ジョナサン・モレノ『操作される脳』ファンサイト
Dr. Jonathan D. Moreno's "
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ジョナサン・D・モレノ『操作される脳』久保田競監訳、西尾香苗訳、東京:アスキー・メディアワークス、2008年(D. Moreno, Jonathan. 2006. Mind wars: Brain research and national defense. New York: Dana Press.)
【書誌情報】210pp. ; 24 cm 内容: DARPA on your mind ; Of machines and men ; Mind games ; How tothink about the brain ; Brain reading ; Building better soldiers ; Enter the non-lethals ; Toward neurosecurity. 注記: Includes bibliographical references and index. ISBN: 9781932594164. 著者標目: Moreno, Jonathan D..分類: LCC : UH399.5 ; DC22 : 355/.07, 件名: Medicine, Military -- Research ; Medicine, Experimental ; Brain -- Research ; National security ; Human experimentation in medicine. DARPA: Defense Advanced Research Projects Agency.
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■ モレノ博士
1952年生まれ。ペンシルバニア大学・医療倫理学科・科学史および科学社会学科・科長、デビィッド・アンド・リン・シル フェン記念教授。主著は『不当なリスク』(Undue Risk: Secret State Experiments on Humans, (Routledge, 2000))。[→詳しい論文著作リストはウィキを参照してください:Dr. Jonathan D. Moreno]
【公認サイト】このサイトはジョナサン・モレノ博士ご本人 から池田をファンとしてご承認していただいた上で掲示しております(2009年 12月8日)
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■本書の作業仮説:
「1950年代や1960年代の原始的な脳の科学は、現在からすれば未発達だった。しかし、当時の国家安全保障諸機関は、未熟ではあるが、 その助けを借りれば、国家安全保障面で優位に立つことができるのではないか、と真剣に考えたのだ。今日の神経科学は、研究者の数からいっても、得られる知 見の量からいっても、おそらく最も成長著しい分野である。だとするならば、国家安全保障諸機関は現在でもその分野に大きな関心を注いでいるはずではない か」(モレノ 2008:15)。
■DARPAに対する研究者の評価
「DARPA はなぜ成功をおさめきたのだろうか? 予算がたっぷりというわけではなく(およそ30億ドルという額は、アメリカのスパイ機関が研究開発にかける予算に比 べれば見劣りがする)、知的財産の使い方が巧妙なのだ。DARPA の戦略計画によれば、「唯一の特権は過激な改革である」という。DARPA は科学機関であって、諜報機関ではないのだ(実際、過去、スパイ計画には係わらないように努めてきた)。一流の科学者を、疲れ果ててやる気が失せるぎりぎ りの所までシステム内で使い回している。予算の約90% は、大学で行われる、人間に関する重要問題の研究の支援に割かれていて、そのなかには基本的な医学研究も多く含まれている。本書で紹介する科学研究の多く はDARPA が支援していて、重大な政策上の問題がそこから起こってくるのは間違いない。だが、広く門戸を開いているその姿勢は、他の国家安全保障機関が関係する閉鎖 的な科学プログラムに比べるとはるかに好ましい、として科学者にはおおむね賞賛されている」。(モレノ 2008:33)
DARPA(http://www.darpa.mil/)
は、米国国防総省の機関で、防衛のための高等研究計画局(Defense Advanced Research Projects
Agency)のアクロニムである。日本語読みでは「ダーパ」と発音する。
■戦争向け産業はあっても平和向けの産業はない
「人々の安全な生活を保証する最適手段とは、平和を維持することだ。だが、皮肉なことに、国家安全保障に関する議論では、平和維持について は語られないことが多い。戦争用装備を売買する市場があっても平和用市場はないというのが悲しい現実だ」(モレノ 2008:38)。
■近代神経科学の著しい成長
「近年、神経科学は目覚ましく成長している。成長度の目安の一つとなるのが、北米神経科学学会(Society for Neuroscience)の成功である。1970年に設立されたこの学会は、現在では会員数3万5000名以上を誇る。また、神経科学に関する論文や書 籍、学問的プログラムの数が爆発的に増加していることからも、この分野の成長が著しいのがわかる。続々と発表される新しい知識のすべてをフォローするのは 困難だ。また、神経科学は、微積分学、一般生物学、遺伝学、生理学、分子生物学、一般化学、有機化学、生化学、物理学、行動心理学、認知心理学、知覚心理 学、哲学、コンピュータ理論、それに研究設計に至るまで、様々な分野をとりこんで統合しようとしているのだが、これらの分野の基礎をすべてマスターするの もとうてい無理な話だ。神経科学は「脳科学」と呼ばれることも多いが、実際には脳だけではなく神経系全体の科学なのだ。神経系は発達の極みにあり、驚くほ ど複雑なシステムなのだが、体中を走る神経繊維の性質やその重要性が理解されはじめたのは、ほんの最近のことである。先にあげたような多岐にわたる研究分 野を総動員し、さらに生きている人間の脳を研究する新技術を開発していくなかで、近代神経科学が誕生したのである」(モレノ 2008:40-41)。
・1950年国家安全保障会議(NSC)政策書NSC-68「米国安全保障の目的と計画」「兵力を増大させるには、米国および同盟国の科学的潜 在能力の利用を加速し、技術的優越性を拡大してゆくことが必須である」(モレノ 2008:45)。
NSC(国家安全保障会議, The National Security Council
)はホワイトハウスにある「国家安全保障会議」のことであり、大統領が議長の国防・軍事(戦争を含む)・防諜を総合したものだが、戦争一辺倒の会議をする
ものでないことを明らかにするために、1949年以降、陸軍長官、海軍長官、空軍長官を正規メンバーから除外しているのが特徴である。
・軍事国家(garrison state):エール大学の政治学者ハロルド・ラスウェルの用語:戦争状態が状態化し、軍備のみならず社会の体制が軍事化している社会。 Harold D. Lasswell, The Garrison State, American Journal of Sociology Vol. 46, No. 4 (Jan., 1941), pp. 455-468.
