性感帯
erotogenic zone, erogenous zone, erogenous spots
解説:池田光穂
性欲を感じたり、増強される身体の部位のこと。
科学的根拠が曖昧で、個人において多様性があるので、一般化することができず、また好奇の目にさらされるので学問的な議論の俎上にのぼりにくい。
身体の部位と広義の性欲(リビドー)の深い関係について最初に着想をもったのは、言うまでもなくジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)である。彼は幼児期におけるセクシュアリティに関する重要な論文(「性欲の理論に関する3つのエッセイ」)を1905年に発表した。
フロイトによるとリビドー(性欲=性的な本能やドライブでドイツ語では Triebe)は、人間の誕生から死ぬまで、さまざまな様相をもちながら持続する。このリビドーの諸相は単純に一方向だけに進むのではなく、逆向きに戻ったりする(=これが「退行」の考え方)。乳幼児から児童を経て思春期から成人にまでの発達の経緯の中に、口唇期、肛門期、男根期というお馴染みの三相を経験することをフロイトは提起したが、これらの発達のそれぞれに満足の源があり、それら(=満足の源)を性感帯(erotogenic zone)と考えた。
フロイトの性欲と性感帯の関係についてのアイディアは、性欲の対象との関係性というよりは生物学的なものであったために、メラニー・クライン(1934)はリビドー期の概念に修正を加えた。(蛇足だが、彼女は「よいおっぱい」「わるいおっぱい」から児童の精神的な問題が起こるという関係対象論という学派の祖になった)
この時点での性感帯は、今日の大衆が思い描くような、性行為における具体的な「快楽のスポット」という考え方ではなく、リビドーと身体の部位の関係についてのアナロジカル(類比的)な考え方にもとづいていた。
メイヨークリニックのR.K. ウィンケルマンが1959年に発表した論文が、「快楽のスポット」について解剖学的な根拠がある旨の医学論文を発表し、古典的なものになった。(もちろん、この考え方はフロイトの性欲と性感帯という換喩的理解ではなく、単に性行為における快楽に解剖学的根拠を因果的に押しつけるという意味では「理論的退行」にほかならないものである)
ウィンケルマンの論文に先行してもともと昆虫学者であったアルフレッド・キンゼー(あるいはキンゼイ 1894-1956)は1948年/53年に彼をリーダーとする白人の男女の広範囲にわたる性的嗜好に関する調査をおこなっていた。そこで男性の同性愛嗜好や女性のマスターベーションについての報告がセンセーショナルに報告されてて、北米の大衆に性的興奮と科学的根拠についての信条が形成されていったと考えることができる。
もちろん性感帯と言う用語は、ビクトリア朝時代の医学が、マスターベーションを医学的に有害とした説を吹聴して依頼、医学的議論に登場してきたことも事実であるが、キンゼー報告は性感帯を認め、それを性的活動にとって「重要な事」としたことに大きな意義がある。
文献
Freud, Sigmund. 1905. Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie.
"The collected Writings of Melanie Klein(1882-1960)"
* Volume 1 - "Love, Guilt and Reparation: And Other Works 1921-1945", London: Hogarth Press. * Volume 2 - "The Psychoanalysis of Children", London: Hogarth Press. * Volume 3 - "Envy and Gratitude", London: Hogarth Press. * Volume 4 - "Narrative of a Child Analysis", London: Hogarth Press.
Erogenous Zones: Their Nerve Supply and Significance, Winkelmann RK, Mayo Clin Proc 1959;34(2):39-47
Engelhardt, H. Tristram.
立花隆『アメリカ性革命報告』(文春文庫)文芸春秋社、1984年
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