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嬰児殺しと棄老の文化的解釈

On Infanticide and gronto-cide

池田光穂

(1)タイトル

【変更前】嬰児殺しと棄老に関する考察:進化生物学 的知見を手 がかりにして

【変更後】「子殺しと棄老――「動物殺し」としての 殺人の解釈と理解について」(2016年7月19日)

(2)

動物殺し、殺人、嬰児殺し、棄老、老人虐待、安楽死

(3)

【変更前】

狩猟動物殺しから現在の屠畜まで、タンパク源の入手 をおこなうための「殺害行為」のみにハイライトをあてた研究への嗜好は、ジェフリー・ゴアラーの言う「死のポルノグラフィー」に似て際物的扱いを受けてき た。当事者に話を聞くと、死というものは、それらの目的を完遂させる過程における副産物であり、死に大きな意味をもたせないことがわかるからだ。他方、人 間における代表的な「同種内殺害(intra-species killing)」である、嬰児殺しと老人殺しあるいは棄老については、ヒューマニズムに基づく近代社会がもっとも畏れるもののひとつであり、専門家の好 奇の対象になり重要な論争のテーマにもなる。それゆえ「昨日までの社会」における比較的よく観察されてきた民族誌データとその解釈が、人類学教育において も――当人たちは嫌がるかもしれないが、人間性について考えるためには――避けては通れない「テーマ」にもなっている。これらの歯切れの悪い議論に対し て、近年注目をあびている進化生物学的知見を交えて、文化人類学的解釈の再改訂の可能性を模索する。

【変更後】

この論文は、動物殺しの論集において、人を故殺する こと、とりわけ子殺しと棄老について考察することを目的とする。動物殺しはHRAFにも項目として収載されておらず人類学の研究カテゴリーとしての正当な 位置づけは確立していない。それゆえ動物殺し概念を民族誌学上に適切に位置づけるために、人間の殺害事例を参照することで、文化としての殺しの諸相を明ら かにした。まず、進化生物学から子殺しと性比の不均衡(トリヴァース=ウィ ラード仮説)を、次に、イヌイトやディネの老人殺しや終末期状況の民族誌記述に おける視座の違いや研究者の文化的偏見について論じ、最後に、アチェの民族誌の故殺事例を子細な文化の文脈の中で解釈した。そのことにより、自然と文化の 境界に位置する人間存在を、群棲する動物と位置づけるポリス=国家的動物と結論づけた。それは、人間が文化に基づく社会を営みながらも、つねに自然と文化 の境界を〈分離する実践〉に裏付けられた存在だからである。(2016年7月19日)

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