■社会科学者と戦争遂行
「社会科学者は戦争遂行努力に重大な貢献をしたが、社会心理学はとりわけ軍事計画作成者にとって興味をひかれる分野だった。総力戦が長引く と、一般市民には社会的にも心理的にも大きな負担がかかることになる。どうやったら心理的要因を利点に変えて自国の士気を維持し、あるいは相手国の士気を くじくことができるのだろうか? 連合国はその点を知りたがった。そこで、心理学者が動員され、態度尺度化の方法などを含め綿密な世論調査法を開発するこ とになった。その結果、公衆の心理状態が、どのようにして経済活動や物価高騰、常習的欠勤などに影響を与えているのかを見いだす手法が生み出された」(モ レノ 2008:53)。
■IC(インフォームドコンセント)の奇妙なルーツ
「プルトニウム注射以外にも問題事が起こっていて、懸念を抱いたAEC[原子力委員会——引用者]官僚は、国側の利益を守るためにイン フォームド・コンセントを進めようとした。プルトニウム注射実験の機密解除問題を扱っている、まさにそのときに、アメリカ占領下のドイツ、ニュルンベルク では、ナチスの医師の裁判が行われていた。AECの官僚はそれを気にしていたのである。1940年代後半、AEC とペンタゴンは協同して原子力飛行機を開発していた。その際、乗員の健康が原子力エンジンで損なわれないかどうか、確かめるにはどうすればよいかという問 題がもち上がった。人体実験が望ましかったが、実験対象として最適だと考えられたのは長期囚だったので、それではナチスの囚人実験が想起され、どうも具合 が悪かった。実際、強制収容所で行われた「研究」の憎むべき性質についてナチスの医師が法廷で行った証言があまりに強烈だったので、衝撃を受けた三人のア メリカ人裁判官は、人体実験の倫理について独自の規範を書こうと決意したほどだった。これが後にニュルンベルク綱領として知られるようになる」(モレノ 2008:60)。
■動物の権利問題とロボラット実験の倫理
「動物の権利保護者は、ロポラット実験ではたしかに倫理的なルールは厳守されてはいるが、だからと言って動物をバーチャルなロボットに仕立 て上げていいとは言えまい、と抗議するだろう。ラットの自己決定権に思いを至して同情心を抱く人間はほとんどいないだろうが、ここには、他の生物に対する 人間支配の適正な限界や、また人間が他の人間をコントロールする可能性という根の深い問題がある。まず最初に為すべきは、神経工学によって他人の脳を直接 コントロールすることにはいかなる倫理的問題があるのか、厳密に確定することだ。結局、人間は、何千年も前から動物を訓練し、家畜化は何万年も前から行っ てきた。そもそも、人間出現の冒頭から動物を食べてきたではないか。聖書では、自然やその創造物は人間の領土であると認められているが、これはロポラット にも適用できるのだろうか? 愛犬がカーペットの上でそそうしないように正の強化でしつけをするのと、リモコンのパネル操作によって電気刺激を送り、足を 上げて消火栓に小便をかけるように命令するのと、いったいどこが違うのだろうか? 」(モレノ 2008:93)。
■ロボヒューマンと多幸な日本人技術者
「ロボット動物以上に可能性は薄いけれども、技術的には「ロボヒューマン」も可能だろう。危険に対する耐性が高く、よく訓練された自律式の 機械兵士よりも、ロボヒューマンのほうが優れているものか、という疑問はとりあえず脇に置く。[日本の——引用者]共同通信の記者が、すでにこんな経験に ついて書いている。特製のヘッドセットを装着し、オペレータがジョイスティックを右に左に倒すと、ヘッドセットを通して電気刺激を受ける。電流のせいで体 のバランスを崩し、まっすぐ歩こうとしても歩けない。「研究者がスイッチを右に倒すたびに、右側に歩いていきたいという、奇妙で抵抗しがたい衝動が起こっ た」という。NTT の研究者は、直流電流で内耳の前庭に刺激を与えてプレッツェルのようにカーブしたルートでも誘導できると言う。この研究の目標は、バレリーナなど、複雑な 身体技能を身につけようとする人の学習能力を高めるというなんとも親切なものらしい。記者は「見ない手が脳をいじっているようだ」と締めくくっている」 (モレノ 2008:96-97)。
※監訳者である久保田競による訳注
「内耳の前庭にある感覚細胞は三次元での加速度のかかる方向を感知し、前庭細胞を経て脳に伝えている。感覚細胞に電気刺激を与えると、細胞 の興奮パターンが変わり、平衡感覚の錯覚が起きる。この研究をおこなった前田太郎は、その後、大阪大学に移り、平衡感覚に加えて視覚・聴覚・触覚といった 各種感覚のインターフェイスを備えたウェアラブル(=着用可能な)・コンピュータなどを研究している」(モレノ 2008:97 脚注)。
■ボーグと人類進化
「人間と機械の「共生体」というこの発想は、『新スターク』のファンならピンとくるだろう。ボーグはかつては有機的な生物だったが、今や機 械や電子部品を同化した種族、だ。ボーグには真に独立した個体は存在せず、「ボーグズ」という複数形表現はあり得ない。彼らはひとまとまりの「ザ・ボー グ」を構成している。アリのコロニーのような集合体なのだ。薄気味悪いこのボーグの存在理由は、出会った生物をすべて同化吸収して取り込んでしまうこと だ。/AUGCOG[DARRPA[Defense Advanced Research Projects Agency]=防衛先進研究プロジェクト・エージェンシーによる Augmented Cognition=認知増大プログラム——引用者]とボーグとの相似関係が私のアイデアだったらいいのだが、残念ながら功績はヒューマン・マシン・コグ ニション研究所のメンバーたちに譲らなければならない。ロバート・ホフマンの、グループは、「ボーグ仮説」と題した論文で、長期間の宇宙旅行が生物にとっ て深刻でおそらく解決不能な問題、たとえば無重力環境ですごすことによる骨量の減少や、放射線への暴露による深刻な障害などを引き起こす、と書いている。 母星から飛び出そうとする種にとって、どうすればいいのかは明らかだ。ホフマンたちはこう述べている。
