感覚与件
Sense data, センス・データ
解説:池田光穂
我々の感覚を通して、直接体験できるものをさす。
人間は、世界に実在している対象や事態の影響を受けながら、ものと見、かつ世界を体験している。私が見ているこの世界は、私の知覚体験にほかならない。したがって、我々は世界にあるモノについて直接知っているわけではなく、我々の感覚を通したもの、すなわち感覚与件(センスデータ)を知覚しているのである。
感覚与件の存在を無視し、我々は世界について「あるがまま」の姿を理解できるという立場を、哲学では素朴実在論(naive realism)と呼んできた。
感覚与件に関する伝統的な議論はディビッド・ヒュームにみられるものである。
「ヒュームは、素朴実在論が間違っていることはあまりに明らかであるから、それを論破することをためらういわれはないと考えた。……もし素朴実在論に傾きそうになったら、ただ一方の眼球を押してみるだけでそれを捨てることできると、と。眼球を押すと、すべてが二重に見える。ヒュームによれば、ここで素朴実在論は、宇宙に含まれる物体の数が二倍になったのだと結論しなければなくなるだろう。しかし、どう見ても二倍になったわけではない。従って私たちは直接物質的対象を見てはいないことになる、とヒュームは考えた」(サール 2006:335)[A Treatise of Human Nature, 1951:210-211]
しかし、感覚与件を素直に受け入れると、実際には近くできない世界との感覚与件との関係について、どう理解すべきなのかという問題が生じる。
ジョン・ロックは、現実世界に対応する感覚与件と、そうでないものを区別すべきだと主張し、感覚与件の、一次的性質、二次的性質と呼び分けた。しかし、実際にどのように区分することになると難問が生じるからである。
バークリーは、感覚与件をを否定することはなかったが、経験を超えた物質対象というものは存在しないと主張した。
ヒュームは、これに対して現象主義(phenomenalism)とも言うべき立場をとり、現実の物質的対象は、我々の感覚与件の集合の中にあり、心的現象を超えるような存在などはないと主張した。
文献
サール、ジョン『マインド:心の哲学』山本貴光・吉川浩満訳、朝日出版社、2006年(原著は2004年)
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