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ベネ ディクト・アンダーソン『想像の共同体』論

On Benedict Anderson's "Imagined Comunities: Reflections on the Origine and Spred of Nationalism," 1991

池田光穂

書誌:

その他の関連書誌(アンダーソンの翻訳)

その他の関連書誌(ナショナリズム研究の新しいパラダイム形成に寄与した著者たち)

章立て:(白川訳、1997年に準拠:一部変えています)

    1. イントロダクション
    2. 文化的ルーツ
    3. 国民意識の起源
    4. クレオールの先駆者たち
    5. 古い言語、新しいモデル
    6. 公的ナショナリズムと帝国主義
    7. 最後の波
    8. 愛国主義(パトリアティズム)と人種主義
    9. 歴史の天使
    10. センサス、地図、博物館
    11. 記憶と忘却

各部の構造(ページは1991年Verso版)

本文解説

The 'policy on barbarians' formulated by the early-nineteenth-century Colombian liberal Pedro Fermín de Vargas

  1. イントロダクション:国家の定義、国民の定義など、基本概念の整理
  2. 文化的ルーツ:想像の共同体を「国民」文学運動の初期に植民地時代に創造した作家たちが描かれる
  3. 国民意識の起源:出版語の特性や解説に多くがさかれている
  4. クレオールの先駆者たち:クレオールのメンタリティ分析の観がある。新大陸では植民地からの独立に関してクレオールのあいだに驚くべき共通性 があったことが指摘される。
  5. 古い言語、新しいモデル:前章の後半に引き続き、出版が国民国家概念を形成してゆくことが描写されるが、ヨーロッパと南北米大陸の違いもまた 解説される。
  6. 公的ナショナリズムと帝国主義
  7. 最後の波
  8. 愛国主義(パトリアティズム)と人種主義
  9. 歴史の天使
  10. センサス、地図、博物館
  11. 記憶と忘却

■想像を可能にするものは人間の「言語」活動である

「言語は、国民なるものを想像するための主たる技術としhて、さまざまな仕方でひとつの国 民を紬出(ちゅうしゅつ)する。話し言葉、書き言葉、印刷出版、宮廷言語、教育などといった国家機構、あるいは植民地支配下における統一言語などがそれに あたる。手短にいえば、言語はある一群のひとびとが、自身の属する共同体をそれ以前にはなかったような時間的・空間的枠組みで規定することを可能にする。 国民という観念(nationhood)は、どのような所与のアイデンティティも本質もないようなところの、想像の領域の存在、ひとつの文化的構成物なの である」――トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ:国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店、p.43、2003年。

■ナショナリズムの起源は新大陸にあるために、新大陸の先住民概念もまた、ナショナリズム 思想の影響を受けている?!

 ベネディクト・アンダーソンによると「……ナショナリズムの起源が新世界にあると強調す ることだった。思うに、ナショナリズムについての理論化は、これ まで長いあいだ、無自覚な地域的偏見(プロビンシャリズム)によって歪められ、ねじ向けられてきた」という(アンダーソン 1997:12-13)。

■想像の共同体=体験について

「想像の共同体は、我らが青年が読んでいるということを我々が読むという二重性によって確 認される。彼はぬかるんだスマランの道端で貧しい浮浪者の死体を 見るのではない。新聞の活字から想像するのである。彼は死んだ浮浪者が一体だれなのか、そんなことはまったく気にしない。彼が考えているのはは浮浪者が代 表する人間集団であって、一人の人間の生ではない」(アンダーソン 1997:59)。

■さまざまなナショナリスト作家たち

==============《想像の共同体ノート:2015年版:ここから》===== =========

■忘却と想起の必然性

・意識の深刻な変化はいつでも、まさにその性格上、特有の記憶喪失をともなうのである―― ベネディクト・アンダーソン(1991)(アンダーソン 1997:332); All profound changes in consciousness, by their very nature, bring with them characteristic amnesias (Anderson 1991:204)

■ナショナリズムの起源は新大陸にある!

「本書の執筆にあたってわたしがはじめに計画したことのひとつは、ナショナリズムの起源が 新世界にあると強調することだった。思うに、ナショナリズムにつ いての理論化は、これまで長いあいだ、無自覚な地域的偏見(プロビンシャリズム)によって歪められ、ねじ向けられてきた。ヨーロッパの学者は、近代社会に おいて重要なものはすべてヨーロッパに生まれたと思い上がっており、そのため、ナショナリズムに「賛成」であるか「反対」であるかを問わず、ともすれば 「第二世代」の民族言語的(エスノリングイスティック)ナショナリズム(ハンガリー・ナショナリズム、チェコ・ナショナリズム、ギリシア・ナショナリズ ム、ポーランド・ナショナショナリズム・モデル化の出発点とする」(アンダーソン 1997:12-13)。