「私たちはここで、新たな意味での進化に手を伸ばそうとしているのだ。地球上では、進化によって人間が生み出された。この生きものは自分 を再構築することができる。たとえば外観(義肢など)や身体内部の解剖学的構造(人工内耳の埋込などさらには分子生物学的な性質(遺伝子治療など)まで も、作り変えることができる。人間と機械との共生によって、私たちは進化の境界線上に達している。今や、人間という種は、自らの進化に手を加えることもで きるし、それだけではなく、進化が起こるルールを変えることさえできるようになっているのだ」」(モレノ 2008:114-115)[原著 Moreno 2006:55 ※ホフマンに関する文献は原著(Moreno 2006:186-187)参照]。
■拷問から/に加えた心理的操作
「経験を積んだ取調官ならおおむね同意するだろうが、肉体的な暴力をうけた囚人や捕虜は、ほとんどの場合、それ以上の痛みを避けるためなら 何でも進んで話すようになる。しかし、この方法では有益な情報はほとんど得られない。少なくとも他の情報源から確認をとらない限り使いものにならないよう な情報しか手に入らない。そこで、もっと微妙な心理学的アプローチが必要とされるのが常である。CIAの訓練マニュアルには、タイトルにベトナム戦争時代 のCIA の暗号名だったKUBARK という語、が入っている。この暗号名は一九六三年から使用されていた。大量の心理学的知識と経験がもりこまれたこのマニュアルが、少なくとも一世代のあい だ使われてきたのだ。
「威圧的ではないテクニックのほとんどは、不安にさせることによって効果を発揮する。尋問を受けるという状況自体が、初めて経験する者を不 安にさせる。目的は、この効果を強めて家族の感情的・心理的な紳を徹底的に破壊することだ。……この目的が達成されたなら、抵抗力はひどく弱まる。仮死状 態、つまり心理的なショックあるいは麻庫状態を示す……時期がある。ひどく傷ついたり、それほどではなくとも傷ついた経験をすることで、このような状態が 引き起こされる。それはまるで、被疑者がなじんできた世界のみならず、その世界の中での被疑者自身のイメージまでもが破壊されてしまうごときものだ。…… この時点で情報源は……はるかに従順になる」(モレノ 2008:131-132)。
■アレン・ダレスと神経科学
「一九五三年、伝説的なCIA 長官、アレン・ダレスが、外国のスパイや兵士をより科学的に扱うと決めた時、心理学界には、それに係わるだけの下地ができていた。朝鮮での国連軍捕虜の虐 待について報告を受けるとダレスはコーネル大学医学部の神経学教授二人に、共産主義者の洗脳テクニックを研究するよう依頼した。結果はウォルフ・ヒンク ル・レポートとして提出され、長年機密扱いにされていた。アジア人の尋問には何か奇妙な東洋の秘密があるに違いない、と予想していた人は多かったのだが、 その期待は裏切られた。ソビエト連邦や中国で用いられるテクニックが成功するのは、人間の弱さを利用して心理的圧力を執拗に与えるからだ、というのがウォ ルフとヒンクルの結論だった。/まず第一段階として独房に監禁し、自尊心を傷つけて看守の扱いに服従させる。看守は、解放の望みも外部と連絡をとる手だて もないことを捕虜にたたき込む。長期間立ちっぱなしにしたり睡眠中に繰り返し起こしたり、といった肉体的拷問も行う。普通なら数週間も経つうちに捕虜そこ で尋問の開始となる。ドストエフスキーの『大審問官』から引用してきたようなシーンだが、捕虜がそれまで人生で犯した「罪」をすべて並べ立て、事細かに調 べ上げるのだ。それに加えて、罪もない北朝鮮の人民に野蛮な攻撃をしただろうと決めつけて責め立てる。やっと苦しい試練が終わったかと思ったら、また初め から繰り返し。結局、全部「白状」してサインしない限りこの苦難は終わらないのがわかる。ソビエトの国家安全保障機関であるKGB もこの手法を用い、100% の成功をおさめたと言われている」(モレノ 2008:134-135)。
■未来の「人間生態学」
「キャメロンはモントリオールで活動していたが、アレン・ダレスへの報告書の共著者の一人で、全米神経学協会の前会長だったハロルド・ウォ ルフは、ニューヨークで自ら実験を行うことを申し出た。ウォルフは、自分ならCIA が利用しているものよりもさらに効果的な尋問法や教化法を突きとめられると考え、CIAの屈辱を与える行為、その他に関するファイルを請求した上で、中国 人難民100人を選んで、中国本土に送り返すことを想定し、彼らをアメリカのスパイに作り替えようとしたが、そのために「予備条件付け」を施して中国での 洗脳に耐えられるようにも訓練した。部分的にはその仕事のおかげで、米軍はSERE——survival(生存)、evasion(回避)、 resistance(抵抗)、escape(逃亡)——というプログラムを作り、捕虜になった時の敵の扱いに備えさせた。/一九五六年、ウォルフは、教 化についての研究成果を全米精神医学振興グループに報告する。ウォルフは、痛みを絶望や屈辱と結びつけるのが洗脳テクニックとして最も効果的だと述べ、侮 辱その他の中国共産党が採用した八つの強制手法を挙げた。米軍兵士には朝鮮で尋問に耐えられなかった者が多かったが、同じように捕虜にされたトルコ軍兵士 は米軍兵士よりもよく耐えていた。トルコ軍兵士は自己鍛錬を欠かさず、傷ついた仲間の面倒を見て、階層性を保って指導力が発揮されていた。米軍兵士の自己 鍛錬を改善するべきだし、民主主義や多文化主義についてさらに教育を受けるべきだともされたが、この点は、冷戦後の世界でも相変わらず通用する。アブグレ イプ刑務所で過ちを犯した兵士たちは、イスラム系アラブの価値観や信念を十分に理解していないばかりか、自分たちがそこで守ろうとしているはずの民主主義 のことさえ、よくわかっていなかったと言われているのだから。ウォルフの目標はキャメロンのそれよりもずっと大きく、異常心理学が発展すればそれでよしと いうわけではなかった。