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プライマリ・ヘルス・ケア 3.0

——21世紀の健康観と社会学——

池田光穂

プライマリヘルスケア 3.0 とはなにか?


プライマリヘルスケア 3.0 とはなにか?

(印刷中)


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2.朝倉テーゼ2016(7つのアジェン ダ):PHC 2.0 の時代

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このRTDの予稿における朝倉隆司先生からの呼びか けにおける課題を私になりに整理したのが、「朝倉テーゼ2016」であり、それは以下の7つのアジェンダに表すことができる。

1)人類社会の課題はより複雑化している:「地球規 模の環境問題、社会格差と健康格差、世界規模の人口の高齢化、紛争による地域の生態系と人間の生活・生命の破壊、慢性疾患・障害と感染症の二重負荷、次世 代を担う若者の問題など」であり、これが「複雑化する社会と健康の課題解決」になる。

2)新しいパラダイムをもとめて:それゆえ「健康観 も健康社会学も、新たな課題に向き合うために、新しいパラダイムを必要」とする。実例:生態学的視点、「青年期の健康に投資する価値」の論考の登場

3)国連のスキームに着目しよう:MDGs からSDGsへ。MDGs: 2000年9月に「国連ミレニアム宣言」採択+1990年代の国際開発目標の統合(〜2015年までの到達目標/2015年7月6日「国連ミレニアム開発 目標報告2015」)SDGs :Transforming Our World - the 2030 Agenda for Sustainable Development.(2015年9月25日採択〜)

4)すでに論じられてきたテーマがある:「公害に象 徴される圏内の環境と健康の問題、日本国内の社会格差や健康格差、高齢化・慢性疾患の増加に伴う健康観の転換などについては、研究報告もあり、議論されて きた」。

5)国際的な視野の不足がある:「健康観」や「健康 課題」とその歴史的文脈(「世界の各地の距離が縮まり、互いに影響し合う時代」)

6)視野を広げる意味や必要がある:TPPの導入に より日本の保健医療は他国(複数)の影響を受ける可能性。

7)国内でも見過ごされている問題がある:[翻って 日本の状況では]学校保健の健康社会学、発達期(思春期や青年期)の健康という課題が浮上してきたが、それらは伝統的な「医療、人口の高齢化や慢性疾患患 者、障害者の問題」よりも研究関心が低い。

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3.プライマリ・ヘルス・ケア 2.0 の可能性をめぐる問題

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朝倉先生のすすめで、持続可能な開発のための 2030アジェンダを読んだ。そのなかで保健政策に関するものをみたときに、僕が思い浮かべたのは1978年のPHCのアルマアタ宣言、その後に論争に なった包括的PHCと選択的PHC——後者は世界銀行のテクノクラートによるターゲット疾患と数値目標を掲げた——のうちの選択的PHCアプローチ、そし て1986年のヘルスプロモーションのオタワ憲章のことだった。キーワードは「世界を変革する」というスローガンであり、これも過去のさまざまな変革に関 する宣言とリンクするように思われる。アジェンダの26において健康問題に包括的な取り組みをすることが述べられており、その後に登場する、目標3におい て、3.1〜3.9までの9項目の健康達成の目標や疾患・障害対策の具体的目標が定められており、3.a〜3.d の4つの保健人材の育成や組織目標が掲げられている。

アジェン ダ26——Universal Health Coverage
「身体的及び精神的な健康と福祉の増進並びにすべての人々の寿命の延長のために、我々はユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)と質の高い保健医療へ のアクセスを達成しなければならない。誰一人として取り残されてはならない。我々は、2030年までにこのような防ぐことのできる死をなくすことによっ て、新生児、子供、妊産婦の死亡を削減するために今日までに実現した進歩を加速することを約束する。家族計画、情報、教育を含む、性と生殖に関するサービ スへの普遍的なアクセスを確保することに全力で取り組む。我々は、開発途上国においてはびこる薬剤耐性や対応されていない病気に関する問題への取組を含 め、マラリア、HIV/エイズ、結核、肝炎、エボラ出血熱及びその他の感染病や伝染病に対して示された進歩の速度を等しく加速する。我々は、持続可能な開 発に対する大きな挑戦の一つとなっている行動・発達・神経学的障害を含む非感染性疾患の予防や治療に取り組む」(試訳版, p.7)。

