剽窃(ひょうせつ)について
―インターネット時代の学生の剽窃について考える―

剽窃(ひょうせつ)とは、他人の考えや主張をことわりもなしに盗むことです。
泥棒が私的財産権の侵害として罰せられるのと同様に、学問の業界では、他人の考え方や主張をことわりもなしに盗むことは禁じられています。
ただし、剽窃の場合、私的財産への侵害とは多少異なり、実際に<具体的な事物>を盗むことではありませんので、事情が多少異なります。つまり、ある一定のルールのもとで、他人の考えや主張を受けながら、自分なりに発展させ、学問の世界に寄与するという行為は、学問の世界では賞賛されるべき行為となるのです。
冒頭の<ことわり>とは引用のルールということです。引用のルールについては類書を参照してください。
私は、これに関しては、ウンベルト・エコ『論文作法』谷口勇訳、而立書房、1991年が単なるマニュアルを超えて、剽窃の文化についてまで踏み込んだ、もっとも示唆に満ちた書物であると思います。慧眼なもう一人に我が国の思想家林達夫(はやし・たつお、1896-1984)がおります。彼のエッセー「いわゆる剽窃」は岩波文庫の『林達夫評論集』;平凡社ライブラリー『林達夫セレクション(I)』(鶴見俊輔監修)で読めます。
コンピュータのない時代は、学生がおこなっていた剽窃とは、図書館でしこしこと学術書を抜き書きすることでした。これは、今から考えていたら、抜き書きという手作業を通して(結果的に)勉強になったという副産物もありました。ちょうど、読書ノートを取るようなスピードで本を再読するようなものだからです。
ところが、インターネットの時代になって、学生はウェブ検索をかけて、ふむふむと該当個所をカット&コピーで、自分のテキスト画面に貼りつけるだけですから、その知的レベルの衰退は顕著です。
他方、元の電子テキストが十分に練られたものであれば、そのレポートをチェックする教師は、剽窃の事実を発見することが難しくなります。教師は、学生を信頼することを前提に授業をおこなっていますので、もし、平気で剽窃をおこなう学生やその常習者がいると、たいへんこまったことになります(例:教師の側のモラル・パニックをおこして、過剰な反動を生む)。
したがって、学生のレポート、タームペーパー、卒業論文、報告書類などに、剽窃の事実が判明した場合、それを厳罰に処していることをご理解ください。