日本からコンビニがなくなる日
解説:池田光穂
鬼面人を驚かす話ですが、日本からコンビニがなくなる日がくるかもしれません。
ん、な馬鹿なとおもう人がいるかもしれませんが、こういう話です。
(1)コンビニ店は、いわゆるフランチャイズです。
(2)コンビニ産業は、ものを売っているのではなく、POSやEOBを武器にしてブランドと情報を売っている会社です。
(3)コンビニの各店舗の売り上げの何割かはフランチャイズ本部に吸収されます(情報提供の代価と、ブランドという代紋に対する利用料)。
つまりコンビニ産業が成長するためには、フランチャイズ加盟店を増やしつづけるということをおこなわねばなりません。これは無限連鎖講と似ていないことはありません(もっとも資本主義そのものが巧妙な無限連鎖講ですが・・・)。
しかし、共産主義革命と同様、国民の一人一人がコンビニ店の店主となるわけにはなりません。つまり、マーケットには限界があるということです。これが、フランチャイズ方式による利益率の限界という側面です。
つぎに、フランチャイズというシステムの不正義です。これは、フランチャイズへの負担が大きくて廃業に追い込まれた元店主たちの訴訟に代表されているように、コンビニ産業が提供する情報への代価とブランド(代紋)の使用料に対する不満がこれから出てくる可能性があります。
コンビニ産業にとっては、これがフランチャイズシステムの限界だと言い訳するしかありませんが、コンビニ店の店主に言わせれば、その経営が軌道に乗れば乗るほど、ブランド(代紋)に対する対価は徐々に重荷になってきます。
さらに、コンビニやファストフード店に対するブランド価値の低下です。自然食品嗜好やスローフードへの転換を図る人たちには、コンビニやファストフード店は将来悪の牙城と見なされる可能性があります。
つまり、コンビニ店に対する消費者の客離れが進行します。これは、コンビニ店の店主のみならず、フランチャイズを提供するコンビニ企業そのものへの脅威になります。なぜなら、右上りの消費構造がコンビニ消費システムを支えてきたからです。
そこで、きわめて一枚岩だった、あるいはそのような従属を強いられてきたコンビニ店が、自らシステムを構築したり、スローフード的サービス化を試みるようになります。つまり、コンビニ企業と店主たちのあいだに亀裂が入ります。コンビニのノウハウを仕入れた店主達は、フランチャイズ(代紋)を返したり、新興のマイクロ企業家たちによってコンビニテリトリー(シマ)は蚕食されていきます。
これが、日本からコンビニが無くなるシナリオです。
もちろん、ここでコンビニが無くなるとは「絶滅」するという意味ではなく、後の人たちから「コンビニという懐かしい小売りのシステムもあったねぇ〜」――中年以上の人たちなら「あそこの角にタバコ屋(パン屋)さんがあったねぇ、いまは自販機になって後継者がいなくなったんだろうねぇ〜」という話が分かるでしょう?――というエピソードに終わる日がいつかはくるという意味でお話しました。
2003.01.12
てなことを昔書いて――というのは私の教え子にかつてコンビニをテーマに卒論を書いた学生がいたからです。すでに1999年に『新教養主義宣言』において山形浩生が次のようなことを書いています。慧眼ですので、今日でも引用に値します(Dec. 25, 2006)。
「コンビニのPOSは一日単位、いやそれ以下でとられて分析している。これは在庫の調整が一日単位でできるからなのだ。というか、コンビニは店頭がほとんど在庫そのものだったりするから、そうしないとダメなのだ。そういう環境では、一日単位の売り上げデータというものは意味を持ってくる。情報に対応する行動の裏付けがあって初めて情報には価値が出てくる。その行動を可能にする財力、資本力、物質力があって、初めてその情報には価値がある」(山形 1999:58)。
この主張を私(池田)がパラフレーズして承けるとすると次のようなことをその含意があると思われます。
【テーゼ1】
コンビニは、商品をストックしてお客に売るという商売をしているのではなく、商品の受け渡しをしているエージェントである。極端に言うと、コンビニとは宅配便の事務所ないしは郵便局の私書箱みたいなもの(町のほっとステーションというのは、それなしには消費生活が成り立たないからという意味ではある意味で正しい標語ではある)。
【テーゼ2】
コンビニは毎日死に、毎日生まれていると言うこともできる。またフランチャイズにおける、のれんの利用料を払い、また仕入先から経営者という観点からみると、それぞれのコンビニが姿を消して、また近隣の別のコンビニが誕生していること事態が、その都度、その局所的な場所において、コンビニが消失している状態をみることができる。コンビニが絶えることのないように見えるのは、フランチャイズのもとで店主と労働者が生存維持のレベルで動いているからであり、そのような機能が働くなった時、コンビニは無くなったということが言える。ただし、これは私の上の議論からみると、かなり屁理屈ではある。
2009年4月の付記
(付記)その後、現在(2009年4月)では、コンビニ業界はもともと親会社あるいは関連企業(ホールディングスと呼ばれる持ち株会社の系列に入る)であるスーパーマーケット業界や金融、運輸通信業などとの連携を強め、その生き残りをかけて、我々の生活の隙間の角までの消費に介入しようとしてきています。日本からコンビニがなくなるよりも(逆に)日本的生活らしさそのものが変化しているのかもしれません。コンビニによりむしろ[かつての]日本がなくなっているのかも知れません。
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