メディアは我々自身を形づくる
──社会意識の産出に関する予備的考察──
Media
make us, media make our body
(Medium makes us, medium makes our body): a preliminary
report
on
production of social consciousness in modern Japan
池田 光穂 (c) Mitsuho Ikeda,1998:pdf版があります。最後までスクロールしてください。
高度メディア社会における社会倫理を調査研究することは、私にとって人間の多様な可能態について考察することにほかならない。具体的な人 間生活への参加と観察を通して、人間存在がどのように社会的に構成されているのかについて、多大な関心を持ち続けてきた文化人類学の先達たちと同様、私も また人間存在の社会的構築の可能性と限界を見極めたい。そこで立てられる具体的な設問は、メディアに関する我々の常識が社会の中でどのように産み出される かということである。
まず用語の整理からおこなう。
高度メディア社会とは、どのような社会だろうか。私はまず、それを現代日本における日常生活から想像してみたい。マスメディアが発達して いるのは先進開発地域であり、日本を含めた欧米先進諸国の都市の富裕な人々が享受しているメディアの需要環境を、高度メディア社会のプロトタイプとみるこ とが可能だ。現に、マルチメディアに関する文化論・社会論に関する議論は、日本と、より進んだと考えられているアメリカ合衆国での事例が検討されることが 多い。だから我々の身の周りの環境を、さしあたり高度メディア社会としてみてみよう。だが、それはメディア環境が十全に発達していない部分(地域や空間あ るいは人間環境)を視座に入れてはじめてより一層明確になるだろう。だから「低度」メディア社会を想定したり、高度メディア社会にもメディアの度合いが低 度な局所場が存在することを念頭において議論する必要がある。
次に、社会倫理は、社会のさまざまな組織が個人に与える明示的あるいは暗示的な規範や慣習のこと、としてとらえたい。そのようなミニマム な定義にもとづけば、「人間が正しく生きるべき指針を与えるもの」あるいは「人間が根本的に安らぐことのできる場所」(船木1994:4)が倫理であると みなすことも肯けよう。倫理は、したがって、説明することよりも生きることが重要になる人間活動の領域なのである。
では、高度メディア社会の属性とは何であろうか? 我々の生きている日常の生活空間の中で、高度にメディア化されているものと、そうでな いものを弁別する具体的な指標とは何だろうか? つまり何を用いているときに高度メディア化した体験をし、何を用いているときにはそうではないのか? パ ソコン、インターネット、ワープロ、ゲームのような双方向のインタラクティブなメディア;テレビ、ビデオ、ラジオのような受容を主とする一方向メディア; 電話や電子メールのようなインタラクティブな人間の活動を電子的に補助するメディア、などメディアの種類は千差万別である。またメディア提示のされ方にも とづいて、個々のメディアの要素の多寡においても、マルチメディアのように、それらの機能が複合の度合いの程度からも、高度メディア社会の属性を析出する ことができる。これらのことは、ホット/クールというメディアという二項対立に基づいて分析したマクルーハンの手法を思い起こさせるが、いずれにせよ、高 度メディア社会を表象する現象を見いだし、その属性について多角的に考察することは、我々のメディア理解のための探究の基本形となる。
我々の研究には、新しいメディアを多角的に利用するということが、どのような感覚を広げるのかを自ら実験するというスタイルをもりこんで いる。私にとっての研究計画の初年度の最大の経験は、インターネット利用の幅が広がったということである。それは、旧年度までは電子メールの利用をのぞけ ば、インターネットの利用はブラウザーを使ってネットサーフィン、つまり次々と画面から画面へと興味に応じて閲覧を続けることだけしかおこなわなかった。 しかし、今年度からWWWサーバに自分のウェブページを立ち上げ、情報発信を始めた。ウェブページの運営とそれに対する閲覧者の反応は、私がそれまで論文 や講演という形でしか自己の主張を公開する手段がなかった可能性を広げるばかりでなく、WWWサーバーにおける情報発信についての自己とネットワーク社会 との関係について、改めて考えさせられる契機になった。この経験は、それまで持ったことのない異質な体験であると同時に、ある種の倫理的な場所に踏み込ん だような体験であった。また同時に自分自身の身体が分離し、あたかもの分身をもつような経験でもあった。このような事態は、我々の研究対象にした時代や社 会の人々も同じように体験してきたり、これから体験することなのであろう。この種の体験を分析する枠組みを、さまざまな形で仮説的に提示することも我々の 課題になるだろう。
