かならず読んでください

フィールドワークの現象学

Phenomenology of anthropologist's fieldwork

Edmund Gustav Albrecht Husserl, 1859-1938

池田光穂

 次に、人類学と現象学の関係

 フィールドワークと「現地調査 の記録・民族誌」の文献研究との関係

ルード ウィヒ・ウィトゲンシュタインは、 ジェームズ・フレイザーを批判した時に、私た ちと彼らの思考を峻別する俺たちの思考様式にもとづいて連中の思考を解釈した——プロクルステス流の言説暴力——やり方を手厳しく指弾する。ウィトゲンシュタインは、金枝篇に書かれているのは「彼らのやり方=生の形式」 であって、私たちは(彼はこうは述べていないが「理解の作法」や「理解の倫理」として)ただ、素直に受け取ればよいではないかという。ここには、文化人類 学が初学者に教える認識論的相対主義や、あるいはフィールドワークの作法とての文化相対主義な どというものを突き抜けた、これまた、別の意味での人類学的態度といいものがみられる。僕たちの学問はLWの、このラディカリズムをいまだ自家薬籠中のも のとしていない。

1931年6月19日以降フレー ザー『金枝篇』に関心をもち。7月以降では771ページに及ぶタイプを打たせた。この原稿は、死後アンスコ ムにより発見される。その一部(?)はE. Beversluis による英訳により, Remarks on Frazer's Golden Bough, として、Synthese 17:233-253, 1967 として公刊されるが、これはその「第 I 部」に相当する。(→文献へのアクセスはこちらです

《引用から》

「この場合無意味なのはつぎの点 である、すなわち、それは、これらの民衆が自然の運行 に関して完全にまちがった(それどころか狂気の)イメージを抱いているかのようにフレーザーはそれを叙述しているのだが、彼らは自然現象についての注目す べきひとつの解釈をもっているに過ぎない、ということである。すなわち、彼らの自然についての知識は、彼らがそれを文章に記せば、われわれのものと根本的 には区別されないであろう。彼らの呪術だけが別のものである」ウィトゲンシュタイン「フレーザーの『金枝篇』について」(ウィトゲンシュタイン全集6、大 修館書店版、411ページ)

「これらの異なった慣習はすべ て、この場合問題になるのは一つの慣習の他の慣習からの由来ではなく、ある共通の精神である、ということを示している。そし て、人はみずからこのような儀式をすべて考え出す(創作する)ことができよう。そして、それを考え出す精神はまさにこの共通の精神であろう」——ウィトゲ ンシュタイン「フレーザーの『金枝篇』について(1931)」(ウィトゲンシュタイン全集6、大修館書店版、420-421ページ)