かならずよんで ね!

日本における科学技術政策の人類学:科学技術基本法以降の大学と研究開発(R&D)

Cultural Anthropology of Science and Technology in Japan: After the Basic Act on Science and Technology, Act No,130 of November 15, 1995

池田光穂

1.現状分析と本発表の目的

1914年と1917年にジョン・デューイとラビンドラナート・タゴールは、それぞれ人間の価値や教育が、道徳的に人格的な完成をめざすことよりも、科 学の権威の肥大化により、機械の正確さに追随するほうがよいという世界のトレンドに警鐘を鳴らしていた 。科学技術イノベーションに対する健全な批判的精神である。そして現在、原子爆弾や原発事故の悲惨さや人間の技術管理の限界を経験しながらもなお、人類は イノベーションに期待しかつ跪拝する。ある複数の大学では「科学技術イノベーション政策のための科学」と称する大学院教育をおこない〈科学が人智により馴 致可能である〉という楽観的なビジョンを恥ずかしげもなく吹聴している。この発表は、現今のその流れに抗して、かつてあった健全な悲観的感性の喪失を憂い つつ、人類学がもちつづけている心に満ちた(mindful)ユートピア主義により克服しようとするものである。

現在、日本学術振興会の科学研究費補助金(科研) の分科・細目名の中に「科学社会学・科学技術史」があるが、キーワード(記号)も含めて科学人類学という用語はない。私の文化人類学者としての具体的野望 は、この中に「科学人類学」の用語と批判精神をきちんと埋め込むことであり、そのような研究を通した判断と批判の実践である。

2.日本の科学技術政策とそのエコシステム

日本の科学技術政策は1990年代に大きく変わった。特に1995年11月15日に施行された科学技術基本法(平成7年法律第130号)の影響は大き い。これに前後する1990年代は、この科学技術基本法やポスドク1万人計画のほかにも、様々な改革が行われた。例えば大学設置基準の大綱化(1991 年)、大学院重点化(1991-2008年)、国立大学法人化(2004年)、21世紀COEプログラム(2002-2006年)等の大型資金の投入、と いったことである。まとめると、これらの改革は、(1)シンメトリカル・アクセスや基礎研究の強化という米国からの外圧への対応と、(2)科学技術関連予 算を増やしキャッチアップ型の経済から世界経済のフロントランナーとして日本国を「科学技術創造立国」化するという、大きく分けると二つの方向性があった と言える。


このようなトレンドの背景にあるのは、経済界の動 きに呼応して、〈科学技術イノベーション〉を引き起こすインキュベーターとして、一方に大学や企業の研究機関があり、それらと政府などの公的機関があり、 これらの(研究セクターと制御セクターの)両機関こそが、研究開発(Research and Development, R&D)の先導的駆動ための両輪である、という日本独自の発想があった。事実、先に述べた基本法にもとづく政策誘導をしてきたのは、かつての科学 技術庁(1956-2001)であり、中央省庁の再編後は、それを引き継いだ文部科学省(科学技術・学術政策局、研究振興局、研究開発局)とそれが所轄す る国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST, 1996-)である。

このように日本政府が科学技術振興に積極的に取り 組むようになったのは、ニューミレニアム以降、米国におけるバイ・ドール法 (1980年)などに刺激を受け、研究と開発(R&D)への国家介入のトレンドをなぞるものである。実際、日本では、1999年産業活力再生特別 措置法第 30条が、バイ・ドール法に相当するもの と自ら喧伝するものの、政府による研究の委託を受けた研究者と公営あるいは民間への技術移転の促進化の歴史には、20年に近い時間的ギャップがある。

この状況のなかで、私は、国立大学大学院教育にお ける高度教養教育を担当する部署において学問領域を超えて、専門家と市民が対話できる可能性を目論んだコミュニケーション・デザイン教育に12年以上関 わってきた。大学院共通教育は、それ自身の独自の理念を設定できるが、大学中枢当局からは、国立大学の運営経費の予算取得、科学研究費補助金や各省庁が提 供する競争的研究資金を含む種々の外部研究資金の調達、そして学内の寄附講座・寄附研究所等を通して流入する研究教育運営等の資金を、積極的に獲得するよ うに、さまざまな学内の運営上の指導がおこなわれてきた。そこでの純粋な「科学的な調査研究」の動機と内容とは裏腹に、その研究費取得過程や研究成果の発 表、さらには学内外の組織との連携模索という、研究のプロセスには、ミクロ・マクロを問わず、さまざまな政治的介入があることを日々経験し実感している。

3.政府がなぜ科学技術政策に血道をあげるのか?