我々が経験のレベルで異質の倫理の時空間に踏み込むことは、人類にとって新しい倫理の時空間に踏み込んだことになるのだろうか。メディア の歴史ならびに人類学的研究が明らかにしてきたことは、あるメディアが優位を占める局面から、別のメディアに置き換わるという移行を通して、旧来のメディ アと旧来の価値観をもつ社会の成員は、それを旧来の認知的枠組みから解釈し、自分たちに納得のいく形に馴化し、その別の新しい局面に自らを適合させようと する傾向がみられることである。馴化のプロセスは、数世代以上におよぶ長期的なものもあれば、同世代内で短期的に終了することもある。
近代は、このようなメディア受容の適応様式に加えて、自分たちが承認した肯定的価値──それはしばしば合理性と有用性の観点によって判断 される──を具現化するものを新規で良きものと位置づけ、それを進んで受容する解釈と実践の体系を造り上げてきたところに大きな特色がある。もちろん、そ れらの取捨選択には恣意的な要素も多く介在し、即時的な対応と事後的な解釈の混成体が、我々の目の前にあるわけだ。新規なものは進歩とともに、概ね肯定的 な価値が与えられてきた。
このような合理性判断にもとづく実践行為は、それ自体で文化的に価値づけられた社会現象であり、先のような馴化のプロセスと見なすること ができる。だが、近代における高度メディア社会の登場は、それまでの人間が経験してきた文化的衝撃の中でも最大級のものであるという主張──それは信仰や 神話に近い──も数多く存在する。「実は予想を裏切って僅かな影響しか与えていない」という対抗神話の言説もまた多く存在するが、このような対抗神話の流 通そのものは逆に社会的影響の大きさを物語っている(西垣 1994)。それぞれの主張の真偽はともかくとして、高度メディア社会の到来は、我々の社会意識のあり方に大いなる再考の機会を与えていることは確かだ。
本稿は、以上のような問題意識に立って、高度メディア社会が「新しい意識」を形づくっている様態とは何なのか、メディアが社会意識を形成 するとすれば、それはどのような形態をとりうると考えられているのか、我々の社会意識が形成される際に、主要なシンボルや根本となるメタファーが見られる とすれば、それは果たしてどのようなものか、等について、私の研究関心に引きつけて、以下の節において考察してみたい。
伝統的なマルクス主義の視点に立てば、メディアを含めたもろもろの上部構造のあり方は、その社会の下部構造である経済によって規定され、 上部構造の一部たるメディアと下部構造の相互作用関係、つまり弁証法的な関係によって展開するという見方をとるだろう。実際に、マルクス主義からその批判 のためのアイディアをとる研究者は、1960年代のメディアの発達が人間の意識を変革するというA・トフラーやM・マクルーハンの立場を、プチブルジョア の発想と断定し、誰がメディアの支配権をもつかという観点から考察されていないと批判してきた。だが、メディアに関する唯物論的な批判には、貧困な図式の 虜になったものが多い。なぜだろう。上部構造の一部をなすメディアが下部構造に与えるフィードバックのスピードにマルクス主義者たちはついていけなかった のか。メディアそのものがもつ「下部構造」性──マーク・ポスターの言う情報様式──についての無理解に根ざす初歩的な誤りによるものなのか。それは19 世紀の機械のメタファー的想像力の限界でもあるように思える。
今日のメディア論を概観すれば、その多くはメディアが社会の構成員が持ちうる意識や知覚に大きな影響を与える、つまりメディアは社会意識 の審級であるという命題を前提にして議論されているものが多いことに気づくはずだ。教条的なマルクス主義者の感情を逆撫でするはずである。マクルーハンは 『メディアの理解』(1964)において、活字の登場と「電気」メディアの登場が人間の社会意識にどのような影響を与えるかを指摘しているが、彼はその命 題に忠実な論者の一人であった。
──活字による印刷は複雑な手工芸木版を最初に機械化したものであり、その後のいっさいの機械化の原型となった。‥‥活字印刷が 情報を蓄積する手段あるいは知識を迅速に回収する新しい手段に他ならないと見るならば、それによって時間と空間の両方において、心理的にも社会的にも、郷 党精神(parochialism)と部族精神(tribalism)とは終わりを遂げた。
──印刷もまたそれ以外の人間の拡張と同じであって、心理的ならびに社会的な影響を及ぼし、以前の文化の境界と模様を突然に変え てしまった。‥‥情報を移動するのに電気という手段を用いるようになって、われわれの活字文化はいま変わりつつある。それは、ちょうど、印刷術が発明され て、中世の写本やスコラの文化が変化を受けたのと同じである。
──アルファベット(およびその拡張である活字)が知識という力を拡張させることを可能にし、部族民の絆を壊滅させた。かくし て、部族民の紐帯を爆破させて、ばらばらの個人の集合としてしまった。電気による書字と速度は、瞬間的かつ持続的に、個人の上に他のすべての人に関心を注 ぐ。こうして、個人はふたたび部族民となる。人間の一族全体がもう一度、ひとつの部族となる。(邦訳pp.173-175を一部改訳、原著pp.170- 172)