■想像を可能にするものは人間の「言語」活動である

「言語は、国民なるものを想像するための主たる技術としhて、さまざまな仕方でひとつの国 民を紬出(ちゅうしゅつ)する。話し言葉、書き言葉、印刷出版、 宮廷言語、教育などといった国家機構、あるいは植民地支配下における統一言語などがそれにあたる。手短にいえば、言語はある一群のひとびとが、自身の属す る共同体をそれ以前にはなかったような時間的・空間的枠組みで規定することを可能にする。国民という観念(nationhood)は、どのような所与のア イデンティティも本質もないようなところの、想像の領域の存在、ひとつの文化的構成物なのである」――トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタ イ:国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店、p.43、2003年。

_________1.イントロダクション_________
(なし)
_________2.文化的ルーツ(根源)_________


■ペドロ・フェルミン・デ・ヴァルガス(バルガス)の「蛮人に関する政策」について

・Pedro Fermín de Vargas, 1762-1811?/13?. Ref. John Lynch, The Spanish-American Revolutions, 1801-1824, p.260
・「コロンビアの自由主義者ペドロ・フェルミン・デ・バルガスが定式化した「蛮人に関する政策」をみ/よ。
【引用はじめ】
我が農業の拡大のためには、我がインディオのスペイン化が肝要である。その怠惰と愚鈍、ふつうの人間の努力へのその無関心、こうしたことからすると、かれ らは、その起源からの距離に比例して退化した劣種と考えられる。……〔とすれば、インディオと〕白人の雑婚を進め、貢納その他の義務からかれらを解放する 旨宣言し、そしてさらにかれらに土地の私有を認めることによって、インディオの絶滅をはかることが望ましい。
【引用おわり】
注目すべきことに、この自由主義者は、ブラジル、アルゼンチン、アメリカ合衆国において彼の後継者がまもなく始めるように銃と細菌によってインディオを絶 減しようというのではなく、なお「貢納その他の義務からかれらを解放する旨宣言し」「土地の私有を認める」ことによって、インディオの「絶滅」を提案して いる。さらにまた、この思い上がった残忍さとともに、彼の楽観的宇宙観にも注意しておく必要がある。つまり、インディオは、結局のところ、他のすべての人 々と同様、救済可能なのである。白人の「文明化」した精液を受精し私有財産を得ることによって。(フェルミンのこの態度は、のちのヨーロッパ人帝国主義者 が、「混血」「中途半端に教育を受けた原住民」「白犬」('wog,' Westernized Oriental Gentleman)などにより「純粋の」マレー人、グルカ人、ハウザ人を好んだのとなんと違うことか。)
(アンダーソン 1997:36-37)。

【再掲】

"Consider, for example, the following 'policy on barbarians' formulated by the early-nineteenth-century Colombian liberal Pedro Fermín de Vargas:

To expand our agriculture it would be necessary to hispanicize our Indians. Their idleness, stupidity, and indifference towards normal endeavours causes one to think that they come from a degenerate race which deteriorates in proportion to the distance from its origin ... it would be very desirable that the Indians be extinguished, by miscegenation with the whites, declaring them free of tribute and othercharges, and giving them private property in land. 6)

*6: John Lynch, The Spanish.American Revolutions, 1808-1826, p. 260. Emphasis added.

How striking it is that this liberal still proposes to 'extinguish' his Indians in part by 'declaring them free of tribute' and 'giving them private property in land', rather than exterminating them by gun and microbe as his heirs in Brazil, Argentina, and the United States began to do soon afterwards. Note also, alongside the condescending cruelty, a cosmic optimism: the Indian is ultimately redeemable _ by impregnation with white, 'civilized' semen, and the acquisition of private property ,like everyone else. (How different Fermin's attitude is from the later European imperialist's preference for 'genuine' Malays, Gurkhas, and Hausas over 'half-breeds,' 'semi-educated natives,' 'wogs', and the like.)" (Anderson 1991:11-12)

Imagined communities : reflections on the origin and spread of nationalism / Benedict Anderson: hbk, : pbk. - Rev. ed. - London ; New York : Verso , 1991.


■想像の共同体=体験について

「想像の共同体は、我らが青年が読んでいるということを我々が読むという二重性によって確 認される。彼はぬかるんだスマランの道端で貧しい浮浪者の死体を 見るのではない。新聞の活字から想像するのである。彼は死んだ浮浪者が一体だれなのか、そんなことはまったく気にしない。彼が考えているのはは浮浪者が代 表する人間集団であって、一人の人間の生ではない」(アンダーソン 1997:59)。

_________3.クレオールの先駆者たち_________

■新大陸ナショナリズムの謎

・18世紀末〜19世紀初期(1821年はボリーバルの独立期)
「なぜ、まさにクレオールの共同体が、かくも早く、ヨーロッパのほとんどの地域よりもずっと以前に、我々国民という観念を発展させたのか。なぜ、多数の抑 圧されたスペイン語を話さない住民をかかえるこれらの植民地において、そうした住民を国民同胞と意識的に再定義するクレオールが生み出されたのか。そして スペインを、かれらがかくもさまざまに愛着をもっていたスペインを外敵と再定義することになったのか。なぜ、ほとんど3世紀にわたって平穏に存在してきた スペイン・アメリカ帝国が、これほど突然に18の別々の国家に分裂したのか?」(アンダーソン 1997:95)。
・従来の説明:1)18世紀後半におけるマドリードの支配強化(新税、徴税の効率化)、2)自由主義的解放思想の普及(ヨーロッパでの啓蒙思想の伝播)

