「文化」概念の検討
クリフォード・ギアーツ:意味のパターン
解説:池田光穂
クリフォード・ギアーツ:意味のパターン
クリフォード・ギアツ(ギアーツ;Geertz;1926- 2006)による「文化の定義」は、次のようなものである。
「文化は象徴に表現される意味のパターンで、歴史的に伝承されるものであり、人間が生活に関する知識と態度を伝承し、永続させ、発展させるために用いる、象徴的な形式に表現され伝承される概念の体系とを表している」(ギアツ『文化の解釈学1』p.148,1987年)。
「マックス・ウェーバーと同じく、人は自ら紡ぎ出した意味の織物[蜘蛛の巣のこと――引用者]の上に支えられた動物であると信じる私は、文化とはそのような織物であると考え、したがってその分析は法則性を求める実験科学ではなく、意味を求める解釈科学であると考える。私が追い求めているのは説明であり、表面上は謎めいた社会的表現を読みとることである」[小泉訳 2002:224](『文化の解釈』)。
ギアツの意味のパターンという発想は、実は、上掲のルース・ベネディクト『文化のパターン』(原著1934)に由来するものである。彼の『文化の解釈』(原著1973)には、その影響を受けた章がある。
文化とテクストのアナロジカルな関係
(→「厚い記述」『文化の解釈』原書,pp.4-5)。抽象としての“文化”=「テクストの集合体」として検討されるべきであり、特定の“文化”=「テクストとして、社会の実体から組たてられた想像の産物として扱われるべき」ものだとした(→「ディープ・プレイ」p.27)。(→text analogy,"Local Knowledge",pp.30-33,1983)
それに対する批判「ギアーツの使ったような人類学の分析モデルはたしかに魅力的であり、その魅力のひとつは、そのモデルを使えば因果律の問題を迂回できるので、実証主義の批評家や旧来の歴史主義の批評家が頭を悩ませてきた還元主義のもつ欺瞞と決定論からの脱出路が開かれるというということである。」
また、「文化」を先験的に行為者の実践やそこから導かれる観察者が抱く観念としてみるのではなく、行為に帰属させられる規約(社会的合意)という観点から見るとどうだろうか? 犯罪行為を本人に帰属させるように、文化を本人に帰属させることは可能だろう?
「法理論家は、犯罪行為のような行為を個人に帰属さ せて、個人の有罪性を決定するという論理的問題に関 心を向けてきた。ウェーバーは、このアプローチを彼 自身の要求に適応させて、人間が社会的行為に賦与す る「意味」に関する社会理論を発展させたのである。 」(ベンディクス、ラインハルト(リンハート) 1988[1962]『マックス・ウェーバー』(下)、 折 原浩 訳、p.515、東京:三一書房.)
とまあ、以上がギアーツ(あるいはギアツ)の文化の定義だが、ギアツは、文化が人間のもつ外套のような構成要素とは考えておらず、文化と人間存在は本質的不可分であると考えているようだ。その考え方がもっとも典型的に表れるのが『文化の解釈』の第2章「人間の概念に対する文化の概念のインパクト」(Geertz 1973:34-54)ならびに第3章「文化の成長と心の進化」(Geertz 1973:56-83)である。ギアーツの文化概念の説明のときに、こちらのほうの言及はあまりされることがなかったので、読者には注意を促しておこう。この見解が晩年のギアーツにもそれほど変化がなかったことについては、2000年のギアーツの最後の図書(『現代社会を照らす光:人類学的な考察』原題:Available Light: Anthropological reflections on philosophical topics)の論文のうちジェローム・ブルーナーの生涯と学問を論じた「アンバランスな行為」や、(身体や文化の領域と思われている)情動と(脳の領域と思われている)理性の複雑な関係への注目を促した議論「文化、心、脳 / 脳、心、文化」(単語の配列における回文的表現)が参考になるだろう。
● クリフォード・ギアーツ研究(山添響子)[→現在停止中]
● Culture and Economy (中川敏)「ギアーツの苛立ち」[→移転先不詳]
■ 厚い記述ノオト(池田光穂)
■ ギアーツと文化相対主義の関係
文献
小泉潤二 2002 「言われづつけてきたこと――反=反相対主義と還元論」『解釈人類学と反=反相 対主義』ギアツ、小泉潤二編訳、Pp.196-225、東京:みすず書房.
ギアツ、クリフォード、2007『現代社会を照らす光:人類学的な考察』鏡味治也ほか訳、東京:青木書店