将校など。地方上流階級の後継者とアダムスはみる。「新興中間階級は他のどのグループよりも弁舌さわやかに、ナショナリズムを主張し、政治形態、社会正義 の諸問題、共産主義と民主主義に対する自己の見解をひれきする」(アダムス1972[1960]:232)。
(4)独立農民
 長期的にもっとも衰退してきた構成要素。44年以降、農地改革をとおして強化する試みがとられる。
 ※独立農民への支援は、社会主義時代に農地改革によって、軍事政権時代には人口問題の解消ならびに農業生産性をあげるために、未開墾土地(太平洋岸山麓地帯・西部高地北山麓・ペテン低地)の開拓を恒常的にすすめてきた(農業統計)。
(5)移動農業労働者
 プランテーション居住者。ならびにインディオの参入。「1954年の革命で農地委員会に強力な支持を与えたのはこの社会グループだった。南部沿岸地方では、彼らが共産主義の煽動に最も陥りやすい要素だった」(アダムス1972[1960]:234)。
(6)定着農業労働者
 アレバロ−アルベンス政権時代の農民労働組合の主力になる。
(7)都市労働者
 人口増加が顕著であったにもかかわらず1960年代当時十分に調査されていない。

■グアテマラの共産主義化を理解するアダムスのキーコンセプト
1)断片化した諸文化の集合体から国民的文化、つまり「たえず進化する文化」への入り口に立たされている。
2)この変化は、生産と技術の変化から生じているのではなく、政治的社会的革新によって口火が切られる。
 アダムスが提示する疑問「なぜ、グアテマラ人は経済的あるいは技術的変化よりも急進的な政治的変化を求めるのか?」
 44年革命後、亡命をしていた社会変革を求める人々の帰還し、ウビコ独裁崩壊後の新たなナショナリズムの風潮のなかで、彼らがロシア型の社会変革のモデ ル(=共産主義)を導入した(アダムス1972[1960]:248-9)。つまりナショナリズムの追い風に共産主義者の煽動が成功したというのがアダム スの見方。

→アダムスはアメリカの外交政策が、グアテマラをはじめとするラテンアメリカ人に訴えかけることに失敗しており、ソビエト指導の反米煽動に十分に対抗して いないと主張し、人々がおかれた歴史的社会的状況を理解することを強調する(アダムス1972[1960]:256)。また、彼はアメリカ人やその社会 が、ラテンアメリカ人にとっての敵意の的になっていることを危惧し、それらが共産主義勢力による宣伝と同時に、アメリカ側の宣伝不足、とくにラテンアメリ カの文化的・経済的背景を無視した不適切な宣伝という2つの理由をあげている(アダムス1972[1960]:262-3)。

■1954年以降のアメリカの援助とその挫折
「1954年に両国間の友好関係が再開すると、米国は、その学び取った教訓に教訓に合わせて政策を調整しようと努めた。そして技術援助使節団が急速に拡充 され、新しい使節団が設置されたが、しかしそれらはしばしばワシントンの確固たる支持が不足したことをおよび計画の立案・実施に必要なグアテマラ現地の指 導者の不足したことのために苦境におかれた。……1954年以降、グアテマラ政府ないしは米国がその果敢な新経済計画の実施にはかばかしい前進を示さな かった理由は、正確にはわかっていない」(アダムス1972[1960]:255)。
「米国は、第二次大戦後と1954年革命後と二度も、グアテマラその他のラテン・アメリカ各地で始まった変革の意味や方向を理解することに失敗した。米国 は、台頭する指導者たちに確信を与え、また主要な国民層の経験しつつある変化に合致するような、対社会変化政策を打ち出すことに失敗したのである。……わ れわれは、グアテマラのような国の国民は自国の問題を単に技術援助や経済開発の視角だけからみていないことを認識しなければならない」(アダムス1972 [1960]:263)。

--------アダムスの歴史文献(おわり)--------


■先住民族の定義
・1989年ILO、第169号※「先住民と部族民の協定」の採択
・1982年以降、国連人権委員会を中心に先住民族の権利に関する国連宣言の起草作業が続いている。
・1992年リゴベルタ・メンチュ、ノーベル平和賞受賞
・国際先住民族年(1993):先住民族の国際10年(1994-2003年)
※ILO、第169号※「先住民と部族民の協定」(1989)における定義(第1条1-(b))
「独立国において征服、植民もしくは現行の国境の確定時にその国ないしはその国に属することになる地域に居住していた人びとの子孫であり、その法的状況が いかなるものであるにせよ、社会的・経済的・文化的・政治的に固有の制度をすべて、ないしはその一部を保持している民族」(C169 Indigenous and Tribal People Convention, 1989. "peoples in independent countries who are regarded as indigenous on account of their descent from the populations which inhabited the country, or a geographical region to which the country belongs, at the time of conquest or colonisation or the establishment of present state boundaries and who, irrespective of their legal status, retain  some or all of their own social, economic, cultural and political institutions.")