■原住民の巻き込みの理由は依然として不詳

「マドリードの攻勢と自由主義の精神は、なるほどスペイン領アメリカにおける抵抗への衝動 を理解する上で重要ではあっても、それ自体としては、チリ、ベネ ズエラ、メキシコのような実体が、なぜ感情的に受け入れられ、また政治的にうまくいくことになったのか、を説明するものではない。あるいはまた、なぜ、サ ン・マルティンが、特定の原住民を「ペルー人」なる新語によって定義すべしと布告せねばならなかったのか、そしてまた、結局のところ、なぜ、あのようなほ んものの犠牲が払われたのかを説明するものでもない」(アンダーソン 1997:96)。
→これに答える鍵は「南アメリカの新生共和国が、かつてはそれぞれ、16世紀から18世紀にかけての行政上の単位であった」(Masur, Bolivar, p.638 からの引用)
→汝、すでに使えるものを用いるべし。「アメリカ革命の基本原則」(Masur, Bolivar, p.546 からの引用)
Uti possidetis, Uti possidetis (Latin for "as you possess") is a principle in international law that territory and other property remains with its possessor at the end of a conflict, unless otherwise provided for by treaty; if such a treaty does not include conditions regarding the possession of property and territory taken during the war, then the principle of uti possidetis will prevail. Wiki- https://en.wikipedia.org/wiki/Uti_possidetis

■植民地期におけるクレオール差別の実態

「南北アメリカにおいては、傾向はひじょうにはっきりしている、スペイン領アメリカで 1813年までに副王に任命された170名のうち、クレオールはわず か四名しかいなかった。この数字がどれほど驚くべきものかは、1800年当時(1370万人の原住民を支配した)西帝国の「白人」クレオール320万人に 対し、スペイン生まれのスペイン人はその5パーセント以下であったことからうかがわれよう。メキシコ革命前夜、この副王領のクレオールと半島人の比率は 70対1という圧倒的なものであったにもかかわらず、クレオールの司教は一人しかいなかった。そして、言うまでもなく、クレオールがスペインにおいて重要 な官職に昇るなどということは、ほとんど考えられないことであった」(アンダーソン 1997:102)。

■排斥の理由=クレオールの生物学的「増殖」とペニンスラールからの「汚染」の概念

「それでは、こうした排斥は、本国において、なぜ合理的とみえたのか。それは疑いもなく、 16世紀以来、ヨーロッパ人およびヨーロッパ権力が地球全体へと 拡大するにともなって。生物学的、生態学的汚染の概念が成長し、これが、伝統あるマキアヴェリ主義と合流したためだった。君主の視角から見れば、アメリカ のクレオールは、かれらが止むことなく増え続け、また世代毎に現地定着化の傾向を深めることによって、歴史に例のない政治的難問を突きつけていた。史上初 めて、本国は、ヨーロッパのはるかかなたで、当時としては膨大な数の「ヨーロッパ人間同胞」(スペイン領アメリカで、その人口は、1800年までに300 万を超えていた)に対処せねばならなかった」(アンダーソン 1997:103)。
・クレオールはペニンスラール(半島人)と同等の資格をもつライバルだったが、つねに従属的立場にあった。
・このような新大陸のクレオールは、どの地域においてもそれほど大きな偏りもなく共通のアメリカ人意識をもっていた(nosotros los Americanos, nuestro America)(アンダーソン 1997:109)。

■人種差別は不均等・不均質におこる

人種差別は、エスノセントリズムにより自己とは異質のものを「均質均等」に差別するもので はない。さまざまな、民族間の歴史的権力関係ならびに多寡などを 通して、その差別選好は、不均等・不均質におこる。

_________4.クレオールの先駆者たち_________
(なし)
_________5.古い言語、新しいモデル_________

■ヘルダーの認識はヨーロッパ外の状況に無知だった証左

「いくつかの歴然とヨーロッパ外的な事実をこともなげに無視して、偉大なるかのヨハン・ ゴットフリート・フォン・ヘルダー(1744-1803)は18世 紀末にこう宣言している。「あらゆる民(フォルク)は国民(フォルク)であり、それ自身の国民的性格とそれ自身の言語をもつ。」このすばらしく狭小なヨー ロッパ的国民概念、私有財産的言語と結合した国民の概念は、19世紀ヨーロッパにおいて広範な影響をもち、さらにより狭く、ナショナリズムの性格に関する 後年の理論化に影響を及ぼした。では、この夢の淵源は一体何だったのか。おそらくそれは、14世紀にはすでに始まっていたヨーロッパ世界の深刻な時間的・ 空間的縮小にあり、それは当初、人文主義者の〔古典〕発掘によって、そして後には逆説的に、ヨーロッパの全地球的拡大によって引き起こされたものである」 (アンダーソン 1997:121)。
→ヨーロッパにとって自己規定の原因になったから、ナショナリズム概念の乖離がはじまったと言えることも可能。

