ナショナリズム入門
解説:池田光穂
まず、ナショナリズムと愛国主義は多少異なることを、便宜的に区分して考えてみよう。
人々のあつまりの基本的な単位を国家とし、それの構成員たる国民=ネイション(nation)を維持・発展させていこうとする政治信条のこと。世界の多くの国家形態は、国民(nation)の主権の存在を認めているので、国家が国民からなりたっているという意味で国民国家(nation state)と読んでいる。
我が国(=日本国)では、国民の単位を長いあいだ(1920年代以降今日まで)「大和民族」「日本民族」と言い習わしてきたために、「民族主義(みんぞくしゅぎ)」と言われることがあるが、これはナショナリズムのことである。(→日本語の「民族」をチェックする)
ナショナリストは、(我が国では)「右翼で、頭の構造が単純な奴」というステレオタイプがあるが、これは我が国の特殊事情に由来するし、史実を必ず反映するわけではない。また、歴史的にも社会的にも左翼のインテリがナショナリストであった国民国家は数多く存在する。
つまり、国民(ネイション)と国家(ステーツ)の関係をどのようにいちづけるのかについて多様な広がりをもつために、ナショナリズムの信条にもまた多様性があり、ナショナリストが過激なのか穏健なのかは、その国の社会政治状況やまた「国民概念」が歴史的にどのように形成されてきたのか、ということに影響する。
愛国主義(patriotism)[→簡潔な解説]
もともとは郷土愛(patria, 家族:出自集団の隠喩)から生まれた言葉だが、今日では、排外主義的なナショナリストをこのように呼ぶ。愛国主義の特徴は、親族の出自原理を国家のシンボルと結びつける信条で支えられている。国家のシンボルは、憲法であったり、国旗であったり、国歌であるが、それぞれがフェティシズム的対象化されることが多い。
愛国主義は、多くは郷土の永遠性を願うために、死を賭けた結果として審美化されることが多いが、そのほとんどが、他者を犠牲にすることを前提にしている。
愛国主義が、郷土愛に根ざす普遍的な心性であるという説明には疑問をいだく人が多く、市民社会、近代社会、帝国主義などの成立過程において、しばしば過激なタイプをとることについて多くの人たちは合意している。ウィリアム・G・サムナー(1906[1975:24])によると、愛国主義は「近代国家に付属するひとつの感情。…出生や他の集団的結束よって所属する公的団体への忠誠である」と述べる。
しかし、すべての愛国者が過激な態度をとるというのも、反愛国的信条をもつ人の偏見のひとつである。愛国が、国民よりも国家を優先するという思想は危険であるが、近代の国民国家は、多かれ少なかれ、公教育を通して、国歌や国旗への国民的忠誠を誓わせるような教育をおこなっている。それらは、かならずしも強制的なものではなく、愛国をめぐる具体的な社会状況――愛国的信条は国内外の「敵」(多くの場合は隣国)の印象操作によって強度が決まりやすい――によって国民の間に自発的に形成されることがある。
ただし、このことにも一定の留保が必要である。日本における国歌や国旗の強制への抵抗は、1945年の日本敗戦までの帝国主義時代において、数多くの思想統制など強要されてきた側面がつよい。とりわけ国歌斉唱については、国歌としての「国民的合意がない」とか「天皇家の反映を謳った歌詞内容は国民主権の国歌にふさわしくない」という、合意形成が失敗してきたという理由で説明できるものである。
また、愛国主義の対極であると考えられる、国家権力の存在を否定するアナキズム(無政府主義)思想からは、国家崇拝の象徴物である国歌や国旗は、そもそも受け入れられないものになる。愛国主義者からみると、国歌や国旗を崇敬できない人たちは、無政府主義者を含む反愛国主義者だと安直に決めつけることがしばしばみられるが、その人たちが、別種の愛国者である可能性もあることは十分留意しなければならない。
文献:
W・G・サムナー『フォークウェイズ』青柳清孝ほか訳、東京:青木書店、1975年
まずテキストの読解から
下記の文章は、日本から遠く離れたタイの少数民の子どもたちとの触れ合いのなかで、期せずして、自分たちのノスタルジー[=時間的過去のなかに自分たちの本当の姿を見いだす心情]の中に日本のナショナリズムを見いだす意識的プロセスが見事に描かれています。各人で批判的に分析してみましょう。
新生面 タイ山岳少数民族の子どもたち
「なんて礼儀正しい子どもたちなのかと驚きました」「言葉は通じないけど、いつもニコニコと逆に気を遣ってもらった」「私たちの子どもにしたいくらいです」▼タイ里親運動十周年を記念して、熊本YMCAが招いた男女十人の”里子”たち。さよならパーティーの席で、ホストファミリーの親たちは口をそろえた▼四つの山岳少数民族の衣装が印象的だった。赤、黒、紫などの生地に凝った刺しゅう。銀色のコインが下がったものもある。日本の着物に似た部分もあり、洋裁をするという母親は「どう作ってあるのか、ほどいてみたいくらい」▼里子たちは、YMCAがチェンライ・ナムラト村に開設している寄宿舎「若竹寮」で暮らす十四〜二十一歳の中高生ら。十一日から十九日まで、農業体験や企業見学のほか、イルカウオッチングやキャンプを楽しんだ。七城小や西合志南中、九州学院高の児童・生徒たちとも交流した▼子どもたちは、熊本の印象をこう話した。「日本の人たちは、たくさん食べます」「作業が早いです。時間内にきちんと終わります」「まだ走れるような車が捨ててありました」「みんな優しかった」。なかなか鋭い観察眼。しかも、礼節と行儀をわきまえ、卑屈にもならない言い方や態度。そこには文化の品格さえ感じられた▼口には出さなかったが、ホストファミリーの親たちは、同じことを考えていたのではないか。貧困やエイズがまん延する地域で、年間五〜六万円で暮らすこの子どもたちが持っているものの中には、数十年前に日本人が失ってしまったものも多いのではないかと。
【出典】
熊本日日新聞、2003.10.23
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