エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード
Edward Evan Evans-Pritchard, 1902-1973
解説:池田光穂
1902 9月21日 英国サセックス、クローボローに生まれる(E. E. Evans-Pritchard, 1902-1973)
1910 Lucien Lévy-Bruhl, 1857-1939, Les fonctions mentales dans les sociétés inférieures (1910), translated as How Natives Think (1926)/『未開社会における思惟』(山田吉彦訳)
1902年「英国サセックス、クローボーに生まれる。第一級のフィールドワーカーであり、優れた民族誌の書き手であるとともに、機能から意
味へ、科学主義から人文主義への転換を提唱し実践して大きな影響を与えたイギリス社会人類学の中心人物のひとり。オックスフォード大学で近代史を専攻した
後……」
1920c.a. ウィンチェスター・カレッジ卒業後オックスフォード大学エクゼター・カレッジに学ぶ
1924 Master of Arts(歴史学)
1924年「ロンドン・スクール・オブエコノミクスでマリノフスキー
(B.Malinowski, 1884-1942)とセリグマン
(Charles
Gabriel Seligman, 1873-1940)の指導の下に社会人類学を学ぶ。1926年にスーダンのアザンデ族で最初の調査を行
い、以後……」
1924 ロンドン大学LSE(マリノフスキーの最初の学生となる)Ph.D
1926-1929 中・東・北アフリカでの6回の踏査調査に従事(アザンデ、ヌアー調査、アザンデの再調査)。
1926 アザンデで最初のフィールドワーク(24歳)
1927 LSEで博士号。指導教員はセリグマンとマリノフスキー。
1928-1931 LSE、人類学講師
1931-1934 カイロ、エジプト大学(ファド1世大学)社会学教授。
1934 『アザンデ族における妖術、託宣、呪術』(アザンデはザンデの複数、ザンデ族とも言う)[資料]
ベンゲ(Witchcraft
Among the Azande):ベンゲによる託宣(神判)使うのはヒヨコ(24分ぐらいから見られます)
1935-1940 オックスフォード大学(Research Lecturer)アフリカ社会学講師。(スーダンのアヌアク、インガッサナ、ルオを調査)
1940 英国陸軍に従軍(〜1945)
1940年まで「アザンデ再調査、4回にわたるヌエル族の調査、短期間のアヌアク族、シルック族、ケニアのルオ族の調査を行い、その間ロン
ドン大学、エジプト大学(1931)、オックスフォード大学(1935)の講師を歴任する。第二次大戦中は英国陸軍に従軍し、エチオピアでイタリア軍に対
するゲリラを指導す
るとともにアヌアク族の調査を行い……」。キレナイカのサヌシ教団(Senussi)を調査。
1940 『ヌアー族:あるナイロート系の人々の生業形態と政治制度の記述』
ヌアー族の政治制度に関して、よく引用されるのは、ヌアーのそれが中央政府をもたなくてもきちんと機能しうること。また、それは分節的親族 体系から説明できることをエヴァンズ=プリチャードが示したことである。
これを分節的な政治システムと呼ぶこともある。
それぞれ、Evans-Pritchard, 1940, p.140, p.144 より。
1940 The Nuer : a description of the modes of livelihood and political institutions of a Nilotic people, https://archive.org/details/nuerdescriptiono00evan
1940 African political systems / edited by M. Fortes and E.E.
Evans-Pritchard, London ; New York : Published for the International
African Institute by the Oxford University Press , 1940
1942 行政官(キレナイカにおける)
1942年に着任後は「リビアに転任後はベドウィンのサヌシ教団(The Sanusi of Cyrenaica)(Senussi)の調査を行った。」
1945 ケンブリッジ大学、Reader(上級講師)
1945年から「ケンブリッジ大学上級講師、46年にはラドクリフ=ブラウン(A.R..Radcliffe-Brown)の後を襲いオッ
クスフォード大学社会人類学講座教授(〜1970)となる」
1946 オックスフォード大学社会人類学講座教授(〜1970):前任者はA・R・ラドクリフ=ブラウン
1946 メアリー・ダグラスがオックスフォードに入学する。EPは
彼女の指導教員となる(EPの死後7年後[1980]に彼女は師匠の短い伝記を出版することになる)。
1948 『社会人類学:1948年2月4日におけるオックスフォード大学の開講講演』
1949 『キレナイカのサヌシ人』(サヌシはベドウィン族とも言われる)の発刊。
1950 マレット記念講義[解説]
1950年の「マレット記念講義で社会人類学は自然科学を模倣すべきではなく、法則探求よりも様式の理解を求めるべきだとして文化の翻訳の
困難さと重要性を説いた。彼はまたデュルケーム(E.Durkeim)、モース(M.
