実践的三段論法
Practical Syllogism, じっせんてきさんだんろんぽう
解説:池田光穂
アリストテレスの三段論法とは、「大前提」「小前提」そして「結論」という命題からなる論理的な推論のことである。
(大前提)すべての人は死すべきものである。
(小前提)ソクラテスは人である。
(結論)ソクラテスは死すべきものである。
この場合、大前提は論理的ではあるが、個別の経験を必要としないのに対して、小前提は経験を必要とする。そして結論は、ソクラテスが今生きているにもかかわらず、推論者がまだ経験していないソクラテスの運命の普遍的な帰結(=ソクラテスはいずれ死ぬ)を教えてくれるのである。
実践的三段論法は、推論の過程に「思慮(プロネーシス、フロネシス)」[→リンク]を動員する方法である。ここでは、適切な結論を導くためには、あることを知っている(=テオリーア)ことよりも、為すことができる(フロネーシスあるいは、プラークシスを経由するフロネーシス)ことが重要になる。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』第6巻第7章(ベッカー版 1141b10-20)に掲げられているのは次のような事例である。
(大前提)軽い肉は消化によく健康的である
(小前提)鳥肉は軽く、健康的である
(結論)鳥肉は健康をつくりだせる
つまり、軽い肉が健康に役立つこと(=理論)を知っていても、鳥肉が軽い肉であるという経験知(=思慮)をもっていなければ健康をつくりだすことができない。
朴一功による当該箇所の引用は次のとおりである。
「「思慮」は普遍だけを対象にするのではなくて、個別的な事柄をも認識しなければならない。なぜなら、「思慮」は行為にかかわるものであって、行為は個別的な事柄にかかわるからである。それゆえ、ある人々が当の事柄について知らないのに、知っている人たちによりも行為においてまさるということがあり、とりわけ経験のある人たちはそうなのである。なぜなら、もし人が軽い肉が消化に良くて、それが健康的であることを知っていても、どんな種類の肉が軽いかについて無知であるならば、健康をつくり出すことはできないけれども、鳥肉が健康的であることを知っている人なら、いっそううまく健康をつくり出せるはずだからである」朴訳『ニコマコス倫理学』Pp.272-273、京都大学出版会、2002年。
このような推論過程が、なぜ「実践的」三段論法と形容詞つきで表現されてきたのだろうか。それは、推論に思慮を動員するものは、純粋な三段論法ではないという、これまでの哲学者たちの偏見があったからではないだろうか[→この二分法は、自由意志論争――選択の自由(libertas indifferentiae)〈対〉すでに決定されている恩寵としての自由(libertas determinationis)など――推論の絶対自由なのか、すでにその推論が予め決定されているのかという西洋の長い間の論争にも連なるものである]。アリストテレスは、このことをとりわけ実践的とも三段論法とも呼ばず、思慮を動員する推論が、がなにかを生み出す=構築することと関わっていることを示唆するだけである[→対話論理]。
「そして、「思慮」は行為にかかわるのである。したがって「思慮」は、普遍的知識と個別的知識の両方をそなえていなければならない、あるいはむしろ、個別的知識の方を、いっそうそなえていなければならない。だが、この場合にも、なにか「統括的なもの(アルキテクトニケー)」が考えられるだろう」(註:翻訳者の朴は、これを次章の政治術=政治学への前ふりととらえている)朴訳『ニコマコス倫理学』p.273、京都大学出版会、2002年。
リンク
文献
アリストテレス『ニコマコス倫理学』朴一功訳、京都大学出版会、2002年
アンスコム,G.E.M.『インテンション』菅豊彦訳、産業図書、1984年
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