「目標 3.あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生 活を確保し、福祉を促進する
3.1 2030年までに、世界の妊産婦の死亡率を出生10万人当たり70人未満に削減する。
3.2 すべての国が新生児死亡率を少なくとも出生1,000件中12件以下まで減らし、5歳以下死亡率を少なくとも出生1,000件中25件以下まで減 らすことを目指し、2030 年までに、新生児及び5歳未満児の予防可能な死亡を根絶する。
3.3 2030年までに、エイズ、結核、マラリア及び顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症及びその他の感染症に対処す る。
3.4 2030年までに、非感染性疾患による若年死亡率を、予防や治療を通じて3分の1減少させ、精神保健及び福祉を促進する。
3.5 薬物乱用やアルコールの有害な摂取を含む、物質乱用の防止・治療を強化する。
3.6 2020 年までに、世界の道路交通事故による死傷者を半減させる。
3.7 2030年までに、家族計画、情報・教育及び性と生殖に関する健康の国家戦略・計画への組み入れを含む、性と生殖に関する保健サービスをすべての 人々が利用できるようにする。
3.8 すべての人々に対する財政リスクからの保護、質の高い基礎的な保健サービスへのアクセス及び安全で効果的かつ質が高く安価な必須医薬品とワクチン へのアクセスを含む、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を達成する。
3.9 2030年までに、有害化学物質、ならびに大気、水質及び土壌の汚染による死亡及び疾病の件数を大幅に減少させる。
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3.a すべての国々において、たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約の実施を適宜強化する。
3.b 主に開発途上国に影響を及ぼす感染性及び非感染性疾患のワクチン及び医薬品の研究開発を支援する。また、知的所有権の貿易関連の側面に関する協定 (TRIPS協定) 及び公衆の健康に関するドーハ宣言に従い、安価な必須医薬品及びワクチンへのアクセスを提供する。同宣言は公衆衛生保護及び、特にすべての人々への医薬品 のアクセス提供にかかわる「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」の柔軟性に関する規定を最大限に行使する開発途上国の権利を確約 したものである。
3.c 開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国において保健財政及び保健人材の採用、能力開発・訓練及び定着を大幅に拡大させる。
3.d すべての国々、特に開発途上国の国家・世界規模な健康危険因子の早期警告、危険因子緩和及び危険因子管理のための能力を強化する」(試訳版, Pp.16-17)。

これらの目標に新鮮な目標をもつ若い人もおれば、同 じようなスローガンが繰り返されていると半ば諦めの声をもつような中年以降の関係者もいるだろう。ただし、SDGs が採択された2015年の同じ年のおよそ2ヶ月半前の7月6日「国連ミレニアム開発目標報告2015」では、8項目の目標のうち健康、保健に関する3つの 項目の目標で以下のような成果達成が高らかに宣言されている。すなわち、「4.目標:乳児死亡率の引き下げ,予防可能な疾病による幼児死亡数の著しい低下 は人類史上でも最も偉大な成果」「5.目標:妊産婦の健康状態の改善,妊産婦の健康状態に一定の改善が見られた」「6.目標:HIV/エイズ、マラリア、 その他の疾病のまん延防止,HIV感染者が世界の多くの地域で減少/マラリアと結核のまん延が止まり、減少」とある。これはアルマアタ宣言が、1978年 当時「西暦二千年までに地球のすべての人に健康を」というかなりハードルの高い目標、そして具体的な対策のための疾患や問題が焦点化されていない、という 当初からの批判をあびて、1986年のオタワ憲章の時にも、そのことが問題化されずに、西暦2000年を迎えてしまったこととは好対照の出来事である。

私はアルマアタ宣言から6年後の1984年にレーガ ン政権期の北米の軍事的庇護がもっとも手厚かった中央アメリカのある共和国に青年海外協力隊員として派遣されて、保健省で、マラリア対策と村落保健対策の ボランティア活動をした経験から、PHC理念の重要性は骨の髄まで感じた。他方、この宣言をより広い文脈からながめていると、そうであるべき保健政策を論 じているにも関わらず政治的スローガンであり、かつ医療や保健に関わる人たちの使命や責任については具体性が欠けていた。帰国後に、後に包括的PHCと呼 ばれるようになる理念が中心的なテーゼと、具体的な目標を掲げた世銀やUSAID流の選択的PHCとの間の齟齬や論争に興味をもったのも、そのような理由 からである。今日ではエビデンス・ベースドでモノを言えという主張が殺し文句になっているが、具体的な数値目標をかかげて、その実践の有効性を確かめよと いう、我々の身の回りで定着化した「評価手法」は、保健領域ではこの40年ぐらいのあいだで確実なものになった——ヘゲモニーを執ったと言うべきだろう か。

私はあと2年を切った2018年のアルマアタ宣言 40周年までには、(未だ十分に検討されてきたことのない)「アルマアタ宣言とその後の保健医療政策において、真に革新的なものとは何だったのか?」につ いて考察を深めて論考をまとめたいと思っている。私にとっては、昨今のMDGsからSDGsへの[あたかも王権の継承(succession of sovereignty)に似た]健康達成という政治目標の受け渡しは、それにさかのぼる30数年前のプライマリ・ヘルス・ケア宣言における「健康という 権能(sovereignty of health)」の誕生から引き継いだ政治的儀礼(political ritual)のように思われる。このようにプライマリ・ヘルス・ケア宣言を社会科学的に神秘化しても仕方がないのであるが、アマルティア・センに影響を うけたマーサ・ヌスバウムの「生活の質」を権原(entitlement)としてみることで、いまや人間性を考える時に人間の権利(=人権)の概念のなか に健康というものが不可欠になった。そして、当事者の健康を達成するための社会的義務と、当事者が健康であることを手にすることをもとめる権利の主張が、 完全に矛盾することのない、権利概念の一種の神学的正当化が20世紀の後半になりここではじめて可能になったものと思われる。私は、アルマアタ宣言にそれ ほどまでに高い政治的価値をおいているのである。