ウォルフは一九五〇年代初期にCIAに次のように語っている。「どうしたら、人間を他人の望み通りに考えさ『感じ』させたり、ふる まったりさせられるのか、また逆に、どのような影響を受けるのを避けられるのか」を解明したいと考えていたのだ。ウォルフのこのセリフは、現代の私たちか らしても大げさすぎる気がするが、実際、時代の先を行きすぎていた。なにしろ、彼は人間の環境に対する関係(「人間生態学」とウォルフは呼んだ)を研究す るのに、様々な学問分野を統合しようと志したのだ。そのような物言いや総括的で理論的な野心が異質に感じられなくなったのは、それから一五年も後のこと だった。今日では、もちろん神経科学もそうだが心理学のような分野が、本質的に異なる学問分野をまとめあげ、もともと学際的な性質をもった問題に焦点をあ てようとしているのだ」(モレノ 2008:139-140)。
■ハーバードとユナボマー
「チェイス[『ハーバードとユナボマー(Harvard and the Unabomber)』Alston Chase, ノートン社、2003年の著者]は[テッド]カジンスキーの凝り固まった反技術主義とその批判そのものは、いずれもハーバード大学のカリキュラムに起源を 探ることができると主張する。ハーバード大学では、倫理の主観性よりも科学に想定される客観性のほうを重視していた」(モレノ 2008:142)。
■抑圧的ソビエト精神医学システム
「ソビエト連邦では、精神病の診断は国家安全保障にとって極めて有効な道具だった。神経科学が発達して個人間の違いの神経学的な基礎を識別 できるようになりつつあるからこそ、こういう事態があったということは、教訓として心にとめておくべきだろう。すでに見てきたように、脳科学は戦争を戦う 上で、さらに諜報作戦を行う上で、たいへん便利な道具になる。また、国内の意見をコントロールできるような手だてが存在すれば、全体主義者は必ず欲しがる だろうが、これもまた、神経活動を解明し操作する技術が進めば、実現されるかもしれない。ソビエト共産党のやり方は概して不器用だったけれども、未来の暴 君はもっとましな手を使うかもしれないからこそ注意が必要なのだ。/ソビエト政治システムの権威であるテレサ・C ・スミスは、旧USSR の精神医学文化に、ある独特なものを見てとっている。心の病の定義が西側諸国に比べでかなり広く、反体制者を「無症候性統合失調症」という名のもとに入院 させることすらできたのだ。だが、西側では統合失調症は実際に症状(たとえば幻覚など)が出ていなければ診断もできないし、ましてや入院などありえない。 また、ソビエトは時代遅れの優生学を受け継いでもいて、心の病の原因として遺伝的なものを強調したため、家族全体を精神異常者に仕立て上げることもでき た。健康そうに見えるからといってもだめだ。「疾患隠蔽(病気ではないと嘘をつくこと)」かもしれないとされ、それはある種の「パラノイア」に典型的だと 考えられていたのである。/スミスによれば、他にも重要な要因があって、それは一見、害がない、ばかりか、積極的によいことのようにも見えるものだ。体制 側は地方の病院にも精神科をおくべしとしたのである。なるほど、ケアを受けられるのはよいことだ。問題は、抑圧的な政治システムにあっては、これら地方の 医療施設は疑わしい個人を監視するための前哨地になりうるという点だ。あいまいな精神医学を根拠として、何百万人もの反体制者が登録され、それをもとに警 察が随時検挙していくのである」(モレノ 2008:156-157)。
■モレノのデカルト理解(抄)
「デカルトは『省察』で主観性について入念に説明しようと企てる。そして結論として、外の世界とは異なり、私たちは内省によって自身の心に 直接接触できるが、対照的に外の世界についての私たちの知識は感覚器官に媒介されたものだと述べている。心の素材は場所をとらないが、脳の素材は場所をと る。それゆえデカルト学派によれば、宇宙は二元論的であり、心(精神)と物質とに分けることができる。だからこそ、心は完全に脳とは別のものなのだ」(モ レノ 2008:174-175)。
■デカルトと神
「デカルトは「考えるもの」という自らの立場を基礎として、自分の身体を含め、物質世界の存在を推論した。結局、神は往々にして、デカルト の感覚がだまされるに任せているかもしれないが、常にだまされたままにしておくようなことはしない。なぜならそれは邪悪なことであり、神の性質は邪悪さと 相反するものなのだから。デカルトはこのように論を進めた。多くの現代人にとっては、神の存在を然るべき論拠から証明しようとせずに神の性質をもち出すの は、論点回避であるように思われる。しかし、神の本質的な性質を理論的枠組における「機械じかけの神」のように用いて、哲学的な問題の最後を締めくくる哲 学史ではよくあることだ(モレノ 2008:176)。
■脳と自由意思
「紡錘状回が損傷を受けると顔を認識できなくなる、という実験結果が多数報告されている。この領域に損傷を受けた人には、この特異な問題が 生じる可能性があるのだ。しかし、二、三〇種類もの他の視覚的機能の作用に影響はない。イメージング装置を用いた研究により、信頼性に関する社会的な判断 は顔の見え方を基礎にしており、これらの判断には脳の特定のシステムが関係していると考えている神経科学者もいる。そうすると、この知覚処理は社会的な判 断と関係があると考えられるのだが、社会的な判断には扇桃体(アーモンド型の構造で、情動と関係している部位)、前頭葉(計画や複雑な社会的行動に関係す る部位)、体性感覚野(身体の表面からの感覚情報が最初に送られてくる部位)が係わっている。さらに、ややこしいことには、ここであげた領域のうちのいく つかが、自分と同じ人種の顔を好むことに関係しているという証拠を発見した研究者もいる。当然生じてくる疑問点だが、私たちには偏見がないとして、人間に はどれほどの自由意志があるのかということについて、この結果から何がわかるのだろうか?