レントシーキング(rent-seeking)という言葉がある。レントを求める/探すという意味である。レントとは元来「地代」のことをさすが、今日 では所有権から得られる経済的な利得全般をさす表現になった。レントシーキングは、日本語での「利権追求」にほぼ近い。ノーベル経済学受賞者であるジョゼ フ・スティグリッツは、(a)現代の富裕層が公共財を私有すること、(b)事業を独占すること、またそういった状況を作り出すために(c)政府機 関を動か すことなどで富を生み出している、と非難している[スティグリッツ 2012:85]。知的所有権などのレントは〈イノベーションの源泉〉であるとされる。しかし、スティグリッツは、実は歴史的にみると、コンピューターの 基礎を築いたアラン・チューリングやトランジスターの発明者たち、DNAの初期の研究者たち、そしてWWW(ワールドワイド・ウェブ)を開発したティム・ バーナーズ=リーなどの名前をあげて、これらの人々はイノベーターであるが、レントを目的にしておらず、またレントからほとんど利益を得ていなかった、と 指摘している。過去と現在では、レントとイノベーションの関係の位相が異なるのだ。今日、深刻な問題であるのは、レントのやりとりにおいて社会的便益のロ スが生じ、レントシーキングの多くが公益という観点から評価すればマイナス・サム・ゲームになっていることだ、とスティグリッツは論じる。ゼロ・サムとい うのは片方が立てば別の片方が立たずという利益が相殺されて総和(サム)がゼロになることを言う。他方、マイナス・サム・ゲームとは、すべてのゲームの終 了において誰も得する者がいないプレーのことをさす。現代社会においては、チューリングの時代と異なり、大学の研究活動も密接にレントと結びついており、 レントシーキングとイノベーションにおける利得(ベネフィット)の算出ゲームの間に明確な峻別をすることは不可能である。研究活動は、容易にグローバルな サブシステンスを収奪するように設計されてしまうのである。水道事業などの公共財を私営化するといったことは典型的なレントシークであり、受益者へのコス ト負担の低減やそれを促進させる積極的な技術革新を誘導しないかぎり、また古典的な自由市場の原理に委ねるかぎり、必ずしもイノベーションを保障するもの ではない、ということはここで、認識しておく必要がある。

ピーター・ドラッカーはしばしば、米国においてす ら企業がガバナンスに失敗しており、その理想形は非営利組織において実践されている、と述べていた[ドラッカー 1992:247-284]。例えば、上下水道などのコストのかさむ公共事業などは民間に売却し、民営化(私営化)することが世界的な傾向にあるが、これ らは結局のところレントシークの一形態に過ぎず、ユーザーである地域住民に利益をもたらすことはほとんどない。そこで、政府でもなく、私企業でもない形態 として、NGOとして運営する、という方法がある自治体では取られるようになってきている。この場合、成功するかどうかは事業の透明性を担保し、住民が組 織運営に参加するかどうか、というところが鍵になるだろうと言われている 。

しかし、日本においては、企業の役割が突出して大き く、また信頼を集めているため、NGOや宗教団体も含めた非営利組織の役割は軽視されており、そう いった分野での人々の経験も乏しい。このことは、レントシークを制御し、オープンなイノベーションを実践するためには、非常に大きな足かせになっている。 スティグリッツら[2017]は、日本の指導層がとりつつあるワ シントン・コンセンサス(1989)にもとづくいわゆるネオリベラル経済が掲げる市場の自 由にゆだねるやり方に警鐘を発している 。その代わりに、日本の戦後経済が達成してきた、政府が教育現場のみならず産業現場において人びとの学びをもとにした社会的編成——彼らは「学習する社会 /学んでいる社会(learning society)」と呼ぶ——を政府と産業界そのものが、市民と協力しながら、今後とも育成進展させてゆくことの重要性を説いている。


4.イノベーション・コントロールのマインドセット

したがって、私たち、人類学者は「新しいイノベーションを生み出し ていくために[いわば闇雲に]学ぼう」というスローガンに安直に乗るべきではない。そ うではなく「新しいイノベーションを生み出していくために、どのようなことが必要であり、そこから生まれるマイナスの側面(例:レントシーキング)をどの ように回避するのか?」ということを真面目に、じっくりと考えることである。「新しいイノベーションを生み出していくために学ぼう」というスローガンや詐 術に乗っかる前に、国民の大切な税金を投入する政府の動きを注意深く観察しなければならない。

