かならずよんで ね!

医療介護の現場における身体コミュニケーション

Human communication through bodily-politic in ordinary health practice

池田光穂

兵庫医科大学教員の入澤仁美さんと仏教大学の村岡潔 さんと、第44回日本保健医療社会学会大会のラウンドテー ブルディスカッション(RTD)で話題提供することになった。2018年5月19日(土)12:30 -14:30(於:星槎道都大学:会場6、3306演習室:R-2)。RTDのタイトルは標記のものと同じである。

予稿集のコピーライトは、入澤仁美・池田光穂・村岡潔の三者によるものです「__」内。

【背 景】1995年以降、急速な高齢化が進み、日本人の平均年齢は80歳を超えている。このような状況の中で、高齢者の年齢の幅も広がり、身体的・精神的機能 の老化の程度も個人によって多様である。身体の活性化が高齢者の運動能力や認知機能の低下を遅らせることは明らかであるが、身体の活性化には、五感の刺激 と共に、他者とのコミュニケーションが高齢当事者のみならず、医療や介護現場を支える人たちにも重要なものとされるようになってきた。

【目的】医療・介護の現場に必要とされる身体コミュニケーションの在り方について多角的に検討する。

【方法】医療者と患者、介護者と被介護者が信頼関係を築く上で重要となる身体的コミュニケーションについて、臨床やフィールド調査の現場での経験も交えて、それに対応する理論的背景についても議論をする。

【考 察】人は、単に言葉だけでなく、頷きや身振りなど身体によるリズムを共有して、互いに引き込むことで、コミュニケーションを行っている。そして身体的なコ ミュニケーションは人間同士で行われると、安全の感覚や共感を与える効果があるといわれている。患者や被介護者は何らかの喪失を経験していることから多感 であることが多く、初対面の相手に対して一度拒絶反応を起こすと打ち解けることが困難になる傾向がある。

【結 論】患者や被介護者に対して身体コミュニケーションを行うことは、コミュニケーションの初めのアプローチとして有効だと言われてきたが、それに関するさま ざまな理論が提唱されてきた。どの理論が有力であるかという不毛な議論を離れて、「みずみずしい身体コミュニケーション」の現場に戻れ!というのが、本演 者たちの結論である。

■私の話題提供(20分)は......

の構成になるかと思います。
医療介護の現場における身体コミュニケーション:「身体の概念を組み換える」
これは身体ですか?
あるがままの身体=ボディという
愚かな考えからの出発

    •    身体コミュニケーション関連の授業やWSを10年以上やりつづけて思うこと、
    •    素敵なダンサーとの出会い、見つめあって身体が動く不思議、
    •    あらゆる年齢層、さまざまなタイプのジェンダーズ、あらゆる身体の状態に応じた、おびただしい数の身体コミュニケーションがある、そして
    •    あるがままの身体に向かうことが愚かなのではなく、あるがままの身体で思い浮かべる自分自身の身体を基準に考えることの愚かしさに気付く。
柔らかな身体(ソフトマシーン)と
サイボーグ的ハイブリッド

    •    プログレシッヴ・ロック・グループ「ソフトマシーン」の音楽親しんだ後に、グループ名(signifiant)の隠語の意味を知った後には、もう以前の signifiéが二重になる不可思議?!
    •    ALSアクティビストに洗脳されてよかったこと:1)五体満足(ビジン・イケメン)でなくてもいい、2)人間の生命の伸展と快楽の拡大はともに歩まねば意 味がないこと、3)サイボーグこそが中心である!
身体のメタファー

    •    医療人類学者の身体論の最初の授業にレクチャーするのは、N.シェーパー=ヒューズとM.ロックの『心あふるるボディ( The Mindful Body)』1987年である。
    •    3つの身体:1)個的身体、2)社会的身体、そして3)政体(body politic):3番目に着目しない政治的健忘症者の蔓延
    •    M.ダグラスのグリッド(他者と関連づける自己の強度)とグループ(社会単位の経験度数=社会紐帯力)の類型論への不審と不人気……
ダンサーというイノベーター

    •    佐久間 新さん※と、砂連尾 理さんという、すばらしいダンサーとの出会いと一緒にお仕事して学んだこと、
    •    音声中心主義、言語暴力主義、ロゴセントリズムの《私》が巻き散らかす毒に対する《解毒》作用、
    •    もう話さなくてもいいんだというダンサーと、学んだことを議論し記述しましょうという教師の狭間にいる学生たち(続く)

【お詫びと訂正】
スライドの佐久間新さんの「しん」は、新が正しいのです。スライドが間違っています。お詫びして訂正します。
身体を飼いならすんじゃなくて、
身体ワークショップを飼いならす、誤り

    •    体育の授業でもメリトクラシーが導入される教育制度の愚かさ、
    •    筋力とスタミナと超絶した技量をほめたたえる政府のスポーツ振興と興業者とメディアたちによる《身体の飼いならし》、
    •    ロゴスがだめなら「これからは身体コミュニケーションでっせ!」と霞が関で吹聴する香具師たち。
生産的なデカルト二元論の再興
(結論)

    •    全体主義が、なぜ?どのように?どのような起源をもって産まれてきたのかをしつこく問うハンナ・アーレントに倣ひて……身体コミュニケーションの授業が、 なぜ?どのように?どのような起源をもって産まれてきたのかをしつこく問うことの必要性。
    •    Cogito Ergo Sum 1.0… 我考える故に我在り
    •    Salto Ergo Sum 2.0…我=身体ダンスする、ゆえに我=身体在り(結論) →The Reason I jump (Naoki HIGASHIDA)
これは身体ですか?
さあ抄録集を捨てて外に出よう!

次の演者にバトンタッチ!

■以下資料編:私の身体コミュニケーションに関する知識や経験にもとづく考察、

そしてこれまでの授業の経験、

あるいは、学生と市民向けに、ダンスワークショップ の企画・運営をおこなったことなどだ。

用語集

■私の話題提供(20分)は......

の構成になるかと思います。

リンク

文献

その他の情報

Maya_Abeja

Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2018

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