■帝国のひろがりと言語の広がり

「南北アメリカでは、さまざまな帝国の広がりと日常語の広がりはほとんど完全に一致してい た。ヨーロッパでは、しかしそうした符合はまれでヨーロッパ内に おける王朝の領域は、基本的に、複数の俗語地域にまたがっていた。別言すれば、そこでは権力と出版語は違う領域地図を描いていた」(アンダーソン 1997:132)。

■南北両アメリカにおける国民国家概念のゆるやかな形成

「南北アメリカの独立運動は、それについての出版が行われるようになるとすぐに、「概 念」、「モデル」、そして実に「ブループリント」となった。ニグロの 反乱へのボリーバルの恐怖、原住民に対しペルー人たれと訴えたサン・マルティンの呼びかけ、こうしたことは「現実」には押し合いへし合いしながら相互に無 秩序に進んでいった。しかし、印刷された言葉は、ボリーバルの恐怖の方はほとんど/一瞬のうちに洗い流し、その結果、かりに当時のことが思い起こされるこ とがあっても、それはとるに足らぬ変則としか映らなくなった。そうしたアメリカの混乱の中から、想像の現実(イマジンド・レアリティーズ)は姿を現した。 国民国家、共和制、公民権、人民主権、国旗、国歌その他。そしてまたそれらの対立概念――王朝帝国、君主制、絶対主義、臣民身分、世襲貴族、農奴制、ユダ ヤ人街その他――の清算。(こうしたなかで、19世紀アメリカ合衆国の「旋法」から大量の奴隷の存在が、南の共和国の「旋法」からこれらの国々の言語的共 通性が、「音脱落」したことほど驚くべきことはない。)そしてさらに、ブループリントの妥当性と一般化の可能性は、独立国家が複数存在することにより疑う 余地なく確証されたのである」(アンダーソン 1997:136-137)。

_________6.公的ナショナリズムと帝国主義_________
(なし)
_________7.最後の波_________

■もし私がオランダ人なら……(スワルディ・スルヤニングラッド[キ・ハジャル・デワントロ])

・歴史的背景:1913年バタヴィアにおける(フランス帝国主義からの)オランダ「国民解 放」100周年の祝典行事。植民地下の「原住民(=ジャワ・イン ドネシア人)」も参加、寄附をおこなうことが命令された。それに抗議する、ナショナリストであるスワルディ・スルヤニングラッドが、オランダ語で新聞に 「もし私がオランダ人であったならば」という論説を書く。アンダーソンはその文章をそのまま引用する。
・ポイントは、植民地政府たるオランダが抑圧からの解放を祝うとすれば、オランダが抑圧統治しているジャワ・インドネシア人に「解放を祝う」ことを強制す るメンタリティは信じがたい。なぜならば、解放された自分たちが祝賀する気分を、抑圧している当の「原住民」に要求することは、倒錯している。すなわち抑 圧された原住民の気持ちを理解した上で、原住民自身が祝賀をおこなう気分になれないことは誰でもが理解できるからだ。
・「私の考えでは、もし我々が(ここでは私は依然として想像上オランダ人なのであるが)原住民に対して我々の独立を祝うようにすすめるならば、それはたん に不適切だというばかりでなく、見苦しことでもある。まずなによりも我々はかれらの名誉心を傷つけることになる。なぜなら、我々は、現に我々が支配してい る国で我々の独立を祝うからである。我々は、百年前に我々が外国人の支配から解放されたことを歓喜の念で迎えようとしている。そしてそれをいま、我々が支 配している人々の目前で行おうとしている。かれらもまた我々と同様、かれら自身の独立を祝福する時が訪れることを待ち望んでいるのではないだろうか。それ とも、我々は、これらすべての原住民は我々の統治の結果、その精神をまったく喪失させてしまったとでも考えているのであろうか。もしそう考えているのだと したら、我々は自己欺踊をおかしていることになる。なぜなら、すべての共同体(コミュニティ)はたとえいかに未開であるとしても、すべての植民地支配を拒 否するものだからである。もし、私がオランダ人であったならば、私は我々自身がその独立を剥奪している国で独立の祝典を行うことはないであろう」(アン ダーソン 1997:192-193)。

_________8.愛国主義(パトリアティズム)と人種主義_________

■Mi Ultimo Adios(私の最後の哀別)――Jose Rizal

※Jose Rizal
=========
Mi Ultimo Adios
Adios, Patria adorada, region del sol querida,
Perla del Mar de Oriente, nuestro perdido Eden!
A darte voy alegre la triste mustia vida,
Y fuera más brillante más fresca, más florida,
Tambien por tí la diera, la diera por tu bien.

En campos de batalla, luchando con delirio
Otros te dan sus vidas sin dudas, sin pesar;
El sitio nada importa, ciprés, laurel ó lirio,
Cadalso ó campo abierto, combate ó cruel martirio,
Lo mismo es si lo piden la patria y el hogar.