しかし、もちろん事態はこのような単純なものでない。新しいメディアの普及が人々の意識を変容したということを、指摘することはたやすい が、論証することはきわめて困難である。また、それ以前に、そのような問題提起の前提つまり、新しいメディアの普及が人間の認知に影響を与え、それが総体 としての人間の意識を変化させたという設問が、なぜ学問上の問題になり、それが真面目に議論されるようになったかということが、時代や社会の文脈から理解 される必要があるようだ。
メディア研究史を繙けば、新しいメディアが人間の意識を変え、それが現代の我々の社会意識のあり方を知る上で重要な示唆を与えるという主 張は意外と新しいことに気づくはずである。W・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」(1935)はその嚆矢の一つであろうが、カナダのH・イニス (1951)、M・マクルーハン(1951,1962,1964)以降、議論は本格化し、現在の我々の議論により親和性をもつようになる。とくに北アメリ カにおける本格的なテレビ時代の到来によって、マクルーハンの議論は、きわめて大きな社会的影響力をもった。
メディアの普及とそれに影響を受ける人々というアイディアは、識字を中心とした歴史上の「民衆」(Illich and Sanders 1988)や「未開の心」(Goody 1977)への影響力、政治思想史(Anderson 1987)や文化研究(Tomlinson 1991)などの随所にみられる。
総じて、1960年代のメディア論の中心的な議論はテレビメディアに関するもので、この新興のメディアは人間の感覚や意識を変えつつある という主張であった。マクルーハンの『グーテンベルグの銀河系』(1962)は、それまで彼が蓄積してきたメディア論の総決算とも言えるものであり、そこ では、さまざまな時代や場所を超えて、新しいメディアの普及は旧来のメディアに慣れ親しんできた人間に衝撃を与えるだけでなく、メディアの理解に習熟する ことが、新しい世界観を得るということに深い関係をもつことを多面的に論じている。類似の議論も数多く見られた。このような現象は、今日の我々がコン ピュータやインターネットの普及に関する社会的影響力の過剰な期待や議論の沸騰という事態と似ていなくはない。
フランスを中心としておこった1970年代以降の文化や消費の記号論的な解釈(Baudrillard, Barthes)は、それまで論じられることが少なかったメディアの否定的側面に関する説明を通してメディア論に衝撃を与えた。例えばモードの体系は一種 の言語的な記号の体系である、高度資本主義の矛盾は生産の場から消費の場に移行する(記号の消費)、非現実の現実化(ハイパーリアル)の世の中に我々はい る、という指摘がなされた。これは疎外論を通して大衆社会を批判したい知識人にうってつけの言説を提供することになる。また一般には、メディアがもつ消費 活動、それもどちからというと幻影に振り回される現代生活というニュアンスをもって大衆に膾炙した。
ところが1980年代後半からのパーソナル・コンピュータの能力の向上と低価格化による爆発的な普及を背景に、インターネットやヴァー チャル・リアリティに関する議論がおもにアメリカ合衆国など先進諸国のコンピュータ技術者の間でさかんに議論されるようになってきた。この議論の背景に は、膨大な情報が取り扱えるコンピュータメディアの発達や成熟、カメラや録音機、今日ではビデオ撮影機等のパーソナル・メディアのコンピュータによる管理 や、自己実現としての情報発信技術などが、ごく当たり前のものとなるほど普及してきたことがあげられる。
メディアの歴史的変化とその環境を利用する人々の意識の変化という命題は、20世紀に起きた大衆向けの映画の普及(ベンヤミン)、テレビ の普及(マクルーハン)、そして今日のネットワークにつながれたパーソナルコンピュータの普及(現代の論客たち)という技術革新とその大衆化の時期を軌を 同じくして登場してきたことがわかる。メディアが我々の社会意識を変えつつあるという「自覚」は、新種のメディアが急速に普及する社会過程と同調的に、あ るいはやや遅延を伴って現れることが容易に推測されるだろう。少なくとも、人間にはメディアの影響力に脅威を感じたとき、従来維持してきた社会意識を再編 成させ、自分に合った形に鋳直す過程がそこには見られることを指摘しておきたい。
社会意識の審級としてメディアを考える際には、このあたりの見極めをもって議論を整理する必要がある。
政治学者ベネディクト・アンダーソンの著作『想像の共同体』(1983,1991)の議論に慣れ親しんだ者は、次のようなマクルーハンの 文章に出会ったとき、驚きを隠すことができない。
──印刷が及ぼす心理的および社会的帰結には、我々が新しいナショナリズムと関連させているような事態、つまり、印 刷の分裂的かつ画一的な性格を拡張して、さまざまの地域を次第に均質化させ、結果的に権力、エネルギー、侵略を増殖をさせる事態が含まれる。
