パリ病院学派(パリ臨床学派)年表


解説:池田光穂
「アッカークネヒトによれば、パリ臨床学派(あるいはフランス臨床主義派)は、病気の分類への関心から徹底した臨床での観察主 義と死後の病理解剖を通して、病人を診るのではなく病気を見た医学者たちと言われている。ところが、フーコーによると、その ような観察が個人についての科学的構造をもった叙述を西洋(すくなくともフランスの学者たち)が持ちうるようになったとい う、アッカークネヒトとは反対の主張をしている」。ともあれ、アッカークネヒトによると、このパリ臨床学派は、今日までの系譜につながるいわゆる「「研究室の医学」という経験がもたない、さまざま な奇妙な実践と経験の集積体であり、我々の日常経験から遠いところにあるものである。また、その医学思想の来歴も、むしろ啓 蒙主義の哲学とフランス革命後の政治的ダイナミズムとの関連で理解されなければならないものである」という(池田 online)。
アッカークネヒトに従えば、パリ病院学派あるいはパリ臨床学派は、おおまかにピネルの時代、ビシャの時代、そして折衷主義から衰退期にいたる三つの時期に大まかに分けることができる。ここでは、その3つの時期に現れた医学的テキストと同時代におこった政治的事件について、年表形式で示してみよう。
1789 第三身分は、国民議会を宣言(6月17日)
1789 →バスチーユ襲撃→封建制の廃止宣言→人権宣言→教会財産の国有化
1793 ピネルの解放(ビセトールにおいて)
1793 モンターニュ派独裁による恐怖政治(6月〜94年7月)
【第1期】ピネルの時代
1794 パリ臨床学派のはじまり(アッカークネヒト説)
1797 カバニス『医学の確実性の程度について』
1798 ピネル『疾病記述論』、フォデレ『法医学および公衆衛生概論』
1799 ブリュメール18日のクーデタ=統領政府の成立
1800 ビシャ『諸膜論』『生と死に関する生理学的研究』
1801 ピネル『精神異常に関する医学哲学的論攷』、ビシャ『記述解剖学』『一般解剖学』
1802 ピネル『臨床医学』、ベール『考察(学位論文)』
1806 コルビサール『心臓の病気』
1810 ベール『肺◇労(やまいだれ)に関する研究』
【第2期】ブルセの時代
1816 ブルセ(ブルッセ)の改革
1819 ラエンネク『間接聴診法または肺および心疾患の診断概論』
1820年代 針治療の流行
1821 ブルセ『医学学説および疾病分類体系の吟味』
1821 フォデレ『伝染病および疾病公衆衛生学教科書』
1825 フォデレ『民族(国民?)の貧困に関する歴史的道徳的小論』
1828 デルペシュ『整形学』、ビヤル『新生児乳児疾患概論』
【第3期】折衷主義の時代〜パリ学派没落
1830 パリ民衆蜂起、七月革命、七月王政(〜1848年2月)
1831-37 動物磁気調査委員会
1832 パリでコレラ流行
1836 ブイロ『医学哲学』
1848 二月革命→共和制臨時政府→年末のナポレオン三世の大統領選勝利とその後のクーデタ
1848 生物学会の創立(=臨床主義の終焉)
【ポスト臨床学派】研究室の医学
※ここからはジェラルド・ギーソンによるルイ・パスツール(1822-1895)の経歴年譜
1849-1854 ルイ・パスツール(1822-1895)ストラスブール大学理学部・化学教授
1854-1857 リール大学理学部長
1857-1867 エコール・ノルマルの理学科長兼行政監督官
1867-1874 ソルボンヌ化学教授
1867-1888 エコール・ノルマル生理化学研究所長
1888-1895 パスツール研究所長
アッカークネヒト、E.H., 1978 『パリ病院:1794-1848』舘野之男訳、東京:思索社(Ackerknecht, Erwin H. 1967. Medicine at the Paris hospital, 1794-1848., Baltimore : Johns Hopkins Press.)
ギーソン、ジェラルド L. 2000 『パスツール:実験ノートと未公開の研究』長野敬・太田英彦訳、東京:青土社(Geison, Geraald L., 1995. The Private Science of Louis Pasteur. Princeton: Princeton University Press.)
池田光穂「臨床概念の誕生」http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/061128CR.html
____「医療人類学辞典」http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/990208maodic.html