Yo muero cuando veo que el cielo se colora
Y al fin anuncia el día trás lóbrego capuz;
Si grana necesitas para teñir tu aurora,
Vierte la sangre mía, derrámala en buen hora
Y dórela un reflejo de su naciente luz.

Mis sueños cuando apenas muchacho adolescente,
Mis sueños cuando joven ya lleno de vigor,
Fueron el verte un día, joya del mar de oriente
Secos los negros ojos, alta la tersa frente,
Sin ceño, sin arrugas, sin manchas de rubor.

Ensueño de mi vida, mi ardiente vivo anhelo,
Salud te grita el alma que pronto va á partir!
Salud! ah que es hermoso caer por darte vuelo,
Morir por darte vida, morir bajo tu cielo,
Y en tu encantada tierra la eternidad dormir.

Si sobre mi sepulcro vieres brotar un dia
Entre la espesa yerba sencilla, humilde flor,
Acércala a tus labios y besa al alma mía,
Y sienta yo en mi frente bajo la tumba fría
De tu ternura el soplo, de tu hálito el calor.

Deja a la luna verme con luz tranquila y suave;
Deja que el alba envíe su resplandor fugaz,
Deja gemir al viento con su murmullo grave,
Y si desciende y posa sobre mi cruz un ave,
Deja que el ave entone su cantico de paz.

Deja que el sol ardiendo las lluvias evapore
Y al cielo tornen puras con mi clamor en pos,
Deja que un sér amigo mi fin temprano llore
Y en las serenas tardes cuando por mi alguien ore
Ora tambien, oh Patria, por mi descanso á Dios!

Ora por todos cuantos murieron sin ventura,
Por cuantos padecieron tormentos sin igual,
Por nuestras pobres madres que gimen su amargura;
Por huérfanos y viudas, por presos en tortura
Y ora por tí que veas tu redencion final.

Y cuando en noche oscura se envuelva el cementerio
Y solos sólo muertos queden velando allí,
No turbes su reposo, no turbes el misterio
Tal vez acordes oigas de citara ó salterio,
Soy yo, querida Patria, yo que te canto á ti.

Y cuando ya mi tumba de todos olvidada
No tenga cruz ni piedra que marquen su lugar,
Deja que la are el hombre, la esparza con la azada,
Y mis cenizas antes que vuelvan á la nada,
El polvo de tu alfombra que vayan á formar.

Entonces nada importa me pongas en olvido,
Tu atmósfera, tu espacio, tus valles cruzaré,
Vibrante y limpia nota seré para tu oido,
Aroma, luz, colores, rumor, canto, gemido
Constante repitiendo la esencia de mi fé.

Mi patria idolatrada, dolor de mis dolores,
Querida Filipinas, oye el postrer adios.
Ahi te dejo todo, mis padres, mis amores.
Voy donde no hay esclavos, verdugos ni opresores,
Donde la fé no mata, donde el que reyna es Dios.

Adios, padres y hermanos, trozos del alma mía,
Amigos de la infancia en el perdido hogar,
Dad gracias que descanso del fatigoso día;
Adios, dulce extrangera, mi amiga, mi alegría,
Adios, queridos séres morir es descansar.
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"Querido hermano, cuando recibas esta carta ya habré muerto; mañana a las 7 seré ejecutado, aunque no soy culpable de rebelión." - José Rizal, 1896

Poema:
http://tagaloglang.com/Philippine-Literature/Spanish-Poems/mi-ultimo-adios-by-jose-rizal.html
Wiki - Jose Rizal,
https://es.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_Rizal

_________9.歴史の天使_________
(なし)
_________10.センサス、地図、博物館_________

■分類する格子(グリッド)

「人口調査、地図、博物館は、こうして、相互に連関することにより、後期植民地国家がその 領域について考える、その考え方を照らし出す。この考え方の縦糸 をなしているのは、すべてをトータルに捉え分類する格子(グリッド)であり、これは果てしない融通さをもって、国家が現に支配しているか、支配することを 考えているものすべて、つまり、住民、地域、宗教、言語、産物、遺跡、等々に適用できる。そしてこの格子の効果はいつでも、いかなるものについても、これ はこれであって、あれではない、これはここに属するものであって、あそこに属するものではない、と言えることにある。それは境界が截然と区切られ、限定さ れ、したがって、原則として数えることができる。(人口調査の分類、下位分類には、あのこっけいな「その他」と命名された箱があり、これが現実生活のあら ゆる不規則性をすばらしき官僚的立体画でおおいかくす。)またこの考え方の「横糸」はシリーズ化(セリアライゼーション)ともいうべきもの、つまり、世界 は複製可能な複数/からなるという前提である。特定のものはつねにあるシリーズを暫定的に表現しているにすぎず、またそうしたものとして扱われる。植民地 国家がいかなる中国人よりもまえに「中国人」のシリーズを想像し、いかなる国民主義者も登場するまえに国民主義者のシリーズを想像したのはこのためであっ た」(アンダーソン 1997:299-300)。