──印刷されたページの画一性と反復性には、もう一つの重要な局面があった、それが正しい綴り字、文法、発音という ものに向けて圧力をかけ始めたということだ。
──印刷本の上に、画一の定価をつけられた商品という奇妙に新鮮な性格を付与したのが反復性であり、その結果、価格 システムへの道を開いた。‥‥加えて、印刷された書物には、携帯の便利さ、入手のしやすさという性格があった。‥‥こうした拡張的性格と直接の関係にある のが、表現の革命であった。‥‥活字印刷によって世界そのものに向かって。大声かつ大胆に訴えかけることのできるメディアが生み出された。
──活字印刷の影響が数多くあるなかで、たぶん、ナショナリズムの出現がもっともよく知られたものであろう。方言お よび言語の集団によって人間を政治的に統一するというのは、個々の方言が印刷によって広大なマス・メディアに変ずる以前には考えられないことであっ た。‥‥ナショナリズムそれ自体は、集団の運命と地位を強烈に示す新しい視覚的なイメージとして到来したもので、印刷以前には知られていなかったような迅 速な情報移動に依存していた。
──こんにち、一つのイメージとしてのナショナリズムは、あいかわらず印刷に依存しているけれども、それはすべて電 気メディアの挑戦を受けている。政治においてもビジネスにおいても、平等のジェット機のスピードの影響で、古い国家集団という社会組織はまったく役に立た なくなっている。ルネサンス期に、(均質の空間における連続と競合である)ナショナリズムが新しいものであったばかりか、自然なものでありえたのは、印刷 の迅速さと、その結果として生ずる市場と商業の発展のせいであった(邦訳pp.171-181を一部改訳、原著pp.175-177)。
我々が驚く理由は、アンダーソンがナショナリズムを醸成するものとしての出版資本主義(print capitalism)を定式化した際の諸特性が、すでにここで素描的に集約されてあるからだ。アンダーソンの著作のねらいは、ナショナリズムに先行する 同じ規模の文化システムである宗教共同体と王国との比較とのなかで、ナショナリズムを大規模に人々を動員する文化システムとしてとらえたことにある。その 中で地方新聞を代表とする出版資本主義の発達は、人々を「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体」として、歴史上まったく新しい範疇であり集団に属 する個人のアイデンティティの一部たる「国民」を形成することに貢献したとみる。マクルーハンの不定形で思いつき的な発想を、アンダーソンはより洗練され た形で整理し論証しようとしているからである。
マクルーハンは、ルネサンス以前の部族社会(性)、ルネサンス以降のナショナリズム、「電気」時代のナショナリズムと、メディアが形成す る社会意識の彼独自の時間的発達に沿って時代を区分するのに対して、アンダーソンは、政治学者らしく、宗教共同体、王国との政治形態の比較区分の中で国民 国家を出版資本主義との関連の中で分析する。
印刷言語は、それまでの写本の秘儀的な知識を、大量複製による「印刷知識」として再編成することに成功する。この印刷知識は、マクルーハ ンによると「最初の二世紀は、新しいものを読んだり書いたりしなければならない必要よりは、古代および中世の書物をみたいという欲望のほうにむしろ動機」 (p.173)がおかれていた。
フェーブルとマルタン『書物の登場』によると、17世紀の初頭には世界で2億冊の書籍が出版されていたが、これは商業資本主義の発達の賜 物であり、この事態はラテン語で書かれた書物を排除しながら、俗語で書かれた大量の本が席巻した結果である。アンダーソンは、俗語化の推進を第一に資本主 義の発達に求めているが、それを加速したのはラテン語の脱神秘化、宗教改革、中央集権化の道具としての俗語の使用があったとする。これらはメディア論以前 の古典的な歴史学者のあげる諸要因である。だが、それは彼に言わせれば、不可欠の要素ではない。
──新しい想像の国民共同体は、この要因のいずれか、いやそれどころか、すべての要因が欠落していたとしても、なお出現したであ ろうとすら考えられる。積極的な意味で、この新しい共同体の想像を可能にしたのは、生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・ 出版)、そして人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しかし、爆発的な相互作用であった(p.79 強調は引用者)。
アンダーソンはさらに、この文章の脚注において、先のフェーブルとマルタンの所論を引き、ヨーロッパ社会における紙が歴史的に登場する以 前にブルジョアジーが先行して存在し、紙質の改善もまた紙の登場から75年後のことであった、と指摘する。つまり、資本主義において紙が利用され、それが 出版資本主義を成立を可能にしたこと、それ自体が偶然であったことを示唆している。彼によると、ナショナリズムの発達に出版資本主義は不可欠であったが、 その出版資本主義の成立は歴史における偶然だと言うのである。
