はじめによんでください 

フェミニズム

feminism

解説:池田光穂

フェミニズムとは、いわゆる民主主義的な近代社会に おいて、法の理念や人権概念において、男女の平等が達成されていないという現状認識から出発し、女性に とっての、政治的、法的、権利的、経済的、アイデンティティ的、文化的、心理的などの視座を包含する社会運動と、そのイデオロギーからなり、基本的に、政 治運動の形態をもつものの総称である。女性にとっての「政治的、法的、権利的……心理的などの視座」が、民主主義的な近代社会において多様・多元的である ために、フェミニズムそのものも多様な姿をもつ。それぞれの運動の方向性や思想には、統一的方向性や最終目標(テロス)を定めることは難しいが、現況にお いて「男女の平等が達成されていないという現状認識から出発」し、そのための平等の是正は、普遍的に正しいという立場が崩れることはない。

さて、かつて私はフェミニズムを次のように定義して いる:「フェミニズム(feminism)とは、 ジェンダーならびにセックスの区分において《女性》――フェミナ(fēmin-a)的 存在――に対する差別や抑圧を告発し、その人間的権利において自由と平等を求めるための理論と実践の総体のことをさす」(→「はじめてのフェミニズム」)

いずれにせよ「女性」という政治的分類概念・文化的 社会的概念・生物学概念が問題となる。政治的分類概念(ideological classifiction)としての女性は、既存の(ということは保守的な)文化的社会的分類概念(gendered classification)ならびに生物学的分類概念(sexual classification)にもとづいて、女性の社会的身分とその範囲を確定する。それゆえ、女性の概念は、最終的に生物学的な本質性にもとづいて 「男性」と対比的に配列される。

爾来、女性は、生物学的な性別のみで峻別されるもの だといういうふうに理解されてきた。それゆえ、両性具有あるいは「ふたなり」と呼ばれる生物学的な特質をもつ個体はアノマリー(性的異常)として、女性/ 男性というカテゴリーには属さないものとみなされてきた。さて、男性中心的な社会において、女性を男性に比肩できる法的社会的に同等な資格を持たないもの と当初規定してきた西洋近代社会は、女性の劣等性を生物学や医学に仮託してそれを正当化してきた。しかしながら、男女の法的平等性の達成が近代社会の成立 にとって喫緊の課題となり、法的権利(参政権、労働権、親権など)において平等化の思想が普及していくと、女性と男性の種別的差異に生得的なものは存在し ないことが明らかになり、それを支持する生物学・生物医学理論がヘゲモニーを握るようになる。そのような仮定で、男性と女性の生物学的な差異を担保しなが らも、社会的な性別はそれとは独立した区別であるという立場が登場してくる。それが社会文化的な男女の区別であるところのジェンダー概念の登場である。

それ以来、生物学的な性別(sex)と社会的文化的 性別(gender)という形で峻別されてきた。しかしながら、いつしかこの二分法は、生物学的にも文化社会的にも性別の分割は可能であるという無批判な イデオロギーを生んでしまった。また、ジュディス・バトラー[1990=1999]のように、ジェンダーとセックスの峻別は、本来は生物学的定義を社会文 化的概念で相対化しようとするために登場してきたのにかかわらず、最終的に生物学的女性は本質的であるというイデオロギーを温存させてきたことに貢献した という批判が登場する。しかしながら、このような二分法をあざ笑うかのような、異性装(ドラアグ)やゲイ/レスビアン、ホルモン化による性的志向の改変さ らには性転換などの「性別」のパロディの存在がある。これらの現象は、社会の隙間にある、道化や撹乱的存在であると同時に、ジェンダーもセックスも社会的 な構築物であり、すべては相対的決められ、それを男女というカテゴリーに分類しているにすぎないことを、皮肉という表現を通して批判的に体現しているので ある。

フェミニズム運動の担い手であるフェミニストの多く が、そのような「性的マイノリティたち」に対して同情的・共感的・連帯的であるのは、ともに男性中心主義が押しつけてくる権力構造のなかでは、ともに政治 権力的マイノリティとして、中心的な権力構造から排除されてきたゆえの、類的集団意識=アイデンティティから生じるものだと考えられる。

■ポスト・フェミニズム、あるいはアフター・フェミニズムについて

"The term postfeminism (alternatively rendered as post-feminism) is used to describe reactions against contradictions and absences in feminism, especially second-wave feminism and third-wave feminism. The term postfeminism is sometimes confused with "4th wave-feminism", and "women of color feminism" (e.g. hooks, 1996; Spivak, 1999)./ The ideology of postfeminism is often recognised by its contrast with a prevailing or preceding feminism. Postfeminism strives towards the next stage in gender-related societal progress, and as such is often conceived as in favor of a society that is no longer defined by gender binary and gender role. A postfeminist is a person who believes in, promotes, or embodies any of various ideologies springing from the feminism of the 1970s, whether supportive of or antagonistic towards classical feminism./ Postfeminism can be considered a critical way of understanding the changed relations between feminism, popular culture and femininity. Postfeminism may also present a critique of second-wave feminism or third-wave feminism by questioning the second wave or third-wave's binary thinking and essentialism, their vision of sexuality, and the perception of relationships between femininity and feminism./ Second-wave feminism is often critiqued for being too 'white', too 'straight', and too 'liberal', and resulting in the needs of women from marginalized groups and cultures being ignored. However, since intersectionality is a product of third-wave feminism, the references to such as postfeminist are open to challenge and may be more properly considered feminist." - Postfeminism, by Wiki

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