このようなものは哲学や宗教学の研究対象になること はあれ保健社会学の対象になるかどうかは、いささか心もとない。しかし、そのことを試みる価値はあると私は思う。

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4.朝倉テーゼ2016の検証を通してみ た21世紀 の健康社会学者への提言

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冒頭に紹介した(RTDの予稿集にも書かれている) 7つの朝倉のテーゼに対する、私のコメントを付して、21世紀の健康社会学の可能性について最後に論じてみよう。

1)人類社会の課題はより複雑化している:というの は人々のコンセンサスであり、それは実態や内実と反映しているのか?(貧困、病気、紛争とそれの組み合わせの変奏——例えば「経済格差と健康格差」はジニ 係数のパラフレイズ?!——は昔からあるのではないか?)。「人類社会の健康課題はより複雑化している」よりも、より不偏であり、未解決の健康課題をもっ て、その未解決の原因を「複雑化」に帰しているのではないかという点を指摘できる。

2)新しいパラダイムをもとめて:「新しさ」の追求 は近代の病い?——サステイナブルな探究は「右肩上がりの思考」の再考ではないのか? 開発状態がサステイナブルとは、開発状態がつねにメインテナンスを 必要とするものであり、また、それには逆転サヨナラ満塁ホームランのような究極の秘密兵器も魔弾もないということであり、人々の不断の努力と維持管理が今 後も続くものだとするほうがよいのではないか?(この部分に関して、イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』における短い章「痛みの抹殺」という議論に私は大 きく影響を受けている)

3)国連のスキーム「MDGs からSDGsへ」に着目しよう:(承前:→2をみよ)——これは直前に述べたのでこれ以上解説しない。

4)すでに医療社会学で論じられてきたテーマがあ り、それらの貢献も評価しておく必要があろう——このことにまつわる私の疑問は次のようなものだ。後の世代から「読み返す価値がない」と評価される時とは どのような時か?ということだ——社会科学における「古典」は最初に生まれた時から古典としての潜在力をもつのではなく、後の時代において再評価(=再発 見/発見)を受け「再読の価値」(=若い世代は初めて読むはず)が、くり返しなされて、はじめて古典の位置を得るように思える。つまり、古典は「現代の読 み物」というパラドクス。だが、そのパラドクスを逆手にとって、古典は同時代の「名もない研究論文」と合わせて読まれて意味を持ち出すこともあるだろう ——これはミッシェル・フーコー流の「知の考古学」的方法に則って、その時代のエートス、時代の思考法というものを身につけてはじめて、保健の歴史社会学 という分野が切り開かれるのではないだろうか、ということだ。

5)国際的な視野の不足がある:国内的問題は従前の 保健医療社会学のテリトリーであり、国際的問題は、国際社会学や医療人類学(=「未開のエキスパート」)に、担われているのだろうか?——〈知の分業問題 /知識植民地主義:colonialism of knowledge〉:これは、学会としてのプレゼンスをどのように高めるのかという、リアルポリティーク上の問題である。やっつけ仕事ではなく、これか らの若い研究者におかれては、英語での論文の発表と、国際的な舞台での活躍を期待する。保健政策という政治と同様に、保健社会学にも国際的な政治学の論理 が透徹しているはずだからである。

6)視野を広げる意味や必要がある:知の分業化を解 きほぐす必要があると、私は思う。国内保健医療社会学者は、国際問題や異文化の文脈における近代医療を扱うことで視座や方法論を磨き、国際社会学や医療人 類学者は国内の医療保健福祉問題に、異文化を扱うような文化相対主義ではなく、我が事のような価値拘束的問題にも積極的に取り組むよう勧告すべきだろう。 ——社会学の古典的な議論につらなる問題であるが、保健社会学には「臨床社会学」の提唱と、それに基づくさまざまな著作や論文がある。21世紀の健康社会 学は、そのような先駆者たちの研究から示唆をえるところが多いのではないだろうか?

7)国内でも見過ごされている問題がある:このこと には、社会学者や人類学者は、いろいろなところに興味をもって首を突っ込むべきだと私は思う。もともと彼/彼女らは、根っからのなんでも屋でありPBL [者]である。つまり問題に基づくことを動機にする学習者(Problem Based Learners, PBLs)なのだ。レヴィ=ストロースは人類学者をして「ごみ箱あさり」とまで言っている。それゆえに、つねにいろいろなことに興味をもち、自分を戯画化 するぐらいの精神的余裕をもって学問をしていただきたい——レヴィ=ストロースは自分もまた「ごみ箱あさり」をして世界最高峰の学者になったわけであるの かそのような自己戯画化は自己アイロニーのみならず自分自身のかなり大きめの自負の〈変形〉であることは確かである。


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クレジット

保健医療社会学会大会:(第2日目:2016年5月 15日(日) 9:50〜11:50 会場6・5606教室)追手門大学

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文献


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