だが、私たちの動きのすべてはニューロンの活動や脳内の血流によって決まってしまうのでは? と心配する必要はあるまい。すべての動作や 認知処理が脳の活動に還元できるからといって、これこそがその例だと考えるのはそれこそ「還元主義」というものだ。哲学者のケネス・シャフナーは、「全面 的な還元主義(sweeping reductionism)」と「潜行性の還元主義(creeping reductionism)」とを区別している。「全面的な還元主義」は、あるシステムの法則と初期状態がわかれば、その後、そのシステムがどのように変 化していくかを逐一予測することが可能だ、というもので、ニュートンの機械論的物理学の信奉者が言いそうなことだ。だが、神経科学的な説明がいつもそれほ ど機械論的だと考えるいわれはない。たとえば遺伝学は機械論にあてはまらず、そのかわりに「潜行性の」あるいは部分的な還元主義を生み出してきた。潜行性 の還元主義にはいくらでも余白がある。たとえば、DNA の分析だけで予測できる病は数えるほどしかない。環境内の毒物にさらされるなど 、他の多くの変数が働いているのだ。
神経科学は遺伝学ときっかり同じ立場にあるようだ。つまり、脳の状態は変数の範囲内で作用するということである(もちろん、神経科学の大 部分には遺伝学が含まれていて、遺伝子が神経系をコードする方法がこの変数の枠組形成に手を貸している)。もしそうならば、私たちの思考や行動の原因は、 完全に私たちのコントロールを超えたところで連鎖反応を起こしている、という概念を理解するのは難しい」(モレノ 2008:184-185)。
■fMRIと人種主義
「MRI 業界は精力的に利益をあげ、PET やSPECT など他のブレイン・イメージング装置とも相まって脳の機能的な構造の解明を驚異的に進めてきた。その成果を利用して、意図、発話、学習などの過程の研究が 始まっている。そして、ついに、fMRIを用いれば、脳の機能と思考や行動との結びつきの体系化が可能だという概念を核として研究産業が展開された[→発 達してきた?引用者]。研究結果の多くは、人間の性質のうちであまりかんばしくはないものと脳内過程との関連を示していて、そういった性質を白日のもとに 曝け出したようにも見える。
たとえば、エリザベス・フェルプス率いるニューヨーク大学の神経科学者、グループは、白人が黒人の顔を見て自動的にネガティブに評価する ことが、扁桃体の活動と関連していることを示した。刺激を受けると扇桃体が活動して情動を引き起こすのだ。それから、スタンフォード大学の研究者は、顔を 認識する領域の活動性が、自分と同じ人種の顔を見ているときのほうが高いことを発見した。自分と異なる人種に属する典型的な顔を見ると異なるニューロン群 が活性化するという結論が出されたが、シリーズで行われた実験結果はこれを支持している。これらの結果を全部考え合わせてわかってくるのは、次のようなこ とだろう。「自分たち」と「あの人たち」という概念はかつては適応的だったが、今では対立の種になりかねない、いわば進化の遺物なのだが、いまだに私たち に組み込まれているのだ。こう考えると、根深い部族主義的な傾向に立ち向かうために断固とした社会政策が必要なのはなぜかわかってくる[→ポストモダンの ルソー?:引用者]。この他、人間の道徳的決定のしかた、他人に対する共感の程度、自尊心のレベルなどを前頭葉の活動を計測して評価した研究などがある。 中には、民主党員と共和党員がキャンペーンビデオにどのように反応するか調べたものまである」(モレノ 2008:194-195)。
■嘘の配線図(→原文つき:fMRI & Lie detection)
「神経活動を利用して嘘を発見することを目標として、大量の研究が行われているが、少なくとも一つの製品が市販されている。ペンシルヴェニ ア大学の精神医学者ダニエル・ラングリーベンは、嘘をつくことに関連する脳の領域を同定するためにfMRI を使っている。ラングリーベンのチームは、「嘘と真実との認識的な違いにはそれぞれ対応する神経活動があって、それはfMRI で検出できる」と結論づけた。「特に[嘘と]関連して、……前帯状回(anterior cingulate cortex / ACC)、上前頭回(superior frontal gyrus / SFG)、左脳の運動前野、左脳の運動野、左脳の前頭頂葉(anterior parietal cortex [sic])の活動が高まる」のだという。幸いなことだ。私たちは真実を語るように配線されているというわけか。fMRIを用いた嘘発見研究のレビューに よれば、騙そうとする試みは、遂行機能中枢、特に前頭葉と前帯状回の活動と関係しているという。だが、真実を述べるときには特に活性化する領域はないそう だ。シェフィールド大学の神経科学グループは「ということは、真実を述べるのが、人間の認識とコミュニケーションのベースラインになっているのかもしれな い」と述べている。/このテクニックは、今のところ、特定の人物がいつ意図的に嘘をつくかを予測できるほどの効力をもつには至っていない。しかし、私たち にはもともと正直であろうとする傾向があるために、嘘をつくときには脳ががんばらなくてはならないという事実をもとにして、fMRI を嘘発見用に改良するのは可能だと指摘する人もいる。ハーバード大学のジョージオ・ガニスとスティーヴン・コスリンは、巧みに仕組んだ嘘をつこうとすると 脳の多くの領域で活性化が起こることを発した(もっともらしい嘘をつこうと思えば集中しなくてはならないのだ)。また、前もって練習した嘘とその場でつく 嘘を識別することもできた。同様に、南カフォルニア医科大学のチームは、若い男性が嘘をつくときに前帯状固と眼窩前頭野の活動性が高まることを発見した。 科学捜査や国家安全保障にとって、信の高い嘘発見用脳スキャンには潜在的な重要性があるのは明らかだ」(モレノ 2008:203-204)。
■fMRI & Lie detection
