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ソクラテス的対話
Socrateic dialogue
池田光穂
【広義のソクラテス的対話】
古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前470/469-399)が、弟子のプラトンらと繰り広げた対話のことを、一般にソクラテス的対話という。
ソクラテスは生前書物を残さなかったので、高弟であるプラトン(前427-347)が書き残した一種の戯曲である「プラトンの対話編」という著作の中で、我々はソクラテスの議論展開について知ることができる。
ソクラテスの問いは、万人に向けられたものではなく、アテネの自由市民――それも若い青少年や有力者――が、その問いかけの対象であったので、女性や身分社会における奴隷などは、議論する相手の対象外だった(だからと言って、ソクラテスはとんでもない糞野郎だと考えるのは早計である――次の次の段落参照)。
彼は問いかける。幸福とはなにか、勇気とはなにか、善きものとはなにか?――結局のところ、こういう問題には我々はおろか哲人ソクラテスにおいても、完璧に答えられるものではなかった(だからソクラテスは意外と馬鹿だったと考えるのも早計である――次の段落参照)。
ソクラテスがもたらしたものは、問いに対する答えをもとめる過程の重要性であり、明確な答えがないものについて問いかけることの意義の重要性であった。なぜなら、ソクラテスは、(1)人が考えることの重要性、(2)答えられないまで問答を繰り返してのみ到達可能な「問答者が自らの無知を自覚すること」の重要性を説いたからである。
こういうことをソクラテスはねちっこくやった。彼じしんは、自らの無知を隠すようなひねくれたところ[ソクラテスの皮肉というらしい]があった。それゆえに市民生活の安寧を脅かすという咎を受け、裁判にかけられて、毒杯をあおることを求められ、拒絶することなく死んだ。
プラトンの対話編のなかの「ソクラテスの弁明」という作品は、このソクラテスの最期に対する愛弟子の執拗な記憶と関心がもたらしたものということもできる。事実、プラトンの作品はおろか古代ギリシャ文学における、珠玉の散文といわれているとのことだ。
【狭義のソクラテス的対話】
このようにして、哲学の議論における対話の重要性について確認することができるのだが、プロトコル化されたソクラテス的対話(Socratic dialogue)の起源というのは、意外と新しいようだ。
臨床哲学者の中岡成文さんはこの技法の起源を次のように解説している。
「20世紀に入って、ドイツの哲学者・教育学者レオナルト・ネルゾンLeonard Nelsonとグスタフ・ヘックマンGustav Heckmannによってグループワーク方法論として改良されたのち、とくにここ10年間、相互了解や真理を目指す理性的な相談の形として、ドイツ内外の多くの会社・公共機関で採用される度合いが高まっている。」(中岡 Online)
おなじく臨床哲学者の本間直樹さんからうかがった話をまとめると、つぎのような段取りでソクラテス的対話をすすめてゆくらしい[内容をまとめたのは私[池田]なので文責は作者にあります]。
・対話メンバーの自由で平等な発話状況を保証するような場を提供する。
・自分たちが体験した具体的な例をなるべく挙げるようにする。また、その経験は現在進行中のものではなく、すでに終わって結果がはっきりしているものがよい。その場合、失敗や曖昧なまま終わったものよりも、成功したもので、事後的に説明する際に不明瞭さがでないものが好ましい。
・伝聞推定にもとづいて、実体験から乖離した推論はなるべく控える。
・具体的な話は、状況が込み入って他の人に理解が難しいものは避ける。
先の中岡論文においても、医療現場という条件におけるソクラテス対話を促進させるために、次の7つの対話者の態度を強調されておられる(中岡 Online)。
1. 内容に関する発言を控える。
2.理解から相互理解への方向性・
3.能動的な聴取
4.具体性
5.単純だが正確性を確保する。
6.話題になっている事柄と、その関係者の峻別。
7.合意をめざすこと
このようにプロトコル化(=段取的手続き化)された狭義のソクラテス的対話を理解した際に、狭義のソクラテス的対話――それは次のような理由から原理主義的と言ってもよいかもしれない――と根本的に違うことは、広義の対話は合意を求めることが重要であり、狭義の対話にみられるような論理のゲームのプロセスの最後にソクラテスが呪詛のごとくぶつける「無知の自覚」を促す過激な方向性は希薄になっていると言わざるをえない。
真理をもとめて毒杯をあおることをかけるほどの、ど根性は対話者に要求しないのが、狭義の対話の特徴かもしれない。その分、広義の対話は、より多くの人に開かれていることは間違いがない。
ソクラテス的対話は、命賭けて殉教するほどの迫力はないが、逆にそのことを保証することで、対話の豊かさをより引き出す可能性を生んだとも言えよう。
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無理難題をいうテロ国家と名指しされた国の外交官とひつこく対話することができず、すぐに会話のテーブルを外れる某国の外交官には、少なくともソクラテス対話をつづけるような資質が欠けていると言わざるをえない。
つまり、このことが端的にあらわすように、ソクラテス的対話はいまの我々(日本に住んでいる日本人や在日外国人)にもっとも必要な生活の技かもしれない。
【関連用語】
対話コンポーネンツ(医療人類学辞典)
【文献】
中岡成文、医療におけるコミュニケーションと「ソクラテス的対話」
(http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ1-1/nakaoka1.html)確認日2007年6月28日