ナショナリズムの成立と出版資本主義の関係について、もう少し考えてみたい。彼はナショナリズムを3つの類型としてとらえる。18世紀後 半から19世紀初頭の新大陸アメリカで生まれた最初のナショナリズム、19世紀ヨーロッパの民衆的ナショナリズム、そして19世紀後半から20世紀にかけ て周辺国ではじまる公定ナショナリズムである。新大陸における世界で初めてのナショナリズムが、出版資本主義との関連で論じられる。
新大陸生まれのヨーロッパ人であるクレオールの共同体が、なぜヨーロッパより歴史的に早く「我々国民という観念」を発展させたか、という 問題をアンダーソンは立てる。この種の問題には、先行研究によってすでに解答は与えられていた。従来の説は(1)18世紀後半におけるマドリードの支配強 化、と(2)自由主義的解放思想の普及、という観点から説明するものである。しかし、彼はそれを不十分なものとして退ける。
──しかし、マドリードの攻勢と自由主義の精神は、なるほどスペイン領アメリカにおける抵抗の衝動を理解する上で重要であって も、それ自体としては、チリ、ベネズエラ、メキシコのような実体が、なぜ、感情的に受け入れられ、また政治的にうまくおくことになったのかを、説明するも のではない。あるいはまた、なぜ、サン・マルティンが、特定の原住民を「ペルー人」なる新語によって定義すべしと布告せねばならなかったのか、そしてま た、結局のところ、なぜあのようなほんものの犠牲が払われたのかを説明するものでもない(p.95)。
新たな解答の手がかりは、南アメリカの新生共和国が植民地時代における行政単位と合致しており、それは植民地時代をとおして地域として実 体化されていったこととに注目すべきであるという。
また、行政組織がどのようにして「意味」としての祖国を創造するのかを考える必要がある。彼は、絶対主義王制下における人間と文書の互換 性に注目する。そして、人的な互換性を補完する文書の互換性は、標準化した国家語の発達によって促進されることになるという。
このような国家体制のもとで、はじめてクレオールはヨーロッパの人間──狭義にはイベリア半島居住および半島出身の新大陸人ペニンスラー ル──との類的な一致と制度上における処遇の不一致を知ることになる。それを、想像の共同性という観念を強化したものは、17世紀末から始まる新聞等のプ リントメディアである。
──新聞という概念それ自体がすでに、「世界的事件」すら地方語読者の特定の創造の世界には屈折して入ってゆくということを意味 しており、そして、想像の共同体にとって、時間軸に沿った着実で揺るぎない同時性の観念は、決定的に重要な観念であった。
─[18世紀後半初期のアメリカ大陸の地方新聞──引用者]は、基本的、市場の添え物として始まった。‥‥本国についてのニュー スの他に、商業ニュース──船の到着出帆予定、港での商品価格の動向──そしてされに植民地における政治的任命、金持ちの家族の結婚などが掲載されてい た。別の言い方をすれば、同一紙面に、この結婚とあの船、この価格とあの司教をまとめたのは、まさに植民地行政と市場システムの構造それ自体であった。こ うして、カラカスの新聞は、まったく自然に、また非政治的に、その特定の読者同胞の集団に、これらの船、花嫁、司教、価格の属する想像の共同体を創造した (pp.108-109; p.107)。
このようなアンダーソンの想像の共同体としての「国民」の議論は、メディアの発達がそれにふさわしい想像の共同体をつくることを示唆す る。この議論はマクルーハンが、荒削りの主張したまま放棄しておいた、地球の人間の一族(human family)が「もう一度、一つの部族になる」ことを思い起こさずにはおれない。これをマクルーハンの「単数の再部族化論」として名付け、さらに検討し てみよう。なお、「部族」は社会が個々の部族からなりたつことを前提に創出された分類範疇であるため、単数の部族化という表現は撞着語法であることを予め 理解しておこう。
電子メディアによって我々の五官は本来の感覚を取り戻し、世界はどんどん小さくなる、つまり我々は地球村の住民となる。そして我々は失わ れた神話的世界の中に再び生きるようになる。これが再部族化に関するマクルーハンの青写真である。彼の部族概念は、未開社会に関する幅の広い文献の渉猟か ら導かれ、その部族民のイメージは、アルカイックな世界に住む住民のことであり、彼らの思考法もまた近代人とは根本的に異なる人間と考えていた。その意味 でマクルーハンは部族民を今日では人種主義的な発想の源泉と見なされることが多い、本質主義的的なものとしてとらえている。もちろんこの見方は決して特異 なものではなく、次節に述べるように、西洋近代が培ってきた未開人イメージの基本形にほかならない。さて、この単数の部族民は地球村とセットで考えられ、 彼/彼女らはあたかも、認識と価値を共有する単一性の中に収斂してゆくと考えられている。マクルーハンの部族は、西洋文明の波に曝されて滅びゆく神話的世 界に住む人たちという見解を踏まえたものであり、後述するルース・ベネディクトの未開人観にも通底するのは当然で、北アメリカのヒューマニスティックな人 類学者が印刷メディアを通して生産してきたものなのである。植民地時代に培われた部族概念にみられるように特定の人間集団に当てはめられた本質主義──そ れを生産したのは印刷メディアだ──が、電気メディアによって結果的に克服(救済?)されるというのは、まったく皮肉である。彼は、電気メディアの発達に よって印刷言語が押しつける世界観から解放されるユートピアの人間像のなかに、かつての部族民──もちろん西洋によって想像として構築された部族民──を 見ている。換言するならば、それはルソーの高貴なる野蛮人の電子版、あるいはマルチメディア時代のピグマリオンにほかならない。