_________11.記憶と忘却_________


■Novelty の必然的結果としてのAntiquity

「第二の付論を書いたのは、わたしが1983年にルナンを引用したとき、わたしにはルナン が実際なにを言っているのか少しもわかっていなかったということ に屈辱的にも気付いたからであった。つまり、ここでわたしは、実際にはまったく奇妙なことを手軽に反語的なものととっていたのだった。またわたしは、この とき、新興国民がいかにして、なぜ、みずからをむかしからあるもの(アンティーク)と想像するのか、これについて明快な説明をしていないことにも気がつい た。[そしてこうしてみれば]多くの学問的著作においてマキアヴェリ的ペテン、あるいはブルジョア的空想(ファンタジー)、あるいは冷厳な歴史的事実とし て登場することが、実はもっと奥深く、もっと興味深いものだということもわかってきた。「むかしからある」と考えることは、歴史のある時点における「新し さ(ノヴェルティ)」の必然的結果だったのではないか。かりにナショナリズムが、わたしの考えたように、意識のあり方がそれまでとは根底的に変わってし まった、そういう新しい意識のかたち/を表現したものであったなら、そうした断絶の自覚、そして当然のことながら[これにともなっておこる]もっと古い意 識の忘却ということ、これがそれ自体の物語(ナラテイヴ)を創出するはずではないか。こうした角度から見れば、1820年代以降の国民主義思想に特徴的な 先祖返り的空想はその随伴現象にすぎないといえるだろう。つまり、本当に重要なことは、1820年代以降の国民主義的「記憶」と近代的な伝記・自伝の内的 前提、約束事との構造調整なのである」(アンダーソン 1997:14-15)。

"The origin of the second 'appendix' was the humiliating recognition that in 1983 I had quoted Renan without the slightest understanding of what he had actually said: I had taken as something easily ironical what was in fact utterly bizarre. The humiliation also forced me to realize that I had offered no intelligible explanation of exactly how, and why, new-emerging na'tions imagined themselves antique. What appeared in most of the scholarly writings as Machiavellian hocus-pocus, or as bourgeois fantasy, or as disinterred historical truth, struck me now as deeper and more interesting. Supposing 'antiquity' were, at a certain historical juncture, the necessary consequence' of 'novelty?' If nationalism was, as I supposed it, the expression of a radically changed form of consciousness, should not awareness of that break, and the necessary forgetting of the older consciousness, create its own narrative? Seen from this perspective, the atavistic fantasizing characteristic of most nationalist thought after the 1820s appears an epiphenomenon; what is really important is the structural alignment of post-1820s nationalist 'memory' with the inner premises and conventions of modern biography and autobiography." (Anderson 1991:xiv)


■南北米大陸への移民の規模の大きさ

「南北アメリカへのヨーロッパ人移民は驚くべき規模で行われた。18世紀末までに、スペイ ン・プルボン家の西方帝国の人口1690万人のうち、少なくとも 320万は「白人」(うち半島人(ペニンスラール)は15万人以下)であった。この移民の共同体の規模が、現地住民に対する圧倒的な軍事的、経済的、技術 的力とあいまって、かれらがその文化的まとまりとこの地における政治的優位を維持することを保証した。そして第三に、〔これらの帝国において〕本国は非常 に強大な官僚的、イデオロギー的装置をもち、これによってその意思を何世紀にもわたってクレオールにおしつけることができた。(兵姑の問題ひとつ考えて も、ロンドンとマドリードが、アメリカ人植民者の反乱に対し、かくも長く反革命戦争を遂行できたことはもうそれだけで大変なことであった。)(アンダーソ ン 1997:314)。

■なぜ旧大陸では新大陸にナショナリズムが出現したのか?

・「右に素描したような南北アメリカの二重性、そしてその条件、これによって、ナショナリ ズムがなぜ旧世界ではなく新世界にまず現われたのか、説明するこ とができる。しかし、これによってもまた、1776年から1825年にかけて新世界で荒れ狂った革命戦争のふたつの特徴も明らかとなる。第一に、クレオー ルの革命家はだれも、帝国には手を付砂ず、帝国の中心をヨーロッパからアメリカに移し、これまでの従属関係を逆転して、ただ権力の内的再配分だけを行おう などとは考えなかった」(アンダーソン 1997:316)。
・「北アメリカにおいても南アメリカにおいても、クレオールは、ヨーロッパ帝国主義の怪物に抵抗した他の多くの人々のように、そ/の物理的撲滅あるいは隷 属を怖れる必要はなかった。かれらは、結局のところ、「白人」で、キリスト教徒で、スペイン語か英語を話す人々だった。かれらはまた、西方帝国の経済的富 がヨーロッパの支配下に引き続きおかれるとすれば、仲介者として宗主国に必要な人々であった。したがって、かれらは、ヨーロッパに従属してはいても、同時 にヨーロッパを絶望的に怖れる必要のない、唯一の重要なヨーロッパ外的集団であった。革命戦争は、たしかに凄惨なものであったけれど、親族(キンズマン) 同士の戦争ということではなお安心できるものがあった。そしてこの家族のきずなが、やがていがみあいの時期がすぎると、かつての宗主国と新国民のあいだに ふたたび緊密な文化的、そしてときには政治的、経済的きずなを結び直す保証ともなった」(アンダーソン 1997:316-317)。