Mauss)らフランス人社会学年報学派の業績を高く評価し、その英訳作業を推進し、他方では宗教、思考の研究史においてヴィーコ(G.
Vico)の社会思想を異文化理解の先駆的な見解と位置づけている。エヴァンズ=プリチャードは命題として明示できるような理論を提唱しなかったが、それ
は彼が人間文化の多様性と比較の困難さを熟知し、容易な一般論を容認しなかったためであり、彼の本領は現地語の語彙が実際に用いられるコンテクストを積み
重ねて人々の観念と行動を外の世界の読者にも理解可能なスタイルで自分の言葉で叙述する表現力にあり、それを支えたのは並外れた観察力と洞察力にあったと
いえよう。言い換えれば、エヴァンズ=プリチャードの〈理論〉はアザンデやヌエルやシルック、サヌシア教団に関する民族誌そのものの中に具現化されていた
のである。彼は……」
1950 African political systems, Fortes, Meyer; International African Institute; Evans-Pritchard, E. E. (Edward Evan), https://archive.org/details/africanpolitical00fort
1950 (「南スーダンのヌエル族」『アフリカ の政治体系』(上掲)より:with password)
1950 African political systems,Map https://archive.org/details/AfricanPoliticalSystems
1951 『社会人類学』Social anthropology, https://archive.org/details/socialanthropolo00evan
1951 『ヌアー族の親族と結婚』
1954 The institutions of primitive society; a series of broadcast
talks, https://archive.org/details/institutionsofpr00evan
1956 『ヌアーの宗教』Nuer religion, https://archive.org/details/nuerreligion00evan
クォース
1964 『社会人類学、ならびにその他のエッセー集』
1965 『未開宗教の諸理論(Theories of Primitive Religion)』
1965 『未開社会における女性の地位、ならびに社会人類学の他のエッセー集』
1965 『社会人類学におけるエッセー集』
1967 『ザンデ族のトリックスター』
1970 退職
1971 『アザンデ族:歴史と政治制度』。爵位、レジオン・ドヌール勲章。
1971年「サー(Knight)の称号を受け、アザンデの調査資料を出版可能な形にまとめたところでその生を終えた」
1973 9月11日オックスフォードの自宅の浴室で死亡しているのが発見される——傍らに飲みかけのビール。享年70歳[→Advices for young fieldworkers!*]
1974 『アザンデ族における男性と女性』
1980 Evans-Pritchard / Mary Douglas,Fontana (1980)/Viking Press (1980)/Harvester Press (1980)
2015 慶田勝彦「エヴァンズ=プリチャードの遺産と隠された半分の真実」『文化人類学』80(2):191- 199, 2015. (pdfでリンクします)の発刊
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リンク
文献
その他の情報
◆ 上掲の「カッコ」内は、熊本大学文学部文化表象学教室の学生(2003年当時)がまとめてく れたエヴァンズ=プリ チャードの略歴です(その後は、池田が適宜字句修正ならびに加筆しています)1998-2017
Bibliography of Edward E. Evans-Pritchard
E. E. Evans-Pritchard, "Sanza", a Characteristic Feature of Zande Language and Thought. Bulletin of the School of Oriental and African Studies, University of London, Pp.161-180, 1956 パスワード付【sanza_by_E=P.pdf】
難波紋吉(訳)『社会人類学』同文館、1957 パ
スワード付【mE=P-SOC-ANTHRO.pdf】英語原文はこちら→《https://archive.org/details/socialanthropolo00evan》