しかし、印刷メディアを通して「国民」という主体が人々によって想像=創造されてきたわけであるし、植民地時代に成立した西欧宗主国の民 族学や歴史学が「部族」や「カースト」という分類範疇の創出に少なからず貢献してきた、より正確に言い換えるなら、それらの分類範疇が実体化してきたとい う事実は、アンダーソンのみらならず多方面から指摘されている。それだけではない。世界各地の民族紛争の原因となっている、「民族」の本質主義的な対立 は、植民地時代における民族や部族の分類の確定に起源をもつことが多数ある。マスメディアを通して、民族の対立や差異が調和不可能な根本的であるかのよう な言説が現在横行している。不幸にも、民族学者の一部が、このような本質主義的な文化のイメージの再生産に荷担しているケースも見うけられる。このような 事態は、新たなる「国民」の再編成、つまり分離独立を要求したり、隣接内の「同胞」の保護を名目とする武力介入等をさらに引き起こす直接および間接的な原 因となっている。部族や民族の境界は、新たに細分化されたり再編成されることがあっても、単一化する見込みは現段階では、とうてい考えられない。
マクルーハンのメディアによる地球の再部族化の予言は当たっていたと言える。しかし、それは彼の言うような地球村の「単数の再部族化」で はなかった。距離の遠近を問わない部族の細分化であり、メディアの発達は差異の微分化、つまり複数の再部族化のみならず新部族化産出に拍車をかけていると 言っても過言ではない。このような西洋が自分で作り出した苦境に西洋はどのように立ち向かおうとしているのか。また我々はどう立ち向かうのだろうか。
── はじめに、神はみんなに器を与えた。粘土でできた器だ。この器で彼らは自分たちのいのちを飲んだ。‥‥彼らはみんなそれで水をすくったが、彼らの器はそれ ぞれ別々だ。我々の器は今では壊れてしまった。もう終わってしまったのだ(Benedict 1959:21-22)。
これはルース・ベネディクトが書きとめたディガー・インディアンの首長ラモンの語りである。ラモンの言う器は、彼らの伝統的な儀礼体系に みられる独特の概念であるのか、それとも彼自身の思いつきであったのかは、彼女自身も分からないという。彼女は白人によって滅ぼされてゆく彼らの文化体系 ──彼女は価値基準と信条の構造(fabric)と表現する──の崩壊の象徴として「我々の器は壊れてしまった」という表現をとりあげた。ベネディクト は、ラモンたちが水を掬っていた器が失われて、もはや取り返しがつかないと述べるが、かと言って彼らが完全に絶望的な状況の中に生きているというわけでは ないとも言う。白人との交渉の中で生きるという、別の生き方の器は残されているからである。つまり、苦悩の宿命を担ってはいるが、彼らは2つの文化の中で 生きているからだ。他方、ベネディクトによると北アメリカの「単一のコスモポリタンな文化」における社会科学、心理学、そして神学でさえも、ラモンの表現 する「真理」を拒絶してきたし、そのような語りに耳を傾けてこなかった。
はたして自分たちの器を失い、別の器しか残されていないラモンにとって、新たな器をもちうることが可能だろうか。また彼らの器についての み議論すれば、我々はそれで事足りるだろうか。ラモンの器は、ラモン個人が生み出したメタファーであるのと同時に、ディガーの人びとが共有できるメタ ファーであり、また人類学者ベネディクトとの対話の中で生まれた共感のメタファーでもある。ラモンの器は、一種の象徴表現のひとつであるが、器それ自体 は、我々の用語法に従うならば媒体(メディア)のことに他ならない。
ベネディクトの例を引くまでもなく、従来の人類学が他の人文社会科学の諸分野に対して独自性を強調するとき、駆使される修辞はおもに、 (1)伝統社会と近代社会の二分法を立てて、近代社会の内容を特段に吟味することなく伝統社会の「独自性」を強調すること、(2)そのように強調される伝 統社会が、多種多様性をもち、社会の全体性からの解釈をもってはじめて理解しうるものであること、である。これらの2つの修辞のうち、前者は人類学外部の 研究領域に、後者は類似の研究をおこなう隣接研究領域ならびに人類学の領域の内部にむけて利用されてきた。ここでは、それらのうち前者の修辞は、社会意識 の産出にかんする議論にはもはや効力をもたないことを説明し、伝統と近代という二分法的な思考に代わる代替的方法について考察する。