■新大陸の指導者たちは旧大陸の彼らに対してライバル心を持たず、ただ独立することを望んだ

・新大陸の指導者たちは旧大陸の彼らに対してライバル心を持たず、ただ独立することを望ん だ。そのために、必要なことは、独立のための革命や、革命の主体 たる「国民」の統一にある。
・宗主国と植民地の「歴史的連続体の爆破」が必要だった。
・「こういう直観(=「歴史的連続体の爆破」を示唆する[引用者])を如実に示すものとして1792年10月5日の国民公会の決定、つまり、それまでのキ リスト教歴を反故にして1792年9月22日の旧体制廃止と共和国宣言をはじまりとして新世界歴元年を開くという決定ほどみごとな例はない。(このあとお こった革命は新しさということについてこれほど尊大な自信をもつことはもうなかった。それは少なくともひとつにはフランス革命がつねに(革命の)祖先とみ なされたから/である)」(アンダーソン 1997:318-319)。

■このことは国民統合のために「先住民・土民・インディオ」という用語の公的言語からの放逐を意味した

・「ホセ・マリア・モレーロス・イ・パヴォン(1813年のメキシコ共和国の宣言者)がス ペイン人に処刑される少しまえに作ったあの美しい新語、我々の聖 なる革命(Nuestra Santa Revolucion)も、新しさについてのこの深甚な感覚から出てきたものだった。またサン・マルティンの1821年の布告、「今後、原住民を、イン ディオ、土民などと呼んではならない。かれらはペルーの子にしてかつ市民であり、ペルー人として知られるべきである」もとこから末日。この文章は、パリの 国民公会がキリスト教暦に対して行ったことを、「インディオ」および/または「土民」について行っている。つまり、古くからいわれなく使われてきた名称を 廃し、まったく新しい時代をはじめるものだった。「ペルー人」と「〔新世界暦〕元年」はこうして既存の世界との深刻な断絶を修辞的に画したのである」(ア ンダーソン 1997:319)。

"Out of this profound sense of newness came also nuestra santa revolucion, the beautiful neologism created by Jose Maria Morelos y Pavon (proclaimer in 1813 of the Republic of Mexico), not long before his execution by the Spaniards. Out of it too came San Martin's 1821 decree that 'in the future the aborigines shall not be called Indians or natives; they are children and citizens of Peru and they shall be known as Peruvians.' This sentence does for 'Indians' and/or 'natives' what the Convention in Paris had done for the Christian calendar - it abolished the old time-dishonoured naming and inaugurated a completely new epoch. 'Peruvians' and 'Year One' thus mark rhetorically a profound rupture with the existing world" (Anderson 1991:193).
・Source: John Lynch, The Spanish American Revolutions, 1808-1826, Chap.4
・José de San Martín, 1778-1850(アルゼンチンの軍人、クリオージョ、リマの解放者)――アルト・ペルー(=ボリビア)の攻略に際して、インカ帝国復古派と連携する前 に、ペルーとチリの解放をめざした。

■時間の計測の概念の誕生とともに歴史学が登場する

「〔新世界暦〕元年の宣言から20年もたたないうちに、歴史学の講座がはじめて、1810 年にベルリン大学で、1812年にナポレオンのソルボンヌで設立 されたことも理解できるだろう。歴史学は1820年代半ばまでには正式に「学科」として編成され、それ自体の専門雑誌を揃えるようになった。元年は速やか に紀元1792年に道を譲り、1776年と1789年の革命的断絶は歴史の系列(ヒストリカル・シリーズ)に埋め込まれたものとして、したがって歴史的先 例そしてモデルとして考えられるようになった」(アンダーソン 1997:320)。

■原初的本源への回帰としての言語/クレオールにおけるスペイン語の採用

・新大陸のナショナリズムのヨーロッパへのスピンオフにみられるパラレリズム、およびヨー ロッパにおける国民と言語の決定的な隠喩的結びつき(アンダーソ ン 1997:321)。しかし、新大陸では事情が違った。
・「南北アメリカでは問題は別のやり方で設定された。一方では、国民的独立はほとんどどこでも1830年代までに国際的に承認された。国民的独立はこうし て遺産となり、ひとつの遺産として、家系(ジェネオロジカル・シリーズ)に入ることをよぎなくされた。しかし、〔アメリカでは〕ヨーロッパで当時発展しつ つあった手段はすぐには役に立たなかった。アメリカの国民主義運動において言語は決して争点にならなかった。すでに見た/ように、本国と共通の言語(そし て共通の宗教、共通の文化)を共有すること、これが最初の国民的想像力を可能にしたのだった。たしかに「ヨーロッパ的」思考といったものがすでに作用して いると認められる事例もいくつかないわけではない。たとえば、ノア・ウェブスターの1828年版(すなわち「第二世代」)『アメリカ英語辞典』は、英語と は違う系譜をもつアメリカ語に公許の印を与えることを意図していた。パラグアイでは、グアラニ語を使用する一八世紀イエズス会の伝統によって、ホセ・ガス パール・ロドリゲス・デ・フランシアの長い排外的独裁政治(1814-1840) の下で、スペイン語とはまったく違うこの「現地」語が国語となることができた。しかし、概していえば、言語的手段によって国民性に歴史的奥行きを与えよう といういかなる試みも克服し難い困難にぶつかった。事実上すべてのクレオールは、制度的に(学校、印刷メディア、行政的慣行、等々によって)土着のアメリ カのことばではなくヨーロッパのことばにみずからを委ねていた。あまりに言語的系譜を強調することは、まさに「独立の記憶」をあいまいにする危険があり、 決定的に重要なことはこの記憶を維持することであった」(アンダーソン 1997:322-323)。