さて、今年に入って、人類学者のマインドを激怒さ せることがおこった。それは内閣府による空疎なイノベーション提言である。すなわち、内閣府は2018年1月4日付けでSociety 5.0の特設ページを開設した。これは2017年度のCSTI(総合科学技術・イノベーション会議)によるコンセプト提言としてすでに準備されてきたもの で、狩猟社会をSociety 1.0、農耕社会を2.0、工業社会を3.0、情報社会を4.0として、IoT(Internet of Things)を軸に社会が変わる「超スマート社会」をSociety 5.0と位置づけている。新しいヴァージョンの番号を更新すれば、なにかざん新なものを得ることができるというのは霞が関の徒な妄想である。ヴァージョン の番号の改進命名は、2004年のWeb 2.0  ぐらいから、イノベーション政策や開発に携わる人たちのバズワードになってきた。その中でも、2011年にドイツ工学アカデミーとドイツ連邦教育科学省が 発表した、政府が推進する製造業の高度化を目指す国家戦略のためのコンセプトであるインダストリー4.0(Industrie 4.0[Vier-Punkt-Null], Industry 4.0)は近年ではもっとも成功した用語のひとつであると言われている。内閣府のSociety 5.0は、まず用語法としてはドイツのものを流用し、そしてその似非(=擬似)進化モデルは、文化人類学の新進化主義のアイディアの剽窃あるいは変奏であ る。もう一度言おう、内閣府のSociety 5.0は、人類文化のドミナントな生業形態の変化をイノベーション像として安物の創造として提示する空っぽの幻影である。我々は国民を騙す内閣府のこの誇 大妄想的なプロパガンダに対して、声高に批判しなければならない。体制に寄生するSTS自称「科学者」の思想的バラックはその程度のものである、と。


この批判については、研究集団に対して標語のよう に批判すれば済まされると言う問題ではない。学会としての良心からの批判を、声をあげておこなうべきだろう。そして大学人は、いつまでも人文系/理科系と いう「2つの文化」というセクショナリズムに拘ってもいけない。他方で、学際融合という研究開発(R&D)の利権をマフィアならぬヤクザのシマのみかじめ 料――まさにレントーーのように考えてもいけないだろう。イノベーション礼賛主義者の声高のスローガンに、いまこそ文化人類学者がフィールドワーク経験を 通して培ってきた民族誌的理性(ethnographic reason )をもって、「科学技術は本当に我々の生活をどのように変えたのか?」そして「何が個々の人々にとって幸せをもたらすのか?」と市井の人たちに真摯に問い かけるべきだろう。闇雲なイノベーション羨望から冷静になることで、「科学人類学」 の知的探求は始まるのではないだろうか(cf. ヌスバウム2013)。

謝辞:

本研究は、大阪大学COデザインセンター機能強化経 費から支援をうけた平成29年度調査研究プロジェクト「次世代イ ノベーション人材育成にむけた企業現場における高度汎用力教育の具体像に関するニーズ調 査:大阪科学技術センターと大阪大学の連携強化にむけて」からの支援をうけているものである。大阪大学の関係者に深謝すると同時に、本調査事業に 関わった すべての関係者(全国地域技術センター連絡協議会傘下の各地の公益財団法人ならびに一般財団法人関係者)に感謝する。

■クレジット:Mitsuho Ikeda, "Cultural anthropology of Science and Technology, in Japan," in the 52nd Annual meeting of the Japanese socitey of cutral anthropology./第52回日本文化人類学会研究大会、弘前大学人文学部、2018年6月2日発表原稿。(c)Mitsuho Ikeda

 コロナ禍における大学の急速なデジタル化に関する追記 (2020年8月11日)

大学のデジタル教育惨状は以前に文科省は警鐘を鳴ら していた!つまり、2019年12月3日に文科省国立教育政策研究所は「OECD 生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント(pdf)」 という資料をまとめて関係者に配布していました。その報告書は驚愕のもので、読解力、数学リテラシー、科学的リテラシーとも近年低下傾向にあり、過去の歴 史的比較のなかでも最低ラインということ。科学的リテラシーについては、いまだトップレベルであるものの、「日本は学校の授業(国語、数学、理科)におけ るデジタル機器の利用時間が短く、OECD加盟国中最下位」。またオンライン利用は、チャットやゲームなどの頻度は高い一方で「コンピュータを使って宿題 をする頻度がOECD加盟国中最下位」です。折しも、数日前の日経新聞は、科学論文の生産量が中国がトップになったという報道をしていました。今般のコロ ナ禍により、大学生の勉強時間が「増えた」、「負担に感じるほど」宿題課題に取り組んでいる時間が増えたとの報告があります。ドロップアウトや「うつ」あ るいは、逆に反社会的な「コロナ・パーティ・アクション」に参加するなど、さまざまな、コロナの社会的規制による弊害は生じていますが、これを機会に、現 場の皆さんが、さらに、教育を授けるほうにも、受けるほうにもストレスなく、「デジタル黒船到来の時代」ぜひ、サバイブしてくださるようにお願いします。 大臣はともかく、文科省も優秀な官僚も多くいるはずです、政府の良質な部分への対話を通して、日本の教育をよくしていくのは、現場のみなさんしかおられま せん。がんばってください。