そもそも伝統と近代、あるいは未開と文明の二分法が生まれてくる前提条件とは何だったのか。
それを一言でいうと、近代社会の省察のための参照点として、伝統社会が対比的関係の中で持ち込まれることになったということである。19 世紀における伝統社会に関する研究は、当時の宣教師や商人からの通信を通して断片的に集積がはじまった「未開社会」や西欧の周辺社会の習俗の記述をもと に、慣習法、親族組織、宗教等の比較研究からはじまった。このような研究に拍車をかけたのは、フーコーの言う古典主義時代に分類表(タブロー)に配列され ていた事物が、19世紀以降には時系列のなかでの変化として捉えられるようになったという人文学の知的枠組みにおける変更にも関係しているように思われ る。時系列的な発想のもっとも強力なものは、発展というモデルであり、進化主義はその時代を代表する思潮である。ところが、この進化主義が提示する、時系 列における先行する古代と、周辺の空間にある「未開社会」の配置を、進化や発展という因果法則に関連づける方法には、それに先行する分類表的発想により親 和性が見られるように思える。より大胆に言えば、進化主義には伝統と近代の二分法というものは、存在しない。この断絶を象徴するものが伝統と近代を理念的 な二分法として考えるM・ウェーバーの見解であり、彼は歴史における因果法則に関しては大いなる疑問を抱き、特に進化論的な進歩の概念を退けている。
伝統と近代の二分法は、19世紀も終わりになってデュルケーム『社会分業論』(1893)によって明確な形を与えられた。この社会学にお ける社会観の単純化と、その傍証に関する議論の洗練化は、それまでの進化主義とは完全に発想や理解を画するものである。ただし彼の議論は、伝統(未開)社 会は近代社会にくらべて個人の自由度が少ない──つまり新しい器を持ち得ない──というものではない。デュルケームの社会観には個人の自由度などというも のは存在しない、あるいはあっても微々たるものにすぎない。個人が自由や閉塞を感じることすらも、彼らの属する社会によって規定されていることを、彼の方 法論とそれに基づく一連の著作は示している。初期の機能主義人類学の古典は、このデュルケーム的な思考を、具体的な「未開社会」に徹底化して集積に血道を あげた結果であると言っても過言ではない。
G・ジンメルを含めて近代社会学の創設に多大なる影響を与えた上のような人たちは、近代人が主体性をもち、合理的に行動するための自由が 与えているということなどは、ゆめ考えてはいなかった。フィールドワークの方法論も確立し、近代社会科学として認知されつつあった機能主義人類学は、デュ ルケーム的命題を守り、個々の具体的な「未開社会」の固有の実体を明らかにすることに邁進した。しかしながら、この努力の結果は、「未開人」の意識に関す る社会拘束性に関する過度の期待を煽ったことになる。しばしば人類学が文化を本質主義化したという批判の論拠はここに求められる。あたかも新しい器をもつ ことができる主体という西洋近代のアイデンティティの神話のネガ像を、未開社会の機能主義人類学は提供したのである。そこでは、近代社会においても人々の 主体的選択もまた社会的に構成されたものであるという視点と、伝統社会における人々の主体的選択の様態そのものに関する視点は、共に捨象されたのである。 したがって未開社会の文化の本質主義化は、人類学の政治性──例えば、人類学は植民地科学の一つであるという批判──だけに還元される問題ではなく、西洋 近代社会の自己と他者の認識におけるある種の帰結であった。
文化を本質主義的に捉えてきたという批判が本格化する以前は、伝統社会に住む人々が、その社会組織の構成原理に則って経験を形成するとい う理解が──新植民地主義批判という稀な例を除けば──比較的長い間受け入れられてきた。それは、西洋近代に対するアンチテーゼであり、また認識論的な反 省材料にもなったからである。
この時代における人類学の役回りは、その文化の本質主義的な「理論」を、より高度に洗練させてゆくことにほかならなかった。ラモンの器の 例で言うならば、「古い器」に関するさまざまな情報が蓄積され、それについての議論が雪だるま式に増殖していった過程である。何事も文化に収斂させる人類 学理論が発展してゆくわけであるが、その営為は近代批判という弁明のもとで正当化された。その極限形態の例としてレヴィ=ストロースの構造主義があげられ る。レヴィ=ストロースは音韻論の構造からの構造主義アイディアを発展させたことはよく知られているが、社会理論に関しては、彼はデュルケームとモースの 知的遺産をたっぷりと受け継いだ。だから構造主義において主体性をもった個人というものは存在しないのは、当然の帰結なのである。五月革命の頃、構造主義 の外側からはアンチ・ヒューマニズムのラベルを貼られ、自己弁明としてはヒューマニズムを主張したことは、構造主義の社会観のアンビバレントな面をよく表 している。システムに支配された社会観をとる点では構造主義はアンチ・ヒューマニスティックであるが、ここの社会の固有性にあくまでもこだわる点では極め てヒューマニスティックなのである。構造主義には、新しい器について建設的な意見を表明するための認識論的な枠組みがそもそも欠けているし、そのような関 心は無益なのである。