■死者に代わって歴史を書く(ミシュレ)の新大陸展開版は?

・死者に代わって歴史を書く歴史家――ミシュレ――の登場(アンダーソン 1997:323-325)。
・「こうして「第二世代」の国民主義者は、南北アメリカでもまた他のところでも、しだいに死者に「代わって」話すことを学んでいった。死者と言語的繋がり をつけることは不可能であるか、望ましくないことである。しかし、〔そうした死者に代わって話す〕この逆立ちした腹話術によって、とくに〔メキシコ〕以南 のアメリカでは、自覚的な現地主義に途が開かれることになった。その〔北〕端、メキシコでは、メキシコ人が、コロンブスの時代以前の「インド人」文明をそ の言語もわからないのにスペイン語で「代弁した。」こういう種類の墓あばきがいかに革命的なことであったか、それを見るにはこれを第II章で引用したフェ ルミン・デ・バルガスの言い方と対照させればよい。フェルミンはなお軽やかに、生きたインディオを「絶滅させる」ことを考えた。〔それから二世代〕かれの 政治的孫たちは、おそらくそのときまでにかくもしばしばインディオを絶滅させたかったであろう、かれらを「記憶」し「代弁する」という考え/にとり憑かれ ていた」(アンダーソン 1997:325-326)。
※死者を想起するために、先住民を無きものにして、それを懐かしむ――帝国主義的ノスタルジー

Yet the deaths that structure the nation's biography are of a special kind - Benedict Anderson, 1991, p.205

■死者の想起の必要性について

「国民の伝記は、ブローデルの容赦なく積み上がっていく墓地(=アナール派の統計や長期変 動のことを隠喩的に表現している:引用者)から、そのときどきの 死亡率に抗して、模範的な自殺、感動的な殉国死、暗殺、処刑、戦争、ホロコーストを奪い取ってくる。しかし、物語りの目的をはたすためには、これらの暴力 的な死は「われわれのもの」として記憶/忘却されなければならない」(アンダーソン 1997:335)。
"From Braudel' s remorselessly accumulating cemeteries, however, the nation's biography snatches, against the going mortality rate, exemplary suicides, poignant martyrdoms, assassinations, executions, wars, and holocausts. But, to serve the narrative purpose, these violent deaths must be remembered/forgotten as 'our own.'" (Anderson 1991:206)

==========ここまで《想像の共同体ノート:2015年版》==========
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以下は以前(2004年当時)の、私の読書 ノートです。

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解説:池田光穂                  

『想像の共同体』(ページは、リブロポート版[1987]によります):

ナショナリズムの起源は、新世界にある―― 本書の最も重要なテーゼのひとつ

エスノリングゥィステックなナショナリズム のモデル(=東欧の大陸ナショナリズム)は、ナショナリズムのモデル化において(ヨーロッパ人の)自民族中心主義的なバイアスが掛かっている。

・「国民(Nation)」の3つのパラドクス

・想像されたものとしての国民

・アンダーソンの文化システムの視座

・古典的共同体 vs. 想像の共同体

・真実語を学ぶことによる改宗の可能性 (p.31)

・宗教的想像共同体の整合性概念の衰退の理 由(pp.32-36)

・王国は国家主権が均等に作用しない空間で ある

・聖なる共同体への大衆への膾炙が見慣れた 視覚媒体を通してひろがった(p.41)

・中世の人びとのメシア的時間(ベンヤミ ン)/同時性

・近代的時間概念=「均質で空虚な時間」 (p.44;p.55)

・「本の一形態としての新聞とその市場との 関係」(p.55)

・出版メディアの肥大化

・18世紀後半から19世紀初頭におけるア メリカ大陸のナショナリズムの淵源

・ヨーロッパにおけるナショナリズムの特徴 (pp.102-121)

・公定ナショナリズム、pp.150-

・20世紀のナショナリズム

・地球的帝国主義(global imperialism)(p.226)

・言語が想像を形作る

■歴史的事象

■本 書に登場する思想家/作者に関する情報

その 他の書誌:

池田蛙  授業蛙  電脳蛙  医人蛙  子供蛙



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