"A slew of studies and at least one commercial product are aimed at using neural activity in lie detection. Penn psychiatrist Daniel Langleben is using fMRI to identify brain regions associated with lying. He and his team have concluded that "cognitive differences between deception and truth have neural correlates detectable by fMRI ;' with increased activity in the "anterior cingulate cortex (ACC), the superior frontal gyrus (SFG), and the left premotor, motor, and anterior parietal cortex [sic] ... specifically associated with [deception]:' Happily, it's beginning to look as if we are wired to tell the truth. A review of studies on the use of fMRI to detect lying reports that attempts to deceive are associated with activation of executive function centers, especially the prefrontal and anterior cingulate cortices, but truthful responses don't activate any particular areas more than others. "Hence;' a University of Sheffield neuroscience group concludes, "truthful responding may comprise a relative 'baseline' in human cognition and communication:' Techniques aren't yet specific enough to predict when a particular person is being intentionally deceptive. However, there are some indications that refinement of fMRI for lie detection is possible, based on the fact that our natural inclination to be truth fullorces the brain to work harder when we lie. Harvard's Giorgio Ganis and Stephen Kosslyn have found that well organized lies involve activation of many parts of the brain-a convincing ‾e requires concentration-and rehearsed lies can be distinguished from spontaneous ones. Similarly, a Medical University of South Carolina team found increased activity among lying young males in the anterior cingulate and the orbitofrontal cortex. The forensic and national security implications of a reliable individual brain scan for lie detection are obvious"(Moreno 2006:103-104).
■脳の可塑性のルーツはジェイムズ(1890)に遡れる?
・1890年にウィリアム・ジェイムズ『心理学原理』のなかで、神経の可塑性について言及した嚆矢のひとりだとモレノはいう(モレノ 2008:211-212, 242)。
■モレノが引用するマイケル・ガザニガ『脳のなかの倫理』
「脳神経科学が読むのは脳であって心ではない。心は脳によって生み出されるものでありながら、脳とはまったく異なる手に負えない存在なので ある(梶山あゆみ訳:▲要翻訳箇所出典化)」(モレノ 2008:216)。
■人脳計画(Human Brain Project)
「ニューロインフオマティクスという分野がある。この名称は、神経科学と情報科学(コンピュータ科学、工学、物理学、数学など)を組み合わ せたものだ。ニューロインフォマティクスがおそらく最も傑出し、最も包括的に行われているのは、米国国立精神衛生研究所(National Institute of Mental Health /NIMH) のヒューマン・ブレイン・プロジェクト(Human Brain Project /HBP)だろう。ところが、少なくとも書類の上では一九九三年から行われているHBP への財政的支援が、ひいき目に見ても先行きどうなるかわからないのだ。科学的な観点からすれば、HBP への支援が不十分なのは不幸である。脳のマッピングをし、国立神経回路データベースを設立する、という魅力的な発想なのだから。NIMHによれば、HBP の最初のゴールはニューロン聞の機能的な相互作用を分析すること。また、長期的には「ニューロンの機能の強力なモデルを研究者が利用できるようにし、仮説 の形成および電子的な共同作業を促進する」ことを目指している」(モレノ 2008:219-220)。
■脳補綴(brain prosthesis)