■先住民族の比率統計に関する論争
・グアテマラの公式統計では、1823年から1989年までは先住民(その大多数はマヤ系)の比率は低下している。
・これを先住民族に対する統計的ジェノサイドと批判する意見がある(Cojti 1981)。
・この問題を当局である国家統計局(INE)も最近は認識するようになり、1994年の第10回センサスでは、調査官による観察ではなく自己認識を採用するようになった(INE 1996)。そのため1994年には先住民の人口比は81年のものにくらべて微増した。

■先住民運動に対するバックラッシュ
・グアテマラ国民の「統合性」に対する反逆者(「グアテマラをこれ以上、分割するな("no dividir ma's a Guatemala")」)[→国民的課題であるベリーズ領有権問題を示唆する]。

■先住民性についての4つの誤謬(Four fallacies of "Indianness", Warren 1998:70-72)
1)<先住民性は単線的な歴史的時期の産物である>
 これらの議論は、歴史が先住民性をつくりあげてきたとみる。例として、文化本質主義、先住民ロマン主義、文化残存学派(cultural survival)、スペイン植民によって形成(「征服の遺産 Heritage of Conquest」論者)、自由主義革命時代に労働者として先住民族がつくられたとする歴史形成論。(→ただし、氾マヤ運動などは、この文化本質主義を武 器に先住民性をほかの人びとにアピールし社会運動に一定を寄与をしてきた。戦略的本質主義(Spivak))
2)<文化的に多元体系のなかでの変化は不可避的に「文化喪失 culture loss」を意味する>
 先住民族は崩壊するラディノ化(ladinizacio'n)の理論。しかし、ラディノ化論者であったR・アダムスでさえ、その変化のプロセスの中に多様性を認められるとしている。また実態として、先住民の具体的な文化の内実の多様性は広がりつつある。
3)<民族性=エスニシティは資本主義的発展にともなった、個人主義の出現や農民の階級関係の変容といっしょに衰退する>
 近代化によって先住民性が失われると主張するのは近代化論あるいはマルクス主義者である。近代化論においては、先住民性は資本主義の発展の障害であり、後者にとっては階級闘争の障害となる。ともに、先住民族が共同体に暮らす農民という前提がある。
4)<エスニック・アイデンティティの実質とは優位な文化に対する防衛や対抗的反作用から生まれてきた>
 この種の議論は経済決定主義に対する文化論者からしばしば主張されるものであるが、先住民と非先住民を二項対立的にとらえ、先住民族性を支配的な文化の鏡像としてみようする。つまり、文化運動の独自性や新奇性に着目しない。

■拙著「暴力の内旋」英語版への1人のレフェリーのコメント(抜粋)
    1.ラディノが村に居住しなくなったからといって経済的政治的権力をラディノが放棄するとは限らない(実証が必要)。和平後、ラディノが戻ってきて権利を主張する場合も考えられる。
    2.「過去」と「現在」をこのように簡単に比較できるのか? 過去はコフラディア、現在はネオリベラルとはじめからセットになって提示されるのはなぜか? (当事者がそのように語るのか?、もしそうであれば、「なぜ」当人たちがどのように言うのか考察すべきである)
    3.発動される暴力と抑圧としての暴力(=恐怖)は、充分社会的秩序を維持しうる。したがって経済活動がスムーズに運ぶこともありえる。戦争と暴力を一緒にしているのではないか。
    4.仮に焼け太りしからといって、火事にあってよかったねとは言えない。失ったものと得たものを単純に比較できると考えるのは、それこそ底の浅い「経済」 通のすることではないか?(→類似のコメント:天皇制ファシズムを退場させたから第二次大戦とそこでの日本の敗北はめでたいと言ってしまうのではないか?  逆向きの決定論ではないのか?)
    5.要するに1981-82を境にコフラディアが壊れ、インディオたちは解放されたので、経済的上昇が望めるという話なのか。だとすれば、コフラディアを 壊すのは暴力である必要があるのか? インディオたちは解放されたのか? 解放されたとして(経済的)上昇は望めるのか? コフラディアとコフラディア伝 統をわけて議論すべきではなかったのか?


■用語辞典
CNR: Cimision Nacional de Reconciliacion 国民和解委員会

COPMAGUA: Coordinacion de Organizaciones del Pueblo Maya:マヤ民族調整会議

MR13:11月13日革命運動

FAR:武装反乱軍

EGP:貧民ゲリラ軍

OPRA:武装人民組織Organizacion Popular de Rebeldes Armados?

PGT:グアテマラ労働党

URNG:グアテマラ国民革命連合

【文献】

    アダムス、リチャード、N.ほか『革命期のラテン・アメリカ』石井章ほか訳、東京:新世界社、1972年(Adams, Richard N., 1960. Social Change in Latin America Today: its implications for United States policy. New York: Council on Foreign Relations.)

・狐崎知巳「グアテマラ先住民族運動に関する予備的考察」吉田秀穂編『ラテンアメリカの政治・社会問題の新局面』Pp.45-60、東京:アジア経済研究所、1997年

    Carmack, Robert M. ed. 1988. Harvest of violence : the Maya Indians and the Guatemalan crisis. Norman: University ofOklahoma Press.

    Cojti Cuxil, Demetrio. 1991. La Configuracio'n del Pensamiento Poli'tico del Pueblo Maya. Quetzaltenango, Guatemala: El Estudiante.

    Marti'nez Pela'ez, Severo.  La patria del criollo: ensayo de interpretacio'n de la realidad colonial guatemalteca.  Guatemala, Universidad de San Carlos: Editorial Universitaria, 1970.

    Sluka, Jeffrey A. ed., 2000. Death squad : the anthropology of state terror. Philadelphia : University of Pennsylvania Press.

    Sluka, Jeffrey A.2000. Introduction: State terror and anthropology. in "Death squad : the anthropology of state terror.", Pp.1-45. Philadelphia : University of Pennsylvania Press.

    Suarez-Orozco, Marcelo. 1990. Speaking the unspeakable: Toward a psychosocial understanding of response to terror. Ehos 18(3):353-383.

    Taussig, Michael. 1992. The Nervous System. London: Routledge.a

・Warren, Key B., 1998. Indigenous Movements and Their Critics: Pan-Maya activism in Guatemala. Princeton: Princeton University Press.



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