文科省国立教育政策研究所は「OECD 生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント」(pdf)

●科学技術信仰による闇雲なイノベーション期待(妄 想)は、150年体制はますます続く

(内閣委員会)

 科学技術基本法等の一部を改正する法律案(閣法第四七号) (衆議院送付)要旨

 本法律案の主な内容は次のとおりである。

 一、科学技術基本法の一部改正
1  法律の題名を「科学技術・イノベーション基本法」とする。
2 法律の振興対象に「人文科学のみに係る科学技術」及び「イノベーションの創出」を加える。
3 「科学技術の振興に関する方針」を「科学技術・イノベーション創出の振興に関する方針」とし、同 方針に、科学技術・イノベーション創出の振興は、研究者等及び研究開発の成果を活用した新たな事業 の創出を行う人材の創造性が十分に発揮されることを旨として行われなければならない旨等を加える。

 二、科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律の一部改正等
1 法律の対象に「人文科学のみに係る科学技術」を加える。
2 成果を活用する事業者等に対する出資等の業務を行うことができる研究開発法人として国立研究開発 法人防災科学技術研究所等の五つの法人を追加するとともに、研究開発法人の出資先事業者が民間事業 者等と共同研究等を実施できることを明記する。
3 中小企業技術革新制度について、イノベーションの創出を促進する観点から、根拠規定を中小企業等 経営強化法から科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律に移管するとともに、国等が研究 開発課題を設定して中小企業者等に交付する指定補助金等を指定する等の見直しを行う。

三、内閣府設置法の一部改正等
1 内閣府の特別の機関として、科学技術・イノベーション推進事務局を設置する。
2 健康・医療戦略推進本部に関する事務を内閣官房から内閣府に移管するとともに、内閣府の特別の機 関として、健康・医療戦略推進事務局を設置する。
 四、施行期日 この法律は、令和三年四月一日から施行する。

●科学技術基本法等の一部を改正する法律案、政策統 括官(科学技術・イノベーション担当)、令和2年3月10日(新旧対応表)pdf

科 学技術基本法改正法案に反対する声明 (東京私大教連中央執行委員会)pdf

反対理由;1)人文・社会科学の除外規定の削除に ついて 、2)政府の司令塔機能の強化について 、3)大学等の「責務」規定の新設について

さらに、政府の基礎研究の軽視の動向である

「1995 年に科学技術基本法が議員立法によって制定された際、提案者の中心であった尾身幸次衆議院 議員(自民党)は、国及び地方公共団体が基礎研究に果たす役割の重要性を指摘し、第一の課題とし て日本の大学・研究機関における基礎研究の規模とレベルを引き上げることを強く主張していました。 このことは「独創的、基礎的研究の抜本的強化を図るため、大学、国立試験研究機関等における研究 者の意欲を引き出すための人材、資金、研究開発成果等に係る制度面での改善を行うことにより、柔 軟かつ競争的な研究環境を整備すること」という衆参両院の付帯決議にも明瞭に謳われています。 しかし、その後の 25 年間の科学技術振興政策は、本法の立法趣旨から大きく逸脱し、短期的な成 果をもたらす応用研究を偏重し、基礎研究への投資を怠ってきました。日本の科学研究における研究 力の低下、とりわけ基礎研究の分野において若手研究者が直面している困難は、当事者たる研究者の みならず幅広い社会的関心を集め、今までノーベル賞受賞者を輩出してきた日本の科学研究の行方に 関する危機感が強まっているところです。安定した研究環境を保障するための基盤的経費はこの間削 減され続け、競争的資金に依存した不安定な任期付雇用が拡大したことが、基礎研究を土台とした科 学研究の健全な発展を大きく阻害しているのが現状です。今回の科学技術基本法改正法案は、大学に とっては、教育研究に関する重要な事項に関する教授会の決定権を剥奪した学校教育法改正(2014 年)、 専門職大学の創設を定めた同法改正(2017 年)に代表される、安倍政権の「反知性主義的」な高等教 育政策の総仕上げとも見なしうる性格を有しています。」科 学技術基本法改正法案に反対する声明 (東京私大教連中央執行委員会)pdf、より

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