ポスト構造主義における、文化の本質主義による隘路の乗り越えのひとつと考えられるのが、ギアーツによる人類学における解釈学的な転回で あり、またさらに、ある意味で文化の本質主義をさらに推進させたことにある。しかし、文化の本質を決定するのは解釈の妥当性や「厚い記述」であるので、文 化の本質的な解釈自体もまた反省の材料になりうる。解釈人類学が、自己に向けられる文化の本質主義批判から逃れる潜在的な可能性をもつのも、実はこの営為 にある。だが解釈人類学は、ラモンの言う器の形態、材質、文様などについて、より洗練された議論を重ねることに成功はしたかもしれないが、壊れた器を、は たして取り戻すことが可能なのか、あるいは新しい器を自ら作り出すことができるのかについては、解答を留保したままなのである。もちろん、その可能性はな いとは言えない(Geertz 1988:146-149)。
もちろん、重要なことは解釈人類学のみならず、メディアを社会意識の審級とする議論にとって重要なことは、新しい器を人類がどのような形 で持ち得るのか、そして、そうであるならその器はどのようなものなのかを明らかにすることである。
エミリー・マーチンは『フレキシビリティ──ポリオの日々からエイズの時代までのアメリカ文化における免疫性の役割』(1994)という 興味深い民族誌において、1950年代以降のアメリカ合衆国における免疫概念が、どのような大衆化を遂げたかについて専門家ならびに非専門家へのインター ビュー調査、科学的読み物の分析等を駆使して明らかにしている。
マーチンの著作のタイトルにあるように、フレキシブル=柔軟な身体は、現代の北アメリカにおける身体のあり方を表象するものである。それ は、外部から要請された身体のあり方についての隠喩的表現であると同時に、人々が受容しつつある身体の表象でもある。例えば、免疫学における身体の防御機 構の説明のように、身体はさまざな外部から個々の侵襲を守るために柔軟に対応することを要求される。それは身体の外部へも伸展してゆくメタファーである。 ちょうど会社組織が雇用者調整を柔軟にして、不確実な経済環境を生き残ったり、解雇された労働者がフレキシブルに次の雇用機会を生かしていけるように。フ レキシブルな身体=世界観は、我々に可能性を付与するが、同時に我々をかえって弱い存在に陥れる可能性も持つ。そして、フレキシブルな身体のあり方は、別 の局面では古典的でインフレキシブルな疾病観や健康観への挑戦となる。文化の本質主義に代表されるようなインフレキシブルな他者表象への挑戦でもあるから だ。
高度メディア社会においてフレキシブルというメタファーはどのような局面において流通しているだろうか。メディア利用のスタイルにフレキ シビリティは暗黙のうちに要求されており、メディアの利用は、我々のフレキシビリティを高めるという表現も、コンピュータをはじめとするビジネス機器の広 告の中で発見することは困難ではない。フレキシビリティは我々の生活のあり方をも表象する。
フレキシブルな身体意識がなぜ今日の人々のあいだで受容されるのだろうか。フレキシブルな身体意識は、主体性の確立という、近代の身体の 成り立ちの古めかしい図式と、どのような関係をもつのだろうか。そして、フレキシブルという外部から与えらたメタファーを、はたして我々自身が操作可能な メタファーとして新たに組み直して使うことが可能なのだろうか。
このようなフレキシブルな身体についての問いは、高度メディアの状況についても同じように発することができる。なぜ高度なメディアを利用 することが良しとされて、さしたる抵抗もなく受容されつつあるのだろうか。高度メディアの発達によって、我々のアイデンティティの形成の様式は変わりうる のだろうか。そして、我々は高度なメディアを、自分たちに与えられた以上に可能性のあるものとして利用しているのだろうか。
高度メディア社会における人類学的な調査研究の活動が、その独自性を発揮できるのはメディアとしての身体と、ちょうどマクルーハンが言っ たような身体の延長としてのメディアの相互作用(弁証法)を明らかにすることにある。ともに我々の考え方の基本にある隠喩的想像力に関わる事象であり、今 日における権力と暴力について考えるための重要な尺度となっているからである。
クレジット:池田光穂「メディアは我々自 身を形づくる──社会意識の産出に関する予備的考察」『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究 (I)』[文部省科学研究費補助金・基盤研究(B)高度メディア社会における社会倫理の実証的研究・課題番号09410015・平成9 年度研究成果報告書]、船木亨編、pp.19-30、熊本大学文学部、1998
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