「シリコンベースの記憶増強の可能性はこれだけではない。「脳補綴(brain prosthesis)」と呼ばれる、脳の損傷部位に代わって働くチップも開発中である。脳卒中やてんかんの患者で使用可能になれば、正常な脳の増強にも 使われるようになるかもしれない。記憶障害の患者では海馬が損傷を受けていることが多い。新しい経験はまず海馬で処理されてから、脳の他の部分に記憶とし て貯蔵される。この海馬の役割をするチップ、つまり人工的な海馬、がラットで研究されているのだ。ラットの海馬を切片にし、電気刺激してインプットとアウ トプットとの関係を記録し、マッピングする。これをもとにモデルを作製し、チップ上に符号化して再現する。チップを脳の適当な場所に置き、損傷を受けた部 分をまたぐようにしてリード線で脳と結合する。これで、損傷部分に入ってくる情報がチップに送られ、チップからの情報は基本的に損傷部分をバイパスして正 常な部分に送られることになる。発想としては簡単そうだが、南カリフォルニア大学(USC)の研究者たちは、DARPA 、海軍研究事務所、米国国立科学財団から支援をうけ、完成するまでに10年聞を費やした。USC のチームは、ラットから取り出した海馬を用い生体外でこのシステムをテスト中である。ゆくゆくは、生きたサルにチップを移植して、記憶が関係する行動の変 化が起きるかどうかテストする予定だという」」(モレノ 2008:243-244)。
■記憶をいじりますことの倫理性
「記憶をいじりまわすことは、人格的同一性についての大問題も引き起こす。一八世紀の哲学者、ディビッド・ヒュームにまでさかのぼれるのだ が、哲学では、私たちの自分自身についての概念は、意識の流れに入ってきた自分自身に関する以前の考えを含め、記憶された経験と緊密に結びつくと考えられ ているからだ。越えるべきではない境界線があると確信している人なら誰でも、記憶力や忘却力を改良することについて不安を感じるに違いない。電流をわきへ そらして脳の破損領域を回避するUSC の脳内チップは、一部のニューロンが回路から除外されることになるので、何らかの人格の変化などを引き起こす可能性をもっている。しかしオックスフォード 大学の哲学者で人格的同一性論の専門家であるバーナード・ワィリアムズは、この状況は、すでに私たちが受けいれている脳腫瘍の切除とそれほど違わないと述 べている。もちろん、たとえ同じ結果になるとしても、治療と増強とでは倫理的に話が違うという考え方もあり得るが」(モレノ 2008:246-247)。
■恐怖遺伝子の操作
「恐怖の遺伝子を操作するテクニックだ。アメリカのある優秀な研究チームが二OO 五年に報告したのだが、扇桃体で発現しているスタスミン(stathmin)という遺伝子が、生来の(学習によらない)恐怖と条件付けされた(学習した) 恐怖の両方に関連しているという。チームはこの遺伝子を欠いたマウスを繁殖させ(実験室で作り出した、ある遺伝子が欠落した実験動物のことを「ノックアウ ト」というが、これには明確な理由がある)、ケージトレーニング中に弱い電気ショックを与えるなどの嫌悪状況に置いた。ノーマルなマウスにショックを与え ると、その場にすくむという恐怖行動を示すが、ノックアワトマウスはすくむ頻度が低い。これは学習した恐怖の例だ。次に両マウスを野外の広場に置く。開け た場所は、マウスにとって生来的に恐怖を感じる場所である。結果、スタスミンをもたないマウスは広場の中央にいる時聞が長く、ノーマルマウスよりも丹念に 環境を探検した」(モレノ 2008:252-253)。
■プロプラノロール(PTSDに効果があると称される薬)の利用に関する大統領委員会の見解
「恐ろしい事件の記憶を鈍麻させることによって、世界はあまりにも居心地のよいものになり、我々は苦しみ、悪行、残酷な行為に対し無関心に なってしまうのではないだろうか。自らが選択したのではない、不可解な、悲劇的な厳しい真実の経験は、特に人間の悪の現実性を真撃に受け止めるべきである ならば、決してぬくぬくと世界に安住しているわけにはいかないことを思い起こさせてはくれないだろうか。さらに、恥ずべき、怒るべき、憎むべき事件の経験 や意識を鈍麻させることによって、賞賛すべき、感動すべき、愛でるべきものに対する反応をも鈍らせてしまう危険性が生まれるのではないだろうか。人生の最 大の喜びに鈍感になることなく、人生のきわめて辛い悲しみにだけ鈍感になれるものだろうか。……幸福な記憶だけをもつことは福音でもあるし、そしてまた災 いでもある。煩わしいことは何もなくなる。しかし、おそらくそれは、我われが人間の幸福の高みにも、隣人たちの複雑に絡み合った生活にもほとんど関心をも たなくなるために、決して絶望の深みに陥ることもない、薄っぺらな社会の一員になってしまうからだろう。結局、幸福な記憶しかもたないということと、真に 人間的に幸福になることとは同じではないのである。それは単に悲惨なことがまったくないということであるにすぎない。これは、人生の多くの困難を考えれば よくわかる類ではあるが、真の人間的幸福を求める者の願いとして十分とは言えない類の願いである(安達雄大訳、倉持武監訳:▲要翻訳箇所出典化)」(モレ ノ 2008:258-259)。
■増強(エンハンスメント)は正常の概念を再考させる
「増強に関する一般的な倫理についての現代の論争からさかのぼっていくと、一九七0年代の医学哲学雑誌上にあった難解な論考まで行き着く。 「健康」と「病気」の意味するところを問うものである。おなじみのことばだが、その概念を明確に定義するのは極めて難しい。健康であるとか病気であるとか いうのは、いつたい何を意味しているのだろうか? 「健康」と「病気」という概念からは「正常であること」という考えが生まれてくる。これは概ね同意を得 ているようだつた。統計的な意味から「正常であること」を論じる意見があった一方、「正常であること」とは生存と繁殖に関して「種として典型的な機能を」 発揮する能力があることだという意見もあった。「健康」や「病気(「dis-ease」は「安楽ではない」という意味)」という概念は直感的な目安として は使いやすいが、どれほど精緻に考察したとしても、たいして正確なものではないという事実は避けがたいようだ。たとえば、40代男性と睡眠促進剤について 考えてみよう。この年頃になって睡眠パターンが乱れる男性は多い。仮に、30代か40代あたりにある程度の不眠症が現れるのが人間の男性の典型だとしよ う。この場合、アンビエンの服用は睡眠障害の治療なのか、それとも、若いときの睡眠スケジュールを維持するための増強なのか、いったいどちらになるのだろ うか? 」(モレノ 2008:264-265)。
■できれば殺さないかつ必要以上の力を行使しない「兵器」
・リーサル・ノン=ウェポンは、もちろん『リーサル・ウェポン』(メル・ギブソン主演、リチャード・ドナー監督, 1987年)のパロディ
