マヤ学入門
Introduction to Maya Culture and Maya studies
解説:池田光穂
詳しくは八杉佳穂編『マヤ学を学ぶ人のために』世界思想社、2004年を読みましょう!
■ 年代区分を知ろう!
暦年 |
大まかな時期 |
事項など |
先古典期中期 |
紀元前900年〜紀元前300年 |
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先古典期後期 |
紀元前300年〜西暦300年 |
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古典期 |
西暦300年〜西暦800年 |
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【古典期のおわり】 (古典期終末期) 【後古典期のはじまり】 |
西暦800年〜西暦1000年 |
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後古典期前期 |
西暦1000年〜西暦1250年 |
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後古典期後期 |
西暦1250年〜西暦1500年初頭 |
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スペイン征服期 |
西暦1500年初期〜 |
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出典:サブロフ、ジェレミー A.『新しい考古学と古代マヤ文明』青山和夫訳、p.20、新評論、1998年
■ マヤ文明に関する古い見方/最近の見方
蛙もまた水のシンボルだったのだろうか?
● マヤ文明についての古い見解(=古い常識) | ◎ マヤ文明についての新しい見解(=新しい仮説) |
・文明が古典期に突如としておこった。
・先古典期は社会の発達が未熟であった。 ・マヤ文明圏は地域的にはユニークに発展した。 ・マヤ文明は静かに均質な文化が発展した。 ・マヤ文明の都市は、人口が希薄で中心には儀礼をおこなうセンターがあった。 ・碑文の内容のほとんどは天文学や暦であった。 ・マヤ文明では神官が知的な活動に日々を過ごし、戦争のない平和な社会であった。 ・トウモロコシを主とする焼畑農耕で人口を支えていた。 ・古典による文明の崩壊は急速におこった。 ・後古典期の文化にはみるべきものはない。あっても退廃的であった。 ・世界史にみるユニークな文明である。 |
・マヤ文明の起源は先古典期に遡れり。
・先古典期には階層化した都市が発達していた。 ・マヤ文明圏は周辺の文化(文明)と相互に影響を受けていた。 ・マヤ文明はダイナミックで多様な地域差があった。 ・都市は巨大な人口を擁しており、政治、経済、宗教におけるセンターをなした。 ・暦のみならず碑文には支配階層の歴史や個人の偉業なども記されている。 ・各地域の王たちは、権力闘争を繰り広げ、好戦的なところもあった。 ・焼畑と集約農耕(水草の積み上げ農法)をおこない、交易による物資の調達方法も発達していた。 ・古典期の衰退は100年以上にわたって徐々に進行していった。 ・後古典期にもまた発展した形跡がある。 ・マヤ文明もある世界にある古代文明のひとつである。 |
出典:青山和夫「訳者あとがき」サブロフ『新しい考古学と古代マヤ文明』新評論、p.193、1998年を文書改変。
リンク(ウィキペディア)
■ ビデオ解説
ビデオは、ジョン・アンギュー監督『ジャングルの中のマヤ王(The Maya Load of the Jungle)』でした。
2002年4月30日の授業で解説しましたが、このビデオの論理的構成は次のようになっています。思い出しながら、整理して下さい。ま た、皆さんの関心がどこにあるのか、自分で分析しましょう。
問題:古代マヤの人たちはジャングルの中になぜ巨 大なピラミッドを建てたのか?
与えられた考古学上の条件:
熱帯雨林における農業生産性は低い。
焼畑による2,3年の耕作と、8年程度の休耕が必要。
焼畑による環境劣悪の資料は出てくるか?
農業生産性の高さが権力と結びつく。
水草の積み上げによる農耕は焼畑よりも生産性が高い。
農業生産性のみが権力の源泉か? 通商交易による権力の調達は?
権力がないと巨大なピラミッドは建てられない。
王権という権力と、それを表象するシンボル(水草/睡蓮と魚)
王権とその表象
ピラミッドの装飾:王個人の顔から神そのものへの変化
神聖王とはなにか?
(フレイザー『金枝篇(きんしへん)』を参照のこと[文化人類学年表])
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文献
その他の情報
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