病=気 Dis-ease
ここが新しい!:病い、病(やまい)である illness と疾患である disease という調和的な棲み分け概念を乗り越えて、疾患概念そのものが社会的であることを明示した点にある。
病=気(dis-ease)とは、医療人類学における illness/disease の二分法的な理解(→病いと疾病)を批判し、生物医学的な診断である疾患(disease)においてもなお、社会的な苦悩のもとにあることを示唆する言葉遊び、ないしは言語学的分解に由来する、病気の新しい概念である。
病=気(dis-ease)とは、「容易ならざる状態」のことであり、病者の存在様式全体を指し示す用語である。人は病=気になるのであり、病=気は、病(やまい)と疾患に分けられるものでもない。
この用語を使い始めた一人にKaren-Sue Taussig がいる。(下記の彼女自身のコメントを参照のこと)
従来、illness は 病気の民俗的概念であり、人々の生活世界を映し出すものであり、生物医学的な疾患(disease)とは区別されるという概念的整理がなされてきた。しかしながら、疾患を取り扱う医療者・保健従事者の文化社会的研究から、疾患概念においても時代や社会的価値観が投影されたものであるという指摘がなされており、久しく illnessとdiseaseを対立的に描くことの限界については多くの研究者が気づいていた。
また、文化主義にもとづく素朴なillnessに焦点を当てる研究アプローチも、社会生活そのものの医療化現象のために、diseaseのことを考慮するようになってきていた。もちろん、このような認識論的区分は、用語法にまつわる政治的問題――認識論区分は病者の存在様式にかかわる政治性とは何ら関係がない――が浮上してきたため、早くからその限界性が指摘されていた。
● 病いと疾病
【池田光穂の質問】
私は、英語ネイティヴスピーカーの一般的学術用語において、Dis-Easeがどのように使われているかを知りたいと思います。ご存じのように疾病(disease)と病い(illness)の二分法のように、あなたは、Dis-Easeを「社会化した疾患(socialized disease)」というふうに[疾病概念を]拡大したかたちで使った。すなわち[Dis-Easeを]疾病あるいは人間の苦悩の社会的意味である、というふうにお考えなのでしょうか。
【Karen-Sue Taussig さんの答】
私は、病気=安易ならざるもの("dis-ease")概念というふうに[disとeaseを]節合させたあなたの理解――少なくとも私はそう考えますが――は、まったく正しいと思います。 私は、この用語を第一に次のことを想起させる、あるいは発見的な手段としてとらえています。つまり、個人の「疾病(disease)」から、社会の疾病へと移行させることです。それは、「障害」[という言葉]のように、規範の外にある存在として見なされかつ理解がなされているような、具体的な状態が容易に引き起こしている、社会的落胆、不快、不安、安楽の欠如[そのものである]というふうに、疾病をとらえることです。 もちろん、医療人類学の研究者として、私たちはdis-ease[という言葉]を「疾病(disease)」の理念がどのように理解されているかと仮想的に定義していると考えたいのですが、しかしながら「病気=安易ならざるもの("dis-ease")」という言葉を使用することによって、我々自身(=医療人類学者)と人類学の他の下位領域とそれらの幅広い関連領域における我々の同僚の双方に対して、[この病気=容易ならざるものの存在を]常に思い起こさせてくれるものとして考えたいのです。
(池田光穂 . Mitsuho Ikeda and Karen-Sue Taussig, copyright, 2002-2003)