はじめによんでください

フクシマから遠く離れて

Loin du Fukushima, 2011- ∞

Über den Begriff der Geschichte (On the Concept of History / Theses on the Philosophy of History), 1940

Paul Klee, 1879-1940

池田光穂
Mitzub'ixi Quq Chi'j

大 阪から福島第一発電所までは直線距離にして遥か(あるいは僅か)580キロメートル余りである。

原子力発電所が爆発してから2年が経とう としているのに、心のなかでの僕と福島の間の距離は日々広がるばかりである。

この間、いろいろなことがあった……よう な気がする。

東京電力や政府による爆発後の原子炉の廃炉作業、処理出来ずに溜まり続ける大量の汚 染水、周辺地域の除染作業——2013年当初の朝日新聞は除染作業で「想定を超える」汚染物を回収できずに現場では余剰の汚染廃棄物を付近の川に流してい るというスキャンダルを報道したばかりだが——、福島医科大学を中心とした汚染後の住民の医療的監視のプロジェクト、そして政権交代後に2012年12月 26日に就任したばかりの自民党の安倍首相は福島第一原発を視察後に「新しい原発」を容認する態度表明を早々とおこなった。だが今それを思い起こしても、 今日まで続いた、そして今後も続けられる一連の「国家的な事業」に、唯一の例外を残して、なぜかしらリアリティを僕は感じることはできない。ここでの僕の 役割は、その唯一の例外について説明することである。

僕は1956年生まれなので、22歳の時にペンシルバニアのスリーマイル 島の原子力発電所(1979年3月)の事故——その恐怖のイメージは映画『チャイナ・シンドローム』で増殖された——、29歳の時に旧ソビエトのチェルノ ブイリ原発の事故(1986年4月)を、そこから遠く離れて——後者の事故時は中米のホンジュラスの首都テグシガルパにいた——経験した。1968-69 年の日本のスチューデントパワーによる大学紛争から5年以上も遅れて入学した僕たちは無気力・無関心・無責任の三無主義世代やしらけ世代と呼ばれてきた。 おまけに自民党の長期単独政権が長く続いていた。だから現実の政治参加にはほとんど関心がない一方で、僕たちの繁栄を支えている文明の火としての原子力へ の底知れぬ不安をつねに持ち続けていた。

僕は子どもの頃から「日本は世界で唯一の被爆国」という反=核兵器ナショナリ ズム教育を受けてきたために、核の平和利用というお題目には常に米国や米国の軍隊の影を疑っていた。今では信じられないことだが「日本が世界に誇れる」憲 法第9条(=国家による交戦権の放棄)を護持できるのは、共産圏からの軍事的脅威を米軍の核が守ってくれているから、という護憲論が当の自民党の議員たち から吹聴されたりしていた。こういう核をめぐる極端に両義的な議論のもとで長く青春時代を過ごした僕たちには、つねに原子力発電所というものがずっと胡散 臭いものに映っていたことは想像に難くない。だからこそ、僕たちにとって、エコロジー運動や反核運動は、世俗権力に対する力の唯一の源泉すなわちイデオロ ギーの源泉とも言えるべきものであった。

だから福島第一発電所の事故が起こった時に、僕が最初に感じたのは、僕た ち自身が1970年代当時から今日にいたるまで組織的で継続的な反核運動を続けていたら日本はこんなに原発だらけのクレージーな島にならずに済んだのでは ないか、という慚愧の念であった。そして僕たちは一方で原発発電に恩恵を受けながら、他方で、補助金で潤う立地自治体の人々に対して、これまであからさま に軽蔑してきたことを深く恥じた。僕たちは同じ倫理の土俵(舞台)にいたのだ。

この苦々しい感情は僕の二度目の既視感・デジャヴ(déjà-vu)と関 係している。最初は、中米グアテマラでの内戦(1961-1996年)の犠牲者の家族への聴き取りをしながら、グアテマラ国軍のカイビル・バラム (Kaibil balam)と呼ばれる対ゲリラ戦に特殊訓練された部隊による、凄惨な先住民への拷問の話に鳥肌を立てつつ、犠牲者とその家族を襲ったその不幸な境遇に涙 したとき。僕には「先の戦争(1931-45年)」において日本軍から虐待を受けた中国の人たちの経験とは、このようなものなのではないかと感じた。その デジャブでは、中国農民とグアテマラ高地の先住民の姿が重なり、半ば責務であるかのようにこの経験を論文に書いた。そして今の僕には、現在もなお福島第一 原発で廃炉作業に黙々と従事する防護服に身を固めた人々の姿に、それとは全く関係のない、ある兵士たちの姿をデジャブする。それは満洲や大日本帝国の国益 を守るために、中国で戦闘してくれている日本の兵隊の姿であり、その当時、現場から遠く離れた「当時の日本の臣民」の気持ちや視線が、その上にさらに重 なってしまうのだ。

■福島第一原子力発電所のかつての2号機趾で 原子炉格納容器内部調査■撮影日:2019年2月13日■撮影:東京電力ホールディングス株式会社

JN Special Naval Landing Forces troops (日本海軍陸戦隊)in gas masks prepare for an advance in the rubble of Shanghai. Chemical weapons were utilized against the Chinese during the battle.

とんでもなく奇妙な妄想である。だがその点においてのみ、僕は311以降の福島第一原発の惨状もまた、リアリティをもって感じることが できる。たぶん僕の仕事は、この奇妙な経験を通して、福島的状況を生きるとはどういうことなのかを、これからは誠実に記述してゆくことなのだろうと思う。

To See Once More the Stars. Naito, D, R. Sayre, H. Swanson & S. Takahashi (eds.), Santa Cruz, CA.: New Pacific Press, 259+262pp., 2014.(担当箇所:「記憶:フクシマから遠く離れて Loin du Fukushima」Pp.21-23: MEMORY: Loin du Fukushima, Pp.22-24.)

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パウル・クレー

Paul Klee, 1879-1940

Über den Begriff der Geschichte (On the Concept of History / Theses on the Philosophy of History), 1940