「グロティウスの原則のなかで、釣り合いについて述べたものはとりわけNLWs[Nonlethal Weapons/非致死性兵器:引用者] の倫理と関連が深い。もちろん、彼の原則は、戦争それ自体の正当性(Jus ad bellum/ユス・アド・ベルム)というよりは戦争で許容できる行為(jus in bello /ユス・イン・ベロ)についてのものである。だから、理論的には、紛争する団体は成功するために必要以上の力を行使してはならないことになる。もっと具体 的に言うなら、最小限の攻撃への応戦として一方的に広汎なダメージを与える権利はないのである。釣り合いの名の下に、非戦闘員を傷つけないように特別の注 意を払わなければならないのだ。これによって巻き添え被害の正当化は除外されるだろう。もちろん、アメリカ南北戦争以来、現代の紛争でよく見られる「総力 戦」という性質の注目すべき点として、社会に含まれるどんな人たちも暴力効から守られてはいないことが挙げられる」(モレノ 2008:314)。
■正戦論
(脚注部分:監訳者の久保田競によるオリジナルなコメントには思えない格調ある文章なので、たぶん訳者(西尾)か編集者であろう)
「正戦論はアワグスティヌスが一定の戦争の正当化をキリスト教神学で基礎づけたことに始まる。トマス・アクイナスは同じくキリスト教的立場 から正戦の体系化を進めた。神学的正戦論ではキリスト教的正義を守る側の行為だけが正当化された。要するに正当なキリスト教だけが正義で、それ以外はすべ て悪だとするものだった。これは後の十字軍や非ヨーロッパ地域への侵略と植民地支配の理論的根拠ともなった。グロティウスは『戦争と平和の法』などを著 し、戦争自体の正当性(ユス・アド・ベルム)だけではなく戦争中の行為の正当性(ユス・イン・ベロ)について論じた。正当性に関するこの二段構えの議論 が、後に形成されていく戦時国際法の構造の土台をなすことになる。一八世紀以降、植民地でのヨーロッパ諸国間の争いが始まるに至って、当事国を平等なもの とみなす無差別戦争観が主張されるようになった。これは正戦か否かを区別せずに、戦争を主権国家の正当な権利として認めるというものであり、正戦論は衰退 していった。二O世紀に入ってからは、二度の世界大戦があまりに甚大な被害をもたらしたため、無差別戦争観は戦争違法観に取ってかわられ、ジュネーヴ議定 書や国際連合憲章などでは戦争を含む武力行使が国際法に違反すると明言された。だが、国違憲章には軍事的制裁や自衛権について定めた部分があり、これは一 定の条件下での武力行使を正当化すると解釈することも可能なために、正戦論の復活だと考える意見もある」(著者不詳)(モレノ 2008:314-315)。
■デュアルユース(Dual-use technology)問題
「科学コミュニティーは、自分たちの研究がもたらすだろう思いがけない結果に対し、もっと力を入れて取り組む必要がある。化学生物兵器管理 研究所(Chemical and Biological Arms Control Institute)の前ディレクター、マイケル・ムーディーは次のように述べている。「ライフサイエンスの分野で研究している人々の態度は、核コミュニ ティーの人々とはまったく対照的です。核時代が始まったそのときから、物理学者たちは、アインシュタインも含めて原子力の危険性を理解し、その危険性に対 処するためには自分たちが積極的に参与する必要があることも十分認識していました。ところがライフサイエンス分野はこの点に関して遅れています。自分の研 究が危険を招く可能性をもつことに目をつぶっている人が多いのです」。だが、私の経験から言えば、近年の幹細胞研究や人工知能に関する論争に直面して、ラ イフサイエンス分野の科学者のあいだでも、公共的な活動に参加する必要があるという感覚が強くなり、かつ根付きはじめてもいるようだ。同様に、デュアル ユース問題についても、一流の科学者たちにも公共活動の必要性に目覚め、参加し、考えてもらう必要がある」(モレノ 2008:318-319)。
"In politics and diplomacy, dual-use is technology that can be used for both peaceful and military aims." -Dual-use technology .
デュアルユースで有名なものには以下のようなものがある。
デュアルユースで考えなきゃならない課題
■モレノとランチを食べたある生物兵器防衛の専門家はいう
・フランス革命軍ははじめて、抽象的な理念のために戦い勝利することができた。クラウゼビッツは、志願兵と徴募兵による市民の軍隊がなぜ愛 国心や国家への忠誠のために戦う(=死ぬ)ことができるのかいついて関心をもち、それが兵隊の心のなかにあることに気がついた。それが、彼の戦争論の執筆 の理由なのだと。(モレノ 2008:349-350)。
■ゴルゴ13のパワースーツ兵[訳者解説]
「ゴルゴ13の「装甲兵SDR2 」(リイド社SP コミックス『ゴルゴ13』第一四八巻)にはパワードスーツの重装備歩兵が登場する。日本企業が開発した二足歩行ロボット技術をベースにした半ロボット兵で ある。重火器を装備した戦車なみの装甲だが、スーツが搭乗者の歩行で、連続十時間の行軍も疲労なくこなせる。戦場にあっては、スーツから送られたデータを もとに、司令部のスーパーコンピュータが最適な戦略を瞬時に判断して命令を出しさえすればよい。搭乗者の血圧や脳波などのデl タも司令部に送られるので、必要に応じて、興奮剤や鎮静剤を投与することも可能だ』(訳者・西尾香苗による)』(モレノ 2008:374)。
【この本を使った授業】
【伝記的情報】Jonathan D. Moreno
from the Center for American Progress
Center for Biomedical Ethics & Humanities, University of Virginia
Department of History and Sociology of Science, University of Pennsylvania(Penn)
■クレジット:池田光穂:「ジョナサン・モレノ『操 作